今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

「シンガポールの外国人家政婦、60%が雇用主から搾取被害」という調査への政府反応

シンガポールウォッチャーのうにうにです。
以前、シンガポールの住み込み外国人家政婦の記事を書きました。外国人家政婦は、一般的にメイドと当地で呼ばれています。
uniunichan.hatenablog.com

2017年11月に、メイドの労働環境をめぐって、オーストラリアの民間コンサルティング機関「リサーチ・アクロス・ボーダーズ」が「約60%は雇用主に搾取されている」との調査報告を発表し、CNNなども取り上げました。

パヤレバ駅、シティプラザモール、ラッキープラザモールでのフィリピン人とインドネシア人の735人が調査対象です。フィリピンの言語であるタガログと、インドネシアのバハサを使い、2015年9月に調査が行われています。調査対象になったメイドから51人と、80人の雇用主が、詳細なインタビューの対象になりました。

レポートの要約

レポートのエグゼクティブ・サマリーから主要部分を抜粋します。

  • 33%のメイドは、国際労働機関 (ILO) 基準で問題がなかった。
  • 60%のメイドは搾取と特定される。そのうち23%は強制労働 (forced labour) の被害者と特定される。10%は、嘘や強制による人身売買と特定される。
  • シンガポールには24万3千人のメイドがいるため、14万5千人が搾取下にあると推定される。そのうち、5万5千人は強制労働の被害者で、2万4千人は人身売買である。
  • 搾取の特徴は、シンガポールの法律で日用生活品や食事は雇用主が提供すべきだが、それらが提供されないことだ。
  • メイド雇用主とシンガポール政府の間に加えて、雇用主、メイドの母国の斡旋業者、シンガポールの雇用主の斡旋業者とメイドとの間に、経済的な従属が存在する。様々な借金での拘束があることで、メイドの給料から借金から天引きされ、母国での平均給与より低い経済的な苦境に陥る。
  • メイド搾取の緩和の提案: メイド雇用主の67%は(現状の住み込みでなく)通いでの選択肢にポジティブだった。また、雇用主の政府へのメイド雇用保証金と、メイドの仕事を超えた責任を雇用主が認識している関連性があり、雇用保証金を廃止すること。

※筆者注:シンガポールの斡旋業者の費用は雇用主が払い、メイド母国での斡旋業者の費用はメイドが払うのが、シンガポールでの慣行です。母国での斡旋業者に支払いが存在する際には、雇用主が建て替えて、数ヶ月間の給与はほぼ無給になります。母国での斡旋業者への支払い総額は法律で2ヶ月が最大です。シンガポール行きの渡航費などを含めると、無給期間が半年に及ぶこともあります。天引きがある期間は、当然に、母国の平均給与より給与が安くなり、レポートはそれを指摘しています。

60%もが搾取されているとは具体的に?

シンガポール人も、シンガポールで働いている日本人も雇用主側なので、60%も搾取があるとは実感はないと思われます。
レポート(68ページ)で指摘されている搾取の具体例です。これらに2つ該当するメイドは搾取されており、60%だったという判定基準です。この基準では40%が搾取ではないとなっていますが、どれにも当てはまらないメイドは4%しかいなかったとのことです。

具体例 私の解説 割合
超過労働
12時間以上の労働時間 家政婦は待機時間と実労働時間のギャップが大きいのが特徴 84%
週一の休みがない シンガポールでは割増給与で休みを取り消すことができます 58%
休みの日の労働 シンガポールでは割増給与で休みを取り消すことができます 41%
悪生活環境
鍵をかけて寝る場所が提供されない 30%
自室などプライベートな場所に監視カメラ設置 8%
不適切な就寝場所 7%
給与
給料が安い 本レポートでは母国平均給より安いものが該当 25%
休暇の日に働いても割増賃金がない 11%
給料がない 2%
危険労働
一人でするには困難な作業 7%
危険な作業 5%
品位がない仕事 3%
賃金操作
雇用主が不法な給与天引きをする 4%
雇用主が不法に給与支払いを拒絶 4%
労働関係法や契約書への遵法がない
サインの前に契約書を読むことを認めない 6%
契約書にサインをしていない 1%

CNN日本語版の誤訳

CNNの記事には、

  1. 誤訳 (英文記事から日本語記事に翻訳した際に誤りが発生)
  2. 事実誤認 (英文記事時点で間違いが発生しており、日本語記事にも誤りが継続している)
  3. 補足説明 (記事の事実関係は正しいが、情報不足のため誤解を招く可能性がある)

への言及が必要です。
CNN日本語版は、CNN英語版を訳したものですが、誤訳が含まれています。英日両文を併記し、訂正します。

調査対象者の平均月収は381ドル(約4万2000円)。食費や家賃が含まれていることが多く、これらを差し引くと158ドルしか残らない。平均的なシンガポール人の月収は2013年のデータで3694ドルなので、家政婦はその1割程度しかない。
According to the report's findings, the average monthly income of the workers interviewed was $381 (S$515) a month, often including meals and board, reduced to a net income of $158 (S$225) if they send money home to their families.

CNN英文記事の訳には以下が適切なはずです。
「調査結果によると、家政婦の平均月収は381米ドル(515シンガポールドル)であり、しばしばこの金額には食事や住居が含まれている。家族に仕送りを行っている場合には、手元に残るのは158米ドル(225シンガポールドル)になる。」
CNN日本語訳では、額面給与と手元に残る給与の差分は、(仕送りではなく)食費や家賃の支払いと誤って書かれており、全く意味合いが変わり致命的な誤訳になっています。

この誤訳を招いた原因としては、CNN英語版にある下記の記述を、まとめて書いたためと思われますが、誤訳は誤訳です。
More than a third of domestic workers were also forced to pay for necessities, such as food and soap, despite government guidelines saying they were not supposed to be. (私の訳をつけます 「家政婦の1/3以上が、食事や石鹸のような生活必需品を払うように強いられているが、政府ガイドラインでは払わせるべきでないことになっている」)

上記内容に補足説明をします。シンガポールの制度でメイドは、衣食住・医療費・外国人雇用税は、全て雇用主負担です。そのため、雇用主がメイドに支払う給料は、全額がメイドの手取りになります。ですので、問題になるのは、「本来支払う必要がない日常生活品などの支出を強いられているメイドが、どれだけの割合いて、どれだけの金額を支払っているか」になるはずですが、そこにはCNNでは言及ありません。

2013年にシンガポールの平均収入は3,694米ドルとのことですが、収入統計は平均値より中央値が好ましいです。平均値を使うと一部富裕層が押し上げるため実態との乖離が大きくなるためです。また、出所がILOですが、シンガポール政府が中央値の給与を発表しています。2013年は3,705シンガポールドル(2,962米ドル)、最新の2017年は4,232シンガポールドル(3,066米ドル)です。

CNN英語版での事実誤認

CNN記事には事実誤認が含まれています。CNN英語版の記事から事実誤認があるため、日本語記事にも誤った内容で訳されています。

フィリピンやインドネシア出身の若い女性らが住み込みで家事や子どもの世話をする仕事に就いている (略)
当局に登録されている外国人家政婦の人数はアジアで香港が最も多く、シンガポールは第2位。同国では3世帯に1世帯が家政婦を雇っている計算だ。家政婦は労働人口の17%を占める。
In Asia, Singapore is second only to Hong Kong for having the largest number of documented foreign domestic workers employed in their country, typically young women from Indonesia and the Philippines.
Domestic workers make up 17% of Singapore's total workforce, according to the report, with an estimated one in three households relying on them for housekeeping and caring duties.

シンガポールでメイド用の就労ビザの発給は、2017年6月時点で24万3千です。

シンガポール総労働者数は367万人です(2016年)。つまり、メイドは労働人口の(17%ではなく)7%です。

17%というのは、総労働人口ではなく、(永住者を除く)外国人労働者数137万人に対するメイドの割合です。

シンガポールの総世帯数は126万(2016年)。メイドを複数人雇用している家庭もありますが、1世帯1人と仮定します。すると、メイドの雇用世帯は約20%であって、(記事に記載の3世帯に1世帯ではなく)5世帯に1世帯の雇用率となります。

なお、「若い女性」と書いていますが、20歳代前半で未婚のメイドは多くありません。メイド用のビザは23歳以上であれば発給対象です。ですが、メイドは育児を中心に、家事・介護が必要な家庭で雇用されているためです。育児目的には、自分の子育て経験がない未婚女性は、避けられます。また、不要なトラブルを避けるために、家庭内に独身女性がいることを避けたい傾向が後押しします。雇用主の留守中に「メイドが恋人を連れ込んで」というのは、悪評の一つです。

CNN英語版への補足説明

記述は事実なのですが、情報が不完全のため、誤解が生じる可能性があるものに、捕捉説明をします。

対象者の3分の1は、家族で唯一の稼ぎ手だったという。働いて仕送りしなければ、家族が食べていけない状況だ。
"These women mainly endure these situations out of economic stresses ... in one third of the cases in our study, the worker was the only bread winner in their family, which means if they do not work and send money back home, they will threaten the survival of their family," she said.

シンガポールでメイドのビザの性別は女性に限定されています。つまり、CNNの記述が正しければ、「夫が働けない、働いていない、夫がいない家庭」が1/3も占めている、ということです。これは極めて高い数値です。夫が病気・怪我などの事情で働けない、離婚や死別で夫がいない、というのが少なからず含まれているのでしょうが、それより「夫に勤労意欲がない」「夫に仕事がない」家庭が日本人の一般感覚より多いことが想定されます。メイドが母国の働かない家族に仕送りを続けるのも、よく聞く話の一つです。

最低賃金の規定はなく、労働時間の指針は「妥当な仕事量」に抑えるとの表現にとどまっている。
Unlike Hong Kong, Singapore doesn't guarantee a minimum wage for maids and guidelines on working hours only call for a "reasonable workload."

家事労働で問題になるのは、拘束時間と実労働時間の乖離です。
例えば、メイドが朝6時に起床し、朝食作りから始まり、昼は掃除洗濯、子どもの世話や遊び相手になり、夜は晩御飯の片付けまでして、午後8時に労働終了すると、拘束時間は14時間にもなります。しかし、特に昼間に働き通しであることは考えにくいです。実労働時間は14時間の半分もないでしょう。
シンガポールではこの乖離の大きさを理由の一つに、「妥当な仕事量」に抑えるとの内容になっています。日本でも家事使用人は労働基準法の適用外です。
しかしながら、家事労働であっても、その"特殊性"を考慮せず、他の労働と同じように拘束時間で測られるべきという風潮に世界は向かいつつあります。日本でもシンガポールでも、通いの家政婦・メイドであれば、拘束時間に対して支払われるのが一般的です。


以上のように、今回のCNN記事は、シンガポールの環境へも、家政婦へも、理解不十分で書かれているという前提で読んで下さい。

シンガポール国内報道

シンガポールは、言論の自由に制限があります。国境なき記者団が発表している「2018年世界報道自由度ランキング」では、シンガポールは180カ国中151位となっています。
しかしながら、これは居住民である私の感覚では「そこまでひどくない」「相対比較でもっとひどい国は多くある」というものです。シンガポールは英語圏なので、海外報道に触れるのが容易ということもありますが、それだけではありません。シンガポールに住んでいると政府に都合が悪い内容も国内で報道されていることを、しばしば目にします。言論の自由への制限の目的は、多民族・宗教へのヘイトスピーチでの民族紛争を避けることが、名目だからです。とはいっても、その延長で政府批判へのメディアの自己検閲や、民事であっても破産に追い込まれる政治家からの多額の名誉毀損訴訟もあります。

今回の「リサーチ・アクロス・ボーダーズ」の調査については、最大手新聞のストレイツ・タイムズは私には見つけられませんでしたが、テレビ局のチャネル・ニュース・アジア (CNA) が「シンガポールのメイドの10人中6人が搾取されている」というタイトルで、粗悪な住環境・長時間労働、給与の控除、暴力について、報道しています。

シンガポール政府の反応

「メイドの大半は雇用主に搾取されており、5人に1人以上が強制労働を強いられている」との調査結果を、シンガポール労働省 (MOM) は酷評しました。シンガポール最有力紙ストレイツ・タイムズなどが報道しています。

シンガポールのメイド雇用において誤解されやすい状況を描いており、労働搾取の単純化しすぎた解釈をとっていると、政府は反論しています。
リサーチ・アクロス・ボーダーズの結論は、「奴隷労働が体系的に可能になっている」としており、これは国連の専門機関である国際労働機関 ILO が定義した搾取と強制労働の定義によるとしています。ILO定義では、労働と生活の過酷な環境の組み合わが搾取となると調査は延べています。働かなかったことへの罰や、他の形態でも抑圧が雇用主からあれば、強制労働と位置づけられます。10%のメイドは、仕事を見つける過程において、騙されたか強制されたかで、人身売買と特定されるとリサーチ・アクロス・ボーダーズは主張しています。
しかし、シンガポール労働省 MOM は「指標を解釈する際に、メイドの特有の性質が考慮されていない」と調査が指摘している搾取に同意していません。例として、メイドの仕事と個人の時間を分けることが容易ではないことをあげています。メイドに家の鍵を与えず、家を離れるのに許可を必要とするものは、「隔離」や「監禁」と考えるべきではないとシンガポール労働省は言っています。
リサーチ・アクロス・ボーダーズの研究員は、シンガポール労働省の指摘であるメイドの仕事の独自性を認めてはいますが、その独自性こそが「問題の本質」だと論じています。仕事と私生活の線引が曖昧だからです。メイドが脆弱なのは、シンガポールでのメイドの労働環境の体系的な性質と、労働規制と法律保護が不適切であることを意味していると、レポートは描いています。また、メイドと雇用主との間での力関係が極めて不公平であるとも述べています。外国人人材雇用法(EFMA)の対象ですが、雇用法 (EA) ではメイドが除外されていることを加えています。シンガポールに来る際に抱えるメイドの借金が、給料から天引きされることが、「母国の平均給与より低い平均給与に、メイドを深刻な経済困窮におく」と結論づけています。
シンガポール労働省の反論は、「外国人人材雇用法(EFMA)において、給与の即時払い、食事の提供、休日か休日への補償、住居、威容、安全な労働環境の提供がメイドに保証されている。」「これらは法律であってガイドラインではない。法に違反した場合には、罰金・禁固また将来のメイド雇用の禁止になりうる」というものです。雇用主がメイドに罪を犯せば、通常より1.5倍に罰則が強化される内容が、シンガポールの刑法にあります。
また、2015年にメイド千人に対しておこなった調査結果で、97%がシンガポールでの労働に満足しており、同じ割合の人が労働負荷は適切かもっと働けるというものだったと、シンガポール労働省は引用しています。リサーチ・アクロス・ボーダーズの調査結果は、メイド関連の他のボランティア福祉団体の経験とも相違があるためです。the Centre for Domestic Employeesが行った予備調査結果では、「メイドの85%以上が、シンガポールで働くことに、安全で、信頼でき、自信がある」と判明しています。同率のメイドが、シンガポールの法律は「公平で、虐待に取り組むのに十分に堅牢」と思っています。正式な調査結果は、2018年に公表されます。
別のメイド支援団体FASTも、自分達の経験と異なるので「困惑している」と語ります。FASTでは月に170件の電話問合せを受けていますが、内訳は、仕事の負荷は10%のみで、他が40%が海外シンガポールへの適応困難について、20%は契約や給与問題で、残りが雑多な問合せとのことです。FASTは、調査対象がフィリピンとインドネシアであって、ミャンマーのような他の国が対象になっていないことを指摘しています。

シンガポールとリサーチ団体での論点整理

論争で整理すべきは、

  • 事実の認識不一致
  • メソドロジーの適切さ
  • 解釈の妥当性

です。今回の件に当てはめると、シンガポール主張とのギャップは下記のようになります。

  • 事実の認識不一致: ミャンマー人メイドが調査対象から欠落。
  • メソドロジーの適切さ: 政府調査結果との差異。ILO基準への異議(例: 雇用主の家の鍵の所有)。
  • 解釈の妥当性: 法律の整備と実際の運用状況の差異(例: 日用品の自腹購入)。


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