今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

「日本語、お上手ですね」と小泉八雲 ~書評「東大留学生ディオンが見たニッポン」~

シンガポールウォッチャーのうにうにです。今回は書評というより、本を題材にした「海外生活者、ニヤニヤ」になってしまいました。「それってシンガポールで、私や日本人が感じていることへのカウンターだよ」という内容があるからです。「シンガポールに住んでいる日本人の視点」で本書への感想を書いてみます。
お題は「東大留学生ディオンが見たニッポン」(著者:ディオン・ン・ジェ・ティン)です。出版社は岩波ジュニア新書という良いところ。

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

※アフィリエイトはしていません。

本のタイトルから分かりますが、内容は「外国人が東京大学で学生をして、見たこと感じたこと」です。このディオン氏がシンガポール人なので、私の読書対象になりました。

本書に"含まれていない"こと

まず最初に、私は興味がありましたが、この本の内容に含まれていないことは下記です。

  • 日本に興味をもったきっかけと、興味の対象
  • (受験) 大学受験の情報収集、受験対策ペーパーテスト結果、併願校など
  • (卒業後進路) 在学生の希望進路、卒業生の進路実績

他文献を見ても、進学先を日本にしたのは、高校(JC)までに、「日本語を頑張ったので」という簡潔な表現にとどまります。
東大留学前に日本に9回も旅行しており、お姉さんも日本でのホームスティ経験があります。家族を含めて、日本に興味があることが分かりますが、ディオン氏が日本の何に興味を持ったのか(例えばアニメ等)は直接記載されていません。
また、本書を読んでも「どうすれば東大PEAKに合格できるのか」や「受験手続き」には一切触れていません。卒業後の進路や展望も記載がありません。

ディオン氏のプロフィール

本書等から私が作成したディオン氏のプロフィールです。

国籍 シンガポール
居住地 18歳までシンガポール。その後、日本。
家族 2つ年上に、日本語を勉強する姉がいる。
在籍 東京大学 教養学部 教養学科 国際日本研究コース
学歴 ラッフルズ・インスティチューション
語学 英語と日本語は堪能。日本語は中学生の時からシンガポール教育省語学センターにて勉強。高校卒業前までに日本語検定1級取得済み。母語は中国語、、フランス語を第四言語として学習しフランスの大学に短期交換留学
部活 バトミントン (大学入学から)。東大新聞デジタル事業部。インカレバンドサークル。
ラッフルズ・インスティチューション

ラッフルズ・インスティチューション、通称RIはシンガポールでのトップの中のトップ校です。シンガポール首相・大統領・閣僚など各回著名人を多数排出しています。日本でも東大入学より、灘・開成に入る方が難しいですが、シンガポールではRIがそれにあたります。シンガポール国立大学などへの入学よりはるかに困難です。シンガポールにおけるエリート主義、としてやり玉にあがることすらある学校です。

シンガポール教育省 語学センター

さらっとRI出身と書かれているように、さらっと教育省語学センター(MOE LC)が書かれていますが、これも成績優秀者のみの教育課程です。小学校卒業試験であるPSLEで、成績が上位10%である生徒のみが、第三言語としてここで学習できます。

東大PEAKとは

PEAKとは Programs in English at Komabaの略となっており、「駒場キャンパスでの英語プログラム」の意味です。日本の文部科学省が導入したGlobal 30プログラムの一つになります。秋入学。授業はすべて英語。
東大には10.88%の留学生がおり、その中の2%がPEAK生(本書執筆時点)。ディオン氏の執筆時では、1期生と2期生の50人が16カ国の国籍を持ちます。
ディオン氏は、東大PEAKの他に、文部科学省の奨学金にも受かっています。学費が免除になり、生活費と里帰り航空券まででるという、トップ留学生向けの一部界隈で有名なアレです。来日して1年間はまず外語大で日本をを学ぶ必要があり、その時の成績で入学大学が決まるため、9月入学でもあり卒業が早い東大PEAKにしたと述べています

書評

それでは本題に入ります。

日本は外見重視の国か

化粧の有無から他人の年齢や人種を判断する。 (P.17)

日本社会がいかに外見と表面を重視するか。 (P.18)

日本の外見重視は他国と同程度のはずで、むしろシンガポールが特異ではないかと私は思っています。日本では、女性であれば化粧、男性であればスーツなどによって、社会的なプロトコルに則っているかが測られ、そぐわない人は警戒されます。
その一方、シンガポールでは外見から職業や社会的地位を推測することは困難です。シンガポールの街で異彩を放つ人たちがいます。この常夏の国でもスーツを着ている日本人です。シンガポールでスーツを着ているのは過半数が日本人、そのほかに多少韓国人がいて、わずかに金融系の人たちがいます。ネクタイをしめる人も少数なシンガポールで、身なりから人を判断するのは不可能です。なので、Tシャツ・短パン・サンダルの人が大金持ちだと知って、ぎょっとした経験をしたことがある人がいるはずです。2012年にシンガポールに進出した紳士服のコナカは、私から見てお客さんが入っている様子がなかったのですが、5年営業を続けて、2017年に撤退しました。
社会的なプロトコルで、シンガポールよりカジュアルな国を私は知りません。同じ東南アジアでも、例えばタイだとホワイトカラーであれば、ビジネスにはタイをしめ、スーツを着ても目立ちません。
ですので、ここでのディオン氏の指摘は「日本への指摘」というより、「シンガポール人の外国経験」と捉えたほうが良いのではないかと思います。

シンガポールで友人になりにくいのはシンガポール人

留学生との接し方に関して、TGIFのイベントに来ている日本人の学生が、新歓イベントで知り合った日本人の学生とだいぶ違う。 (P.24)

シンガポールで最も友人になりにくい国の人は、シンガポール人だと私は思っています。外国人同士、特にアジア人同士のほうがずっと友人になりやすいです。
どの国でもそうですが、その国の大半の人は外国人に興味がありません。これは特にエスタブリッシュなエリートほどそうです。することがいっぱいあるのに、言葉や文化に不自由な外国人とコミュニケーションをわざわざ積極的にとる理由がないのです外国人差別とまで呼べるものではなく、彼らの利害関係にないので、単に興味がなく無関心なのです。話をしにいくと、普通に答えてくれますが、それ以上の親密さを引き出すのは困難です。自分が提供できる何かが必要だからです。
外国人が移り住んだ国で、初期段階でする必要があるのは、

  • 母国からを含め、外国人同士での仲間を作ること
  • 現地民から「親外国人派」を見つけて仲良くなり、その人を突破口に現地コミュニティに入っていくこと

だと私は思っています。外国で不自由になってジタバタしているのを、見るに見かねて助け舟を出してくれる世話好きは、だいたいどの国にでもいます。ディオン氏が指摘している『TGIFのイベントに来ている日本人の学生』というのがこの"親外国人派"です。また、『新歓イベントで知り合った日本人の学生』というのは外国人に無関心な多数の一般人です。つまり、"親外国人派"は仲良くなるのに外国人に対して下駄をはかせてくれる。その一方で、多数の一般人は言語・文化などの不自由さから、外国人が仲良くなるのにハンデとなるのです。

「日本語お上手ですね」は「日本語が母国語ではないのですね」「あなたは外国人ですね」の意味

「ハジメマシテ。ディオンと申します。よろしくお願いします。」「うわー、ディオンさん、日本語お上手ですね」というパターンで初対面の方々との会話が始まります。なぜ自分が一言の挨拶しか言っていないのに、すぐ日本語がうまいとほめられるの? (P.34)

東アジア人に近い顔つきの外国人に対し、完璧な日本語が話せることを求める人もいます。 (P.36)

外国人に対して「うわー、日本語お上手ですね!」という発言は、日本語がそもそも日本人専用の言葉であり、国民のアイデンティティーであることを前提にするもの (P.49)

ロシア人の留学生が入ってきました。生まれつきの肌色で区別されるとは思わなかったです。 (P.143)

ディオン氏の分析に近い印象を私も持っています。
日本人は外国人が日本語を話すと、すぐに「日本語、お上手ですね」と言います。何かの義務であるかのように、多くの日本人がそれを口にします。これは、

  • 天気の話と同じで、外国人向けの挨拶
  • お互いに共通の話題に手探りなので、とりあえず褒めている。敵意が無いことを表す
  • あなたの日本語はネィティブではないですが、私は理解できています

という意味です。

"You speak English well." (英語、お上手ですね)
と言われたことがある日本人はどれだけいるでしょうか。別に英語でなくても、現地語でよいのですが、海外居住者なら経験があるはずです。
字面は褒めているはずなのに、これを複数回経験すると疑問に思い、そのうち「カチン」ときませんでしたか?「仕事や、学校や、近所付き合いの用事や、友達が欲しくて話に来ているのに、話題に語学なんか選ぶなよ」、と。そして当然の事実に気付くはずです。同国民なら、相手の語学に話題として触れることがなくて、外国人扱いとして壁を作られている表現だということです。「英語、お上手ですね」というのは「外国人の割には上手ですね」「ネイティブではないですね」という意味に過ぎません。
日本人が決まって「日本語、お上手ですね」と判を押したように言うのは、上記3点が合わさった理由ですが、これが良い印象を与えないことは知られていません。理由は「英語、お上手ですね」と言われた経験がある人が少ないからです。外国人であることを意識付ける、壁を作る表現であることを、日本人は知る必要があります。

私の職場に、日本国籍でない日本語話者がいます。それらを見ていて分かるのが、「外国語ができない日本人ほど、外国人が話す日本語に厳しい」ということです。自身が外国で苦労をしたことがないので、話に詰まるとすぐに「日本人にかわれ」と平気で言えるのです。そしてこれは、相手の外見がアジア人であればより強固です。西洋人・白人であれば、「ガイジンが頑張って日本語を話している」と多少の間違いや意思疎通での困難さにも、突然おおらかになります。人種への偏見です。海外在住者としては、そのおおらかさを、アジア人にも向けて欲しいと願っています。

ココがヘンだよ、日本での外国語・英語教育

学校で使っていた教科書を見せてもらったら、説明が確かにすべて日本語 (P.63)

中国語の先生が間違いなくずっと中国語で話していました (P.67)

私が中学校一年生の頃から六年間日本語の授業を受けていたシンガポールの教育省語学センター (Ministry of Education Language Centre, MOELC)でも、すべての第三語言語授業が最初からその言葉で教えられています。私が使っていた教科書にも英語が一切なく、日本語とイラストに絞った説明の仕方をしていました。日本語の文章を英訳したり英語の文章を和訳したりすることを求める課題もありませんでした。 (P.68)

(日本では)会話のスキルがあまり重視されていない (P.74)

「中学高校と6年間も膨大な時間を使って英語を勉強したのに、話せるようにならない。日本の英語教育は駄目だ」というのは一般的な日本でのコンセンサスです。その一方で、帰国子女でもないのに、英語ができるようになった人からは、「日本の英語教育が間違っている」という苦情を聞くことはまれです。少なくとも私の周囲ではそうです。私の周りの感想では「学校の英語授業だけでは、勉強時間が圧倒的に不足していた」というものです。
英語や中国語が日常的に使われているシンガポールと、10年に1回ぐらい外国人に道を英語で聞かれるかどうかしか使いみちがない日本とで、使用量が全然違うのに同じ学習法ができるわけがありません。
また、言語間距離の問題があります。日本人は英語音痴ですが、語学音痴ではありません。言語構造が比較的近い韓国語では、スラスラと上達していく日本人を見てきました。その一方、言語構造の隔たりが大きい英語は、日本人が習得するのに大変な学習量が必要です。
これまでは日本の英語教育では「文法と読解で手一杯」でしたが、今後はリスニングとスピーキングもするように迫られています。今の英語教育に欠けている発音記号などは年齢が若い内に学ぶべきであり、英語学習に必要な時間や負荷は今後も上がるのでしょう。

大学に来てから中国人、台湾人、香港人の友達に出会い、本当のネイティブ中国語話者の会話に時々ついていけない (P.66)

シンガポールで時々目にするのが「シンガポール人の中国語が中国人に通じない」です。祖父母や友人と一部は中国語で話し、小中高と長年勉強し、中華系であったとしてもです。読むのに時間がかかる、書けない、という率が年齢が若いほど高まります。英語教育が第一だからです。学校教育だけでは不足という意味においては、シンガポール人にとっての中国語は、日本人にとっての英語に多少近いかもしれません。

日本での外国人サバイバル

留学生同士でイベントに出たりし、留学生というアイデンティティーをすぐアピール (P.122)

海外生活経験がある代わりに、日常会話以外のアカデミックな日本語を身に着けていない帰国子女やハーフ (P.145)

帰国したら「外国剥がし」」や「染め直し」 (P.145)

特に日本で嫌われるものの一つに「出羽守(でわのかみ)」があります。帰国子女や留学など海外居住経験者が「(自分が住んでいた国)では~だった」と事あるごとに「では」「では」と引き合いに出すことです。それほど親しくない知人にとっては、特に興味深い話でなければ、その人が過ごしてきた国には興味がありません。そんな話を持ち出されても、こちらで適応不可能だし、ベンチマークを取られても関心が持てず、特にそれが外国であれば環境自慢にしか聞こえないのです。どの国でも大なり小なり出羽守は嫌われやすいと思いますが、日本は若干その傾向が強いはずです。

君は小泉八雲になれるか

「用事から日本に住んだことのない人は、どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」と日本語の先生(日本人)に言われたことがあります。 (P.198)

それでは、「外国人が現地化する」とはどういうことでしょうか。

  • 現地語で円滑に意思疎通がとれる
  • 自分の出身国の話題に頼らずに、ビジネス、趣味や現地の話題で会話を継続できる
  • 現地の文化・風習に通じており、服装・立ち居振る舞いで違和感を与えない

ディオン氏が日本語教師から指摘されたのは、字面だけだと単純にネィティブと非ネィティブの語学力の差ですが、時にネィティブとは語学を超えて、文化・風習も含めた意味を含むことがあります。
著名な外国人でこの域に達した初期の人は、ギリシャ生まれイギリス人だったラフカディオ・ハーン。日本名、小泉八雲です。
40歳にて、米国を発ち、日本で島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師になります。41歳で羽織袴の正装で年始回りをし、身の回りの世話するためにのちに妻になる日本人女性を雇います。44歳、日本の英語著作を出版。46歳、日本に帰化し小泉八雲と改名、仕事では帝国大学英文学科講師になります。54歳で狭心症で亡くなるまでに、3男1女をもうけます。

その小泉八雲も、日本語は会話はできましたが、読み書きはできませんでした。有名な「雪女」「耳なし芳一」は、妻や農民からの口述を受けての英語での出版です。しかし、言語・文化・国籍・家族と現地化を遂げました。自分の身になって考えると、これらを小泉八雲のレベルで達成するには、目がくらむような努力だけでなく、覚悟も必要なのが分かります。移民が使う言葉や世界共通語である非ネイティブが多い英語と比べて、日本語では「どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」という言葉は重く感じます。

日本人はチームワークを勉強で経験しない

ディスカッションやディベートを積極的に教室内でやることが、日本の学校では一般的なことではないと気づきました。(P172)

グループワークを通し、仲間同士でも自分の立場を守って意見をしっかり言えるようになり、多様な見方にある価値も理解 (P.173)

日本の教育現場では講義スタイルが一般的 (P.174)

日本人は「傑出した人物が引っ張るリーダーシップ」より、「組織力で皆が頑張る」というのが一般的な評価でしょう。
ところが、学業でチームワークを学ぶことはありません。グループワークが与えられ、理解が低かったりやる気がないメンバーが打ち合わせに出てこない、依頼したタスクをやってこず、「それだったら全部自分でやった方が早い」という葛藤でプレゼンを行い、並以下の成績を付けられる経験を、大学以前にした日本人はまずいないはずです。勉強は教師の手助けを得ながら、机に向かって一人で行うのが日本の学校です。
日本人のチームワークは、学校教育では体育や部活である程度です。最も時間をかけて世間評価が大きい学業で経験しないチームワークが、日本人は評価が高いとされているのですから、興味深いものがあります。大学生が就職する時に直面する、企業の体育会好み、学業軽視の評価は、ここが関係しているかもしれません。

最後に、私の東大PEAKへの印象

東大PEAKを進学先として選択するには、

  • 受験結果から (併願校との合否で、他の有名校に受からなかった。2014年度合格者の7割は他有名校を選択)
  • 日本に関わりがある (帰国子女や、日本人の二世・三世など)
  • 日本や東京で学生時代を過ごしたい (日本のサブカルチャーへの興味、欧米以外の変わった進学先を探している、欧米と比べて手頃な学費生活費負担で留学がしたい)

などが想定されます。

本書を読む前からですが、東大PEAKは進学先として注意が必要と、私は考えていました。理由は卒業後の進路です。

  • (日本就職) どの国でも外国人はそうですが、特に日本で外国人は日本での就職に苦労する。日本語で授業を受け、日本人と同じ机で勉強した外国人でも、日本語能力や外国人であるフィット理由で就職先を探すのに苦労する。語学としての日本語授業は必須でも、基本は英語で授業を受けるPEAKは、日本就職の助けとして不十分。
  • (海外就職) 母国や第三国(欧米やその他各国)での就職に、"Todai"は助けとして弱い。日本の外では、東大はごく一部にしか知られていない。海外で日系企業は就職先として魅力的ではない
  • (進学) PEAKは学際分野。学部でコースとして選択できる「国際日本研究コース」「国際環境学コース」から、PEAK卒向けに用意されている大学院コース(GSP/GPES)以外に、専門性が高い修士・Ph.Dへと直結させることは難しいのでは。

上記の難題に、ディオン氏がどうクリアされようとするのかが、私の興味でした。本書のテーマに進路は含まれておらず、そこへの回答は得られませんでした。

シンガポール開催の米朝会談で逮捕・警告を受けた人たち ~16億円の開催費負担はペイしたのか~

シンガポールで米朝会談が6月12日に開催されました。会談の内容、意義も含め、報道が溢れています。シンガポールウォッチャーの私からは視点を変えて、米朝会談に関係して逮捕や警告を受けた人たちを一部とりあげて「国家レベルでのイベントオペレーション」と、「シンガポール国民にとっての開催意義」を考えてみます。

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※トランプ大統領が宿泊したシャングリラ・ホテル。2016年、筆者撮影。

米朝会談で逮捕・警告を受けた人たち

金正恩氏そっくりさん ハワードX氏

まずは、世界的に最も報道された警告です。
金正日そっくりさんとして有名なハワードX氏(オーストラリア在住香港人)が、シンガポール入国時に2時間聴取を受け、警告を受けています。政治的な意見があるか、他国での抗議活動の有無を聞かれ「特別行事の場所に近づかないように」と警告されています。

その後、トランプそっくりさんと共催したセルフィーイベントが、シンガポールで盛況に行われ、こちらも世界中のマスコミが報道しました。米朝会談にうってつけの前座となっています。

北朝鮮大使邸に不法侵入した韓国マスコミ

警察は電話で通報を受けました。韓国放送公社 (KBS) 従業員の韓国人2人を、北朝鮮大使の住居への不法侵入で逮捕、国外追放処分となっています。2人はシンガポール政府の取材許可証を得ていませんでした。KBSは放送で公式に謝罪を行っています。

韓国人拉致被害者家族

1960年に北朝鮮に父が拉致された韓国人女性(69歳)が、米朝会談会場のカペラ ホテル周辺で、父の帰りを訴えて、横断幕を広げて抗議活動をしました。警察は2人に退去するように求めました。

韓国人女性5人組

金正恩氏がマリーナ・ベイ・サンズに出かける際に、韓国人女性5人が、複数回の退去警告に従わず、金正恩氏宿泊のセントレジス近くで逮捕されました。女性たちは警官との乱闘になり、逮捕に抵抗し、韓国語で叫んでいます。
同日早くに、会談会場のカペラ近くで横断幕を広げ、トランプ大統領宿泊のシャングリラ近くで抗議のプラカードを持っていました。警察は退去を警告していました。
この女性たちは国外追放になっています。

日本で朝鮮書籍専門店を運営する日本人

セントレジス近くで、北朝鮮関連書店を日本で営む日本人が、北朝鮮書籍を販売のため路上で陳列していました。警察にID確認を求められ持ち物検査を受け、その場を去りました。

ドイツ語を話す男性記者

カペラの前でシャトルバスが停車し、記者100人のホテル入り口への視界をふさぎました。ドイツ語を話す男性が「これはお前の仕事で、このためにお前は給料をもらっている」とバスをどかせと政府職員に訴えました。警察に記者証を求められた男は提示できず、パスポートはホテルにあり、ドイツの住所を教えると答えています。警察に付き添われて、その場を去りました。

入国を許可されなかった4人

米朝会談に関して、入国を許可しなかったのは、最低でも4人であることをシンガポール政府は明かしています。自爆テロサイトを閲覧したことがある東南アジア人、以前テロ活動にかかわったオーストラリア人、詳細が示されていないもう2人です。

治安法による警備

金正恩そっくりさんが警告を受けたのには、シンガポール政府の網の大きさにも驚きましたが、平昌冬季五輪で北朝鮮の「美女軍団」に近づいて混乱を引き起こしたことが理由ではないかと思われます。

北朝鮮マニアの日本人は、外国人に必要な就労許可がなく違法行商の2点から、シンガポールの通常では拘束を即座に受ける案件です。被害者がいて悪質な韓国放送公社を除くと、「警告後に逮捕」というのは、シンガポールでは通常よりゆるやかな対応です。治安法に関する過去の事件で、シンガポール国民が即逮捕されたことと比較し、なかには国民が逆差別されていると訴える野党系メディアもあります。


※セントーサ島を海から警備するシンガポール海軍

特別地域と特別イベント地域

シンガポール政府の対応の根拠となったのは治安法 (Public Order Act) です。対象になった地域では、爆発物・銃器・拡声器などの持ち込みやドローン飛行が禁止され、その確認のために、車両と身体検査を行うことが可能になります。これらは"特別イベント地域"です。
それに加えて、更に厳しい"特別地域"があります。この地域では、出入りの車両と人の通行の検査と、侵入の不許可、立ち去りを命じることができます。

治安法の適応自体は、それほど珍しいことではありません。政府が威信をかけて行っている建国行事のナショナル・ディ・パレードにも適応されています。


※セントーサ島の米朝会談カペラ周辺を警備するヘリコプター

「明るい北朝鮮?」

シンガポールが会場に選ばれたのは、「会場周辺でのデモを抑止できる国」というのが理由の一つではないかと言われています。
米朝会談の会場になったセントーサ島で、抗議活動を計画した国内NGOがありましたが、「デモは14営業日前の申請と、それへの警察許可が必要」という条件があり、開催が急だったため日数が足りず申請を断念しています。

届け出で比較的自由にデモを開催できるホンリョン公園のスピーカーズコーナーでは、ごく小規模の平和集会が開かれました。
シンガポールでは、外国人はスピーカーズコーナーのイベントへの参加も認められていません。永住権保持者になると参加できますが、ステージにたてるのは国民のみです。シンガポールは「外国が自国の政治に影響を与えることを認めない」「外国人の自国での政治活動を認めない」という姿勢を持っています。ですので、米朝会談で警告や逮捕を受けた外国人の抗議活動は、シンガポールにとって論外です。

となると、ここでまた「シンガポールは"明るい北朝鮮"だから」「北朝鮮が"明るい北朝鮮"を訪問」と言いたがる人が出てくるのですが、「明るい北朝鮮」という用語自体が日本人しか知らない、日本でのみ通じる言葉です。シンガポール人は知りません。開発独裁の一形態として、世界的には認知されています。シンガポールは独立後一貫して自由主義陣営です。中華系が3/4を占める国でありながらも、中国との国交樹立が1990年に遅れるほど長らく距離をおいていた強固な反共国家なので、シンガポールでも日本以外の他国でも、「明るい北朝鮮」が通じないのは当然です。
シンガポールは建国から一党支配が続き、国境なき記者団の世界報道自由ランキングでは151位であり、言論の自由への制限があるのは確かです。ですが、それは多民族国家でヘイトスピーチが引き起こす民族対立を抑止するためであり、なにより選挙で国民が信任した結果でもあります。
米朝会談で訪れたCNNの取材に、シンガポールの圧政や言論の自由を聞かれたシンガポール首相は「国民の選挙の結果だ。 スピーカーズコーナーで思いを表現できる。それ以外の場所でするにはルールがある。煽動罪・侮辱罪はあるが、ネットに望むことを書ける」と反論しています。

米朝会談で最も果実を得た国はどこか

開催費用16億円、65万円金正恩ホテルスイートの負担は、シンガポールにとりペイしたのか?

開催費用16億円、シンガポールには十分にペイしたはずです。世界中のニュースで、わずか人口560万人の小国シンガポールの名前がこれほどまでに連呼されたことは、建国以来なかったはずです。そのビッグイベントが大過なく終了しました。
シンガポール政府は、首相自らが今回の費用がS$2,000万 (約16億円) であると明かし、「地域の平和のために喜んで払いたい」と説明し、「世界のためにシンガポールができることを共にやりたい」「米国と北朝鮮の両国に親交を持つ国は多くない」と国民に理解と警備への協力を呼びかけました。これは、シンガポールが貿易に依存する外需国であり、地域の安定がシンガポールの繁栄の礎だというポリシーからきているはずです。
また、関連する警察を含む公務員、軍隊、徴兵制度の予備役兵に首相は労をねぎらっています。

開催前から、「外資がない北朝鮮から来る、金正恩氏が泊まるホテルスイート宿泊費1泊65万円を誰が負担するのか」ということで話題になっていました。これに、BBCインタビューで外務大臣は「ホスピタリティだ」と支払うとさらっと言ってのけました。開催費用が16億円となると、65万円のスイートの宿泊費は金額では誤差の範囲であり「首相が承認した予算だ。考慮すら全く要らない」とひよらず答えています。「自国の困窮者にその金を使え」と激高するネット民があらわれましたが、一部にとどまりました。

なお、一部日本人には、米朝会談で「シンガポールが大混乱」「不満の声」と、大げさな表現で注目を得ようとする者もいます。しかし実態は、例年のアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアログ)やF1などの巨大イベントで、不便さを国民は経験していることもあり、シンガポールのネット議論で最も多かったのは開催費用16億円でした(Isentia社調べ)。交通規制やセキュリティでの不便さは、その次にとどまります。愚痴はありながらも、シンガポールのブランド向上を理解し、表立った不満は一部にとどまったというのが、バランスある表現のはずです。

伊勢志摩サミット予算 600億円を覚えているか

日本で2016年に開催された伊勢志摩サミットは、予算総額が600億円と報道されています。国際メディアセンターの建築費に28億円、そのためだけに建てられたので解体費に3億円かかることが、当時、話題になりました。
要人が主要国から来るため、単純に伊勢志摩サミットの方が規模が大きくなることは理解します。しかし、米朝会談の40倍弱の費用をかけて、会議で実のある成果を得たのか、開催国の宣伝効果があったのでしょうか。
米朝会談では、S$500万(4億円)をかけたメディアセンターでは、地元料理のチキンライスやラクサを含む、15ヶ国から45種類の食事を、世界中から来た2,500人のメディア勢に無料で提供するなどして、メディア"懐柔"にも成功。評判は上々でした。
政府は国内の社会福祉や効率的な行政提供で節約するだけでなく、社会インフラや国家事業への投資を行う必要があります。シンガポールの国際イベントといえばF1です。F1は政府イベントですが、リーチできるのはモータースポーツのファンというごく一部だけ。開催費用にS$1.5億(120億円)かかる一方で、チケット売上は35万ドルしかなく、放映権や広告宣伝費があっても、台所事情は苦しいはずです。
米国大統領との会談にこぎつけた北朝鮮、具体的なステップや期日を合意に盛り込まなかった米国、拉致問題への合意がないなかで非核化費用負担を求められた日本。これらの当事国と比べると、シンガポールはかなりの成果があったと言えます。メルトウォーター社は、オンラインメディアでのシンガポールの広告効果は約600億円($7.67億) にのぼると見積もっています。会場のセントーサ島にあるユニバーサル・スタジオ・シンガポールや、巨大水族館シーアクアリウムの営業も守りました。米朝会談は、国ができる最良の投資の一つだったのではないでしょうか。

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「シンガポールの外国人家政婦、60%が雇用主から搾取被害」という調査への政府反応

シンガポールウォッチャーのうにうにです。
以前、シンガポールの住み込み外国人家政婦の記事を書きました。外国人家政婦は、一般的にメイドと当地で呼ばれています。
uniunichan.hatenablog.com

2017年11月に、メイドの労働環境をめぐって、オーストラリアの民間コンサルティング機関「リサーチ・アクロス・ボーダーズ」が「約60%は雇用主に搾取されている」との調査報告を発表し、CNNなども取り上げました。

パヤレバ駅、シティプラザモール、ラッキープラザモールでのフィリピン人とインドネシア人の735人が調査対象です。フィリピンの言語であるタガログと、インドネシアのバハサを使い、2015年9月に調査が行われています。調査対象になったメイドから51人と、80人の雇用主が、詳細なインタビューの対象になりました。

レポートの要約

レポートのエグゼクティブ・サマリーから主要部分を抜粋します。

  • 33%のメイドは、国際労働機関 (ILO) 基準で問題がなかった。
  • 60%のメイドは搾取と特定される。そのうち23%は強制労働 (forced labour) の被害者と特定される。10%は、嘘や強制による人身売買と特定される。
  • シンガポールには24万3千人のメイドがいるため、14万5千人が搾取下にあると推定される。そのうち、5万5千人は強制労働の被害者で、2万4千人は人身売買である。
  • 搾取の特徴は、シンガポールの法律で日用生活品や食事は雇用主が提供すべきだが、それらが提供されないことだ。
  • メイド雇用主とシンガポール政府の間に加えて、雇用主、メイドの母国の斡旋業者、シンガポールの雇用主の斡旋業者とメイドとの間に、経済的な従属が存在する。様々な借金での拘束があることで、メイドの給料から借金から天引きされ、母国での平均給与より低い経済的な苦境に陥る。
  • メイド搾取の緩和の提案: メイド雇用主の67%は(現状の住み込みでなく)通いでの選択肢にポジティブだった。また、雇用主の政府へのメイド雇用保証金と、メイドの仕事を超えた責任を雇用主が認識している関連性があり、雇用保証金を廃止すること。

※筆者注:シンガポールの斡旋業者の費用は雇用主が払い、メイド母国での斡旋業者の費用はメイドが払うのが、シンガポールでの慣行です。母国での斡旋業者に支払いが存在する際には、雇用主が建て替えて、数ヶ月間の給与はほぼ無給になります。母国での斡旋業者への支払い総額は法律で2ヶ月が最大です。シンガポール行きの渡航費などを含めると、無給期間が半年に及ぶこともあります。天引きがある期間は、当然に、母国の平均給与より給与が安くなり、レポートはそれを指摘しています。

60%もが搾取されているとは具体的に?

シンガポール人も、シンガポールで働いている日本人も雇用主側なので、60%も搾取があるとは実感はないと思われます。
レポート(68ページ)で指摘されている搾取の具体例です。これらに2つ該当するメイドは搾取されており、60%だったという判定基準です。この基準では40%が搾取ではないとなっていますが、どれにも当てはまらないメイドは4%しかいなかったとのことです。

具体例 私の解説 割合
超過労働
12時間以上の労働時間 家政婦は待機時間と実労働時間のギャップが大きいのが特徴 84%
週一の休みがない シンガポールでは割増給与で休みを取り消すことができます 58%
休みの日の労働 シンガポールでは割増給与で休みを取り消すことができます 41%
悪生活環境
鍵をかけて寝る場所が提供されない 30%
自室などプライベートな場所に監視カメラ設置 8%
不適切な就寝場所 7%
給与
給料が安い 本レポートでは母国平均給より安いものが該当 25%
休暇の日に働いても割増賃金がない 11%
給料がない 2%
危険労働
一人でするには困難な作業 7%
危険な作業 5%
品位がない仕事 3%
賃金操作
雇用主が不法な給与天引きをする 4%
雇用主が不法に給与支払いを拒絶 4%
労働関係法や契約書への遵法がない
サインの前に契約書を読むことを認めない 6%
契約書にサインをしていない 1%

CNN日本語版の誤訳

CNNの記事には、

  1. 誤訳 (英文記事から日本語記事に翻訳した際に誤りが発生)
  2. 事実誤認 (英文記事時点で間違いが発生しており、日本語記事にも誤りが継続している)
  3. 補足説明 (記事の事実関係は正しいが、情報不足のため誤解を招く可能性がある)

への言及が必要です。
CNN日本語版は、CNN英語版を訳したものですが、誤訳が含まれています。英日両文を併記し、訂正します。

調査対象者の平均月収は381ドル(約4万2000円)。食費や家賃が含まれていることが多く、これらを差し引くと158ドルしか残らない。平均的なシンガポール人の月収は2013年のデータで3694ドルなので、家政婦はその1割程度しかない。
According to the report's findings, the average monthly income of the workers interviewed was $381 (S$515) a month, often including meals and board, reduced to a net income of $158 (S$225) if they send money home to their families.

CNN英文記事の訳には以下が適切なはずです。
「調査結果によると、家政婦の平均月収は381米ドル(515シンガポールドル)であり、しばしばこの金額には食事や住居が含まれている。家族に仕送りを行っている場合には、手元に残るのは158米ドル(225シンガポールドル)になる。」
CNN日本語訳では、額面給与と手元に残る給与の差分は、(仕送りではなく)食費や家賃の支払いと誤って書かれており、全く意味合いが変わり致命的な誤訳になっています。

この誤訳を招いた原因としては、CNN英語版にある下記の記述を、まとめて書いたためと思われますが、誤訳は誤訳です。
More than a third of domestic workers were also forced to pay for necessities, such as food and soap, despite government guidelines saying they were not supposed to be. (私の訳をつけます 「家政婦の1/3以上が、食事や石鹸のような生活必需品を払うように強いられているが、政府ガイドラインでは払わせるべきでないことになっている」)

上記内容に補足説明をします。シンガポールの制度でメイドは、衣食住・医療費・外国人雇用税は、全て雇用主負担です。そのため、雇用主がメイドに支払う給料は、全額がメイドの手取りになります。ですので、問題になるのは、「本来支払う必要がない日常生活品などの支出を強いられているメイドが、どれだけの割合いて、どれだけの金額を支払っているか」になるはずですが、そこにはCNNでは言及ありません。

2013年にシンガポールの平均収入は3,694米ドルとのことですが、収入統計は平均値より中央値が好ましいです。平均値を使うと一部富裕層が押し上げるため実態との乖離が大きくなるためです。また、出所がILOですが、シンガポール政府が中央値の給与を発表しています。2013年は3,705シンガポールドル(2,962米ドル)、最新の2017年は4,232シンガポールドル(3,066米ドル)です。

CNN英語版での事実誤認

CNN記事には事実誤認が含まれています。CNN英語版の記事から事実誤認があるため、日本語記事にも誤った内容で訳されています。

フィリピンやインドネシア出身の若い女性らが住み込みで家事や子どもの世話をする仕事に就いている (略)
当局に登録されている外国人家政婦の人数はアジアで香港が最も多く、シンガポールは第2位。同国では3世帯に1世帯が家政婦を雇っている計算だ。家政婦は労働人口の17%を占める。
In Asia, Singapore is second only to Hong Kong for having the largest number of documented foreign domestic workers employed in their country, typically young women from Indonesia and the Philippines.
Domestic workers make up 17% of Singapore's total workforce, according to the report, with an estimated one in three households relying on them for housekeeping and caring duties.

シンガポールでメイド用の就労ビザの発給は、2017年6月時点で24万3千です。

シンガポール総労働者数は367万人です(2016年)。つまり、メイドは労働人口の(17%ではなく)7%です。

17%というのは、総労働人口ではなく、(永住者を除く)外国人労働者数137万人に対するメイドの割合です。

シンガポールの総世帯数は126万(2016年)。メイドを複数人雇用している家庭もありますが、1世帯1人と仮定します。すると、メイドの雇用世帯は約20%であって、(記事に記載の3世帯に1世帯ではなく)5世帯に1世帯の雇用率となります。

なお、「若い女性」と書いていますが、20歳代前半で未婚のメイドは多くありません。メイド用のビザは23歳以上であれば発給対象です。ですが、メイドは育児を中心に、家事・介護が必要な家庭で雇用されているためです。育児目的には、自分の子育て経験がない未婚女性は、避けられます。また、不要なトラブルを避けるために、家庭内に独身女性がいることを避けたい傾向が後押しします。雇用主の留守中に「メイドが恋人を連れ込んで」というのは、悪評の一つです。

CNN英語版への補足説明

記述は事実なのですが、情報が不完全のため、誤解が生じる可能性があるものに、捕捉説明をします。

対象者の3分の1は、家族で唯一の稼ぎ手だったという。働いて仕送りしなければ、家族が食べていけない状況だ。
"These women mainly endure these situations out of economic stresses ... in one third of the cases in our study, the worker was the only bread winner in their family, which means if they do not work and send money back home, they will threaten the survival of their family," she said.

シンガポールでメイドのビザの性別は女性に限定されています。つまり、CNNの記述が正しければ、「夫が働けない、働いていない、夫がいない家庭」が1/3も占めている、ということです。これは極めて高い数値です。夫が病気・怪我などの事情で働けない、離婚や死別で夫がいない、というのが少なからず含まれているのでしょうが、それより「夫に勤労意欲がない」「夫に仕事がない」家庭が日本人の一般感覚より多いことが想定されます。メイドが母国の働かない家族に仕送りを続けるのも、よく聞く話の一つです。

最低賃金の規定はなく、労働時間の指針は「妥当な仕事量」に抑えるとの表現にとどまっている。
Unlike Hong Kong, Singapore doesn't guarantee a minimum wage for maids and guidelines on working hours only call for a "reasonable workload."

家事労働で問題になるのは、拘束時間と実労働時間の乖離です。
例えば、メイドが朝6時に起床し、朝食作りから始まり、昼は掃除洗濯、子どもの世話や遊び相手になり、夜は晩御飯の片付けまでして、午後8時に労働終了すると、拘束時間は14時間にもなります。しかし、特に昼間に働き通しであることは考えにくいです。実労働時間は14時間の半分もないでしょう。
シンガポールではこの乖離の大きさを理由の一つに、「妥当な仕事量」に抑えるとの内容になっています。日本でも家事使用人は労働基準法の適用外です。
しかしながら、家事労働であっても、その"特殊性"を考慮せず、他の労働と同じように拘束時間で測られるべきという風潮に世界は向かいつつあります。日本でもシンガポールでも、通いの家政婦・メイドであれば、拘束時間に対して支払われるのが一般的です。


以上のように、今回のCNN記事は、シンガポールの環境へも、家政婦へも、理解不十分で書かれているという前提で読んで下さい。

シンガポール国内報道

シンガポールは、言論の自由に制限があります。国境なき記者団が発表している「2018年世界報道自由度ランキング」では、シンガポールは180カ国中151位となっています。
しかしながら、これは居住民である私の感覚では「そこまでひどくない」「相対比較でもっとひどい国は多くある」というものです。シンガポールは英語圏なので、海外報道に触れるのが容易ということもありますが、それだけではありません。シンガポールに住んでいると政府に都合が悪い内容も国内で報道されていることを、しばしば目にします。言論の自由への制限の目的は、多民族・宗教へのヘイトスピーチでの民族紛争を避けることが、名目だからです。とはいっても、その延長で政府批判へのメディアの自己検閲や、民事であっても破産に追い込まれる政治家からの多額の名誉毀損訴訟もあります。

今回の「リサーチ・アクロス・ボーダーズ」の調査については、最大手新聞のストレイツ・タイムズは私には見つけられませんでしたが、テレビ局のチャネル・ニュース・アジア (CNA) が「シンガポールのメイドの10人中6人が搾取されている」というタイトルで、粗悪な住環境・長時間労働、給与の控除、暴力について、報道しています。

シンガポール政府の反応

「メイドの大半は雇用主に搾取されており、5人に1人以上が強制労働を強いられている」との調査結果を、シンガポール労働省 (MOM) は酷評しました。シンガポール最有力紙ストレイツ・タイムズなどが報道しています。

シンガポールのメイド雇用において誤解されやすい状況を描いており、労働搾取の単純化しすぎた解釈をとっていると、政府は反論しています。
リサーチ・アクロス・ボーダーズの結論は、「奴隷労働が体系的に可能になっている」としており、これは国連の専門機関である国際労働機関 ILO が定義した搾取と強制労働の定義によるとしています。ILO定義では、労働と生活の過酷な環境の組み合わが搾取となると調査は延べています。働かなかったことへの罰や、他の形態でも抑圧が雇用主からあれば、強制労働と位置づけられます。10%のメイドは、仕事を見つける過程において、騙されたか強制されたかで、人身売買と特定されるとリサーチ・アクロス・ボーダーズは主張しています。
しかし、シンガポール労働省 MOM は「指標を解釈する際に、メイドの特有の性質が考慮されていない」と調査が指摘している搾取に同意していません。例として、メイドの仕事と個人の時間を分けることが容易ではないことをあげています。メイドに家の鍵を与えず、家を離れるのに許可を必要とするものは、「隔離」や「監禁」と考えるべきではないとシンガポール労働省は言っています。
リサーチ・アクロス・ボーダーズの研究員は、シンガポール労働省の指摘であるメイドの仕事の独自性を認めてはいますが、その独自性こそが「問題の本質」だと論じています。仕事と私生活の線引が曖昧だからです。メイドが脆弱なのは、シンガポールでのメイドの労働環境の体系的な性質と、労働規制と法律保護が不適切であることを意味していると、レポートは描いています。また、メイドと雇用主との間での力関係が極めて不公平であるとも述べています。外国人人材雇用法(EFMA)の対象ですが、雇用法 (EA) ではメイドが除外されていることを加えています。シンガポールに来る際に抱えるメイドの借金が、給料から天引きされることが、「母国の平均給与より低い平均給与に、メイドを深刻な経済困窮におく」と結論づけています。
シンガポール労働省の反論は、「外国人人材雇用法(EFMA)において、給与の即時払い、食事の提供、休日か休日への補償、住居、威容、安全な労働環境の提供がメイドに保証されている。」「これらは法律であってガイドラインではない。法に違反した場合には、罰金・禁固また将来のメイド雇用の禁止になりうる」というものです。雇用主がメイドに罪を犯せば、通常より1.5倍に罰則が強化される内容が、シンガポールの刑法にあります。
また、2015年にメイド千人に対しておこなった調査結果で、97%がシンガポールでの労働に満足しており、同じ割合の人が労働負荷は適切かもっと働けるというものだったと、シンガポール労働省は引用しています。リサーチ・アクロス・ボーダーズの調査結果は、メイド関連の他のボランティア福祉団体の経験とも相違があるためです。the Centre for Domestic Employeesが行った予備調査結果では、「メイドの85%以上が、シンガポールで働くことに、安全で、信頼でき、自信がある」と判明しています。同率のメイドが、シンガポールの法律は「公平で、虐待に取り組むのに十分に堅牢」と思っています。正式な調査結果は、2018年に公表されます。
別のメイド支援団体FASTも、自分達の経験と異なるので「困惑している」と語ります。FASTでは月に170件の電話問合せを受けていますが、内訳は、仕事の負荷は10%のみで、他が40%が海外シンガポールへの適応困難について、20%は契約や給与問題で、残りが雑多な問合せとのことです。FASTは、調査対象がフィリピンとインドネシアであって、ミャンマーのような他の国が対象になっていないことを指摘しています。

シンガポールとリサーチ団体での論点整理

論争で整理すべきは、

  • 事実の認識不一致
  • メソドロジーの適切さ
  • 解釈の妥当性

です。今回の件に当てはめると、シンガポール主張とのギャップは下記のようになります。

  • 事実の認識不一致: ミャンマー人メイドが調査対象から欠落。
  • メソドロジーの適切さ: 政府調査結果との差異。ILO基準への異議(例: 雇用主の家の鍵の所有)。
  • 解釈の妥当性: 法律の整備と実際の運用状況の差異(例: 日用品の自腹購入)。


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