今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

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うにうに @ シンガポールウォッチャーです。

2012年から書いているブログで、結構な記事がたまっています。最近は、コロナでのシンガポール地元記事の垂れ流しが多く、そこへの興味外の人は興味ある記事にたどり着くのが困難だと思われます。
はてなブックマークは人気記事順にもでき、ある程度のガイドになります。ではどうぞ。

https://b.hatena.ne.jp/site/uniunichan.hatenablog.com/?sort=count


うにうに

シンガポールのリーシェンロン首相を振り返る

シンガポールで20年間首相を勤めたリー・シェンロン氏が、2024年5月15日に退任します。私の主観で選んだ出来事と功績を振り返ってみたいと思います。

英語・中国語・マレー語を操る"帝王学"

リー・シェンロン首相は、シンガポールで"国父"とも言われる初代首相リー・クアンユー氏の長男です。リー・クアンユー氏は、31年間と超長期にわたり首相を務めました。その後、ゴー・チョクトン氏が、13年間、第二代首相となり、リー・シェンロン氏は第三代首相で20年間です。
建国以来、国民の与党PAPへの圧倒的な支持を受け、他国と比べ安定かつ長期での在任期間です。

リー・シェンロン氏は、ナショナルジュニアカレッジを卒業した後に、大統領奨学金とシンガポール軍海外奨学金を獲得。英国ケンブリッジのトリニティ・カレッジで数学を専攻します。同時に、コンピュータサイエンスのディプロマも取得。2015年には、C++で書いた数独の解法コードをネットに公開したことで「コードを書く首相」として話題となりました。
社会人になってからは、ハーバード大学ケネディスクールで公共政策の修士も取得しています。
・シンガポール首相府: Mr LEE Hsien Loong

ここまでであれば、一般的なエリートなのですが、リー・シェンロン氏のすごいところは、マレー語話者ということです。英語・中国語・マレー語と3つも操る政治家は、シンガポールでも極めてまれです。「国民の96%と母語で話せる」というのは圧倒的です。シンガポールには4つの公用語があります。この3つに加えて、あとはタミル語です。
建国記念日演説やコロナ禍での首相メッセージで、3ヶ国語を切り替えて話すのは圧巻でした。コロナ禍では演説中に、湯呑みから飲むと言語が変わるので「あの中に何が入ってるんだ」「リー首相のマジックカップ」としてバズり、首相府でも広報に使っていました。
www.straitstimes.com
マレー語の習得は、リー・シェンロン氏がマレー語を学び始めた幼少期から、首相になる可能性を秘めていた帝王学を授かっていたことを示唆します。シンガポールで、マレー語を話す経済的なメリットはないためです。そしてその可能性を認めて推したのは、父、リー・クアンユー氏です。5歳の時からのマレー語教師に学び、「ペラナカン家族に生まれ育ったので、リー・クアンユーは自分の子どもがマレー語を学ぶのは役に立つと、考えた」とのことです。
・asiaone: PM Lee pays tribute to teacher who taught him Malay when he was a child

父のリー・クアンユー氏は、中国語に相当な苦労をしたと、本人が語っていたことで有名です。母語が英語の家庭だったからです。リー・クアンユー氏が中国語を学習し始めたのは、政治家になってからのことです。始めるのは遅くとも、晩年まで学習を続けました。
人心掌握のために、父と子は並々ならぬ努力をしています。

軍と政府ファンドを掌握

古来から、国を掌握する要は軍です。シンガポールで政府は、軍を重視しており、男子国民と永住者二世には全員兵役があるため、省庁での地位も高いです。

リー・シェンロン氏の社会人としてのキャリアは、奨学金を得た軍で始まります。男子皆兵の兵役に加えて、職業軍人にもなったということです。
シンガポールで政府奨学金を得るとタダでは済みません。卒業後に、奨学金を出した省庁での数年間の就労が引き換えになります。省庁には軍も含みます。軍の奨学金を得た時点で、職業軍人になることは確定していました。わずか31歳で、准将(brigadier-general)にまで出世します。これは軍の歴史でもっとも若いものです。

初当選し、政界入りをしたのは、1984年。32歳です。そして直ちに、通商産業省と国防省の重職の閣外大臣を兼任します。1987年に通商産業省の大臣、父であるリー・クアンユー氏が首相をおりた1990年には副首相、1998年にシンガポール通貨庁MASの会長、2001年に財務大臣、2004年から首相です。

2度の結婚

その間に、リー・シェンロン氏は2度の結婚を行っています。最初はWong Ming Yang氏と、次にホー・チン氏とです。
Wong Ming Yang氏は、マレーシア出身で、英国ケンブリッジ大学医学部を卒業した医師です。二人が学ぶケンブリッジ大で出会いました。1978年に、リー・シェンロン氏27歳、Wong Ming Yang氏26歳で結婚。1980年に第一子、1982年に第二子を授かります。ところが出産の3週間後に亡くなります。死因は心筋梗塞でした。
・wiki.sg: Wong Ming Yang

ホー・チン夫人、テマセクCEO

ホー・チン氏との結婚は1985年です。Wong Ming Yang氏の子どもとは継母になり、2人の男子を産みます。
ホー・チン氏のキャリアは国防省で始まります。結婚後に、国防政府系企業Singapore Technologies (ST Engineering)にdeputy directorとして入社。1997年には会長兼CEOになります。
2002年には、これまでの国防や製造と畑違いの金融になる政府系投資会社テマセクにダイレクターとして入社。リー・シェンロン氏が首相となった2004年にはCEOになり、2022年までCEOを務めました。

シンガポールには、2大政府系投資会社があり、テマセクの他はGIC (the Government of Singapore Investment Corp) です。テマセクは財務省の管轄であり、GICはMAS金融通貨庁の管轄です。GIC会長は、シンガポール首相であるリー・シェンロン氏です。リー家が、2大政府系投資会社を管理していたことになります。

ホー・チン氏は、首相夫人というハイプロファイルから、言動が注目されています。


SNSをかなり使っており、選挙を経た政治家ではありませんが、政治的な発言に踏み込むこともあります。

西側メディアとの紛争

ブルームバーグやエコノミスト誌が、ホー・チン氏のテマセク役員就任を「縁故主義」とする記事を出します。名誉毀損での裁判となり、リー・シェンロン氏とリー・クアンユー氏とゴー・チョクトン氏に、謝罪と賠償金の支払いを行いました。
・The New York Times: Bloomberg News Apologizes To Top Singapore Officials
・THE IRISH TIMES: 'Economist' apologises to Singapore PM

2007年には、ファイナンシャル・タイムズ紙が謝罪し、賠償を行っています。「リー・クアン・ユー氏が息子の首相就任を助けた」「ホー・チン氏がテマセクCEOになるのを助けた」「CEOになったホーは、義理の兄弟になるリー・シェンヤン氏が(テマセクが大株主として影響力を持つ)DBSのCEOになるのを助けた」と意味する記事を書いていました。
・ロイター: Financial Times apologises to Singapore PM, father

2010年、「若いリーは業績で到達できなかった地位と推測」した記事で、ヘラルド・トリビューン紙を持つニューヨーク・タイムズが訴えられ、S$16万の賠償金を支払っています。
・ロイター: New York Times pays damages to Singapore's leaders

日本では朝日新聞が、『「縁故主義」批判が広がっている』と書いた記事に、首相府から『どのぐらいの民衆が不満を述べているのか、具体的根拠を示してほしい』と、訂正と謝罪を求めらたと当時の駐在員が独白しています。
・AERA: 「愚民観」で国を統治 豊かなシンガポールの闇

なお、シンガポールで首相の報酬は開示されており、S$220万(2.5億円)と世界一高額です。人材採用と汚職を防ぐ目的で、公務員は他国比で高めの給与に設定されています。
ところが、テマセクは報酬開示はされていません。そのため、国民のなかで時折議論になります。

国民からの高い支持

シンガポールは"一党独裁"と言われることがありますが、不適切です。一党独裁ではなく"一党支配"です。開かれた立候補者から、普通選挙で国民からの信任を得ているのがシンガポールです。つまり、野党が存在するが、単に国民支持に弱く選挙で勝てないだけなので、一党独裁ではありません。
与党PAPは、独立後、選挙得票率で60%を切ったことがありません。これは先進国で驚異的です。ですが、その一方で、90%近い議席を専有しており、与党に有利な選挙制度になっています。
uniunichan.hatenablog.com

国民が与党政策を支持をしているのは間違いないのですが、それに加えて、高額賠償金を求める名誉毀損裁判で、中傷と憶測も封じ込める体制を作っています。西側メディア以外にも、国内でネットメディアやブロガー相手に名誉毀損裁判を起こしています。ブロガーは一般人であっても、名誉毀損でS$15万を得ています。

日本だと、安倍晋三氏を指して"下痢"だの揶揄しても平気だった一方で、

と、公党であっても、言論の自由を尊重していると思えない行動をとっています。

リー・シェンロン氏はシンガポールで尊敬を得ています。政策への支持のみならず、罵詈雑言の回避も下支えしているでしょう。
罵詈雑言であっても、民主主義のコストとして認められるべきであり、発言力がある政治家なら法律や行政でなく反論で対応して欲しいと私は思っています。ですが、政治的安定性が代償なら、繁栄しているシンガポールを見ると、コストに見合っているのかとは複雑になります。

なお、シンガポールでは、首相の支持率、支持政党、個別政策への支持率は、主要マスコミが滅多に調査しないことも、シンガポールの特徴です。

シンガポールを富裕国に押し上げた

シンガポールの政治家というと、今の家父長的な国の制度を作り上げたリー・クアンユー氏が知られています。
uniunichan.hatenablog.com
31年間と長期に渡って首相を務め、マレーシアから独立、シンガポール発展の基礎を築きました。そのため、リー・クアンユー氏が経済発展も導いたという説明も見ることがありますが、誤解です。東南アジア内では貿易国として、周辺国よりかは栄えていましたが、あくまで周辺国と比べた場合です。シンガポールが経済発展を遂げたのは、リー・シェンロン首相の間です。

一人当たりGDPで日本と比較します。

IMF: GDP per capit

・IMF: GDP per capita, current prices
・リー・クアンユー首相: 1990年退任。日本のバブル時代で、一人当たりGDPで日本に倍の差があった。シンガポールが"アジア四小龍"の一角で、成長しながらも新興国だった時代です。
・ゴー・チョクトン首相: 日本がバブル崩壊から脱却できず、日本の背中がシンガポールに見えてきた頃です。
・リー・シェンロン首相: リーマンショック前後で日本に追いついた後にも、成長はとどまることなく、日本と3倍近くもの差がつきました。

日本人に有名なシンガポールの建物は、マリーナベイサンズですが、カジノ解禁に踏み切ったのは、リー・シェンロン首相でした。
uniunichan.hatenablog.com
リーマンショック頃は、日本人にはシンガポールを「南の島の発展途上国」とする見方が残っていましたが、今は見上げるばかりの富裕国になっています。

米中関係でのシンガポールの立場

中国の威嚇で始まった首相デビュー

2004年、リー・シェンロン氏は首相になるわずか1ヶ月前の副首相の時に、台湾を訪れます。
シンガポールは中華系が多数を占める国ですが、シンガポールが中国と国交を持ったのは、1990年と実は遅いのです。日中国交正常化は1972年なのと比べてもわかります。これは、共産党がリー・クアンユー氏時代からの政敵で、警戒が続いていたためです。そのため、中国と国交を築いた後も、中台間でバランス外交をとっています。訪台は、首相になってからは台湾に訪問できない、という政治的判断に基づくものでした。
中国は猛反発。その後の建国記念日演説で、リー・シェンロン氏は、台湾の独立姿勢を非難します。
中国が経済力を付け始めていた頃でもあり、不安をよんだ出来事でした。

軍の共同演習は続くなど、台湾とは今も特別な関係でありつづけていますが、ローレンス・ウォン氏が、就任前に台湾訪問をしなかったことで、中国はほくそ笑んているはずです。

米国とは準軍事同盟国

1988年にシンガポールは空軍訓練で米軍基地の利用を開始し、1990年にはシンガポールは米軍に自国基地の利用提供を開始しています。

中国の経済発展に乗りながらも、中国を警戒

今のシンガポールの外交では、「米中間でポジションをとらない」を建前としています。「米国か中国のどちらかの選択を迫られることは迷惑だ」と常々言っています
シンガポールへのFDI最大の投資国は米国です。その一方で、2013年以降、最大の貿易相手国は中国です。このどちらかを失う選択肢は、今のシンガポールにはないでしょう。
これは、「賢いシンガポール政府は米中間で美味しいとこ取りができる」との"願望"が前提になっています。
ただしそれは短期的な話であって、長期的にはいつまで中国の覇権を抑えて、綱渡りを続けられるかは不確かなため、米国をアジアに繋ぎ止め、日米同盟を持つ日本、台湾海峡での現状維持が、最重要課題です。
シンガポールは、日米同盟を支持し、「米国がこの地に関わっていること、日本が米国を補完、経済に加え安全保障でも日本の存在を増大」させることを望んでいます

シンガポールは中国の衛星国になるのか?
FICA (外国介入対策法)

中華系が多数を占めることから、「シンガポールは中国の衛星国」と見られることがありますが、(少なくとも現時点では)違います。中国とは別の自国の利益判断で動いています。
国の歴史として、シンガポールは反共国家です。また、国民感情としても、発展途上国の中国人を好きではありません。
uniunichan.hatenablog.com

シンガポールは中国と国境を接していませんが、中国の覇権政策はシンガポールにとっても脅威であり、中国を暗示した圧力は発生しています。
元中国人の米国籍のシンガポール国立大学教授を、スパイとして国外追放しています。政府は明言していませんが、中国のエージェントだったとされています。
医療機関SingHelathのサイバーアタックで150万人のデータ流出が起きたのも、中国が背後にあり、首相の健康データが狙いだったのではと言われています。

ビラハリ元外務次官は、習氏が「全てのチャイニーズ」という言葉を使う時、曖昧さを悪用と指摘。「全てのチャイニーズは中国の夢を支持すべき」といった言説は「多民族シンガポールを揺るがす直接攻撃」と断じています。政府として中国への警戒は高くあります。

2021年に、外国介入対策法(FICA)を制定。香港出身で、シンガポールに帰化した男性が2024年に始めて対象になりました。男性は、過去の香港動乱で香港警察を指示する集会を開いて、警察の警告をうけている人物です。2023年には、中国の人民代表大会に"海外中国人代表"として呼ばれ「中国は未来を表す国だ」と述べていました。

中国に飲み込まれるシンガポール人

残念ながら、政府ほど賢く立ち回れていないのが、国民です。文化的親和性がある中華系を中心に、国民は中国に自発的に飲み込まれつつあります。SNSやWeChatによる浸透が言われます。

2022年に発表された、ピューリサーチの調査では、「世界情勢で正しい方向に習近平は進んでいる」との項目に、シンガポールの69%が同意する一方、バイデン大統領には48%への同意にとどまりました。米中では中国の方が好ましい、という意味です。このギャップ差は、調査対象国で最悪のものでした。調査対象の19ヶ国のうち、中国の方が好ましい結果になった国は、シンガポールとマレーシアのみです。マレーシアはイスラム教国であり、これまで米国から冷遇されてきたので、この結果も分かりますが、シンガポールは先進国で唯一ぶっちぎりの結果です。
・ピュー・リサーチ・センター: Across 19 countries, more people see the U.S. than China favorably – but more see China’s influence growing

シンガポール人のTikTok CEOが、米国議会証言で、
議員「中国籍を申請したことは?」
CEO「妻と子どもは米国籍だが」
議員「中国共産党員だったことは?」
議員「天安門事件を知ってるか?」
CEO「シンガポール国民として2年半の兵役についた」
と荒唐無稽なやりとりが行われました。
これは、米国人のアジア人への解像度が低く、中国人と中華系の区別がついておらず、米国のシンガポールへの理解は一般的にこの程度だと捉える方が妥当なはずです。

また、米国側の理解不足だけでなく、シンガポール自身が、経済成長のために、
「中国には、中華系の同胞アピール」
「米国には、資本主義陣営アピール」
と二枚舌
を行ってきた結果でもあります。
米中間を泳ぎきって、国家主権を維持できるかの勝負は、ローレンス次期首相が正念場です。

移民政策

シンガポールは、人口の4割を外国人(含む永住者PR)が占める移民国家です。単純労働力も、国を成長させる高技能/経営者ホワイトカラーも、外国人が労働力を担っています。
「シンガポールは移民国家だから」でよく片付けられるのですが、実は紆余曲折を経ています。シンガポールの国の成り立ちは移民国家ですが、建国後しばらくは人口抑制政策をとり移民に否定的でした。今の「人口の4割が外国人の人口構成」を定着させたのは、リー・シェンロン政権です。

リー・クアンユー時代の前半、人口過多が貧困原因として、中国の一人っ子政策にも似た、出生抑制策を取っていました。ましてや移民の余地はありません。1970年から86年まで「子どもは二人まで」キャンペーンを国は実施。1977年に、早くも人口維持が可能な水準を下回ると、高所得の大卒女性を優遇し、低収入家庭には避妊手術に$1万を提供し、国民が猛反発します。
uniunichan.hatenablog.com

人口統計で外国人が初めて確認されるのは、1980年と実は最近です。

シンガポール人口

・出所: シンガポール統計局を元に筆者作成

「外国人労働者は調整弁」発言

シンガポールで外国人は参政権がないという単純なものではなく、居住外国人の社会保障を制限しています。社会保障費をとらず、社会保障を提供しないやり方です。一時的に労働力を提供する存在だからです。
リーマンショック時に、外国人を優先した解雇の政策をとったことで、「外国人は調整弁だ」「だから入国を認めている」「景気が悪いときにはバッファとなる」「国民に選ばれた政府として、国民の利益を優先する」と言い切っています。


(2008年12月5日の外国人記者団とのランチでのスピーチのようですが、アーカイブにはスピーチのみが残っていて、動画のQAは記録がありません)

この国民優先政策は、コロナ禍での解雇政策にも引き継がれました。外国人と国民なら、国民の雇用を優先すべき、ということです。

2011年の総選挙で、PAPが得票率が60%にとどまったのは急激な移民政策への反発が原因で、政府は移民流入をゆるめています。シンガポールであっても、移民政策は国民の不満が発生しやすいところです。

お家騒動

リー・クアンユー氏の死後、残された子どもの間でお家騒動が勃発しました。38 Oxleyという住所にあったリー・クアンユー氏の住居を、取り壊すか、国の遺産として保護するかという話です。
長男リー・シェンロン氏は国の遺産にしたいと考えています。次男リー・シェンヤン氏と長女リー・ウェイリン氏は、偶像化を防ぎたいとのリー・クアンユー氏の意思にそって取り壊したいという考えです。兄弟間で紛争となりました。

リー・シェンヤン氏と家族は様々な処分の対象になっています。
本人は、偽ニュース防止法 (POFMA) の適応を受け、大臣から名誉毀損訴訟を起こされています。現在は、ヨーロッパに実質亡命しており、シンガポールに帰国しないことを示唆しています。夫婦は警察に出頭要請を受けていますが、これに応じていないためです。

リー・シェンヤン氏の妻であり、最後の遺言を扱った弁護士のスエットファーン氏は、リー・クアンユー氏に相違点を詳しく説明しなかったとして、懲戒特別法廷で懲戒処分を受けています。
長男は法廷侮辱罪で罰金判決を受けています。

公式見解

政府系大メディアのストレートタイムズ紙が、リー・シェンロン首相20年を振り返る特集をしています。こちらが"正史"になるはずです。政府視点での見解を知りたい方はどうぞ。
・ストレートタイムズ紙: Bringing everyone along: PM Lee reflects on 20 years at the helm

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マリーナベイサンズからの夜景

テイラースウィフト地域独占ライブは、シンガポール株式会社の勝利か、外交失敗か

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。
シンガポールでは3月2日から、テイラー・スウィフトのライブが6日間あり、色んな話題が出ております。一番議論になっているのは、
「シンガポール政府が補助金を出して地域独占公演にした」
ことです。近隣諸国はテイラーの招致を封じられました。今回の騒動の結論から言うと、こういうことです。


ファンもテイラーもシンガポール政府も、みんな、みんな、損をしました

シンガポールでのライブ開始前。行った人にもらいました。
シンガポールを見事に刺したタイ首相

タイでは、2014年のテイラー・スウィフト公演が、軍部クーデターのため中止されました。今回、タイでライブが行われないのは、同様に「政情不安定が原因では」などとのファンからの突き上げを受け、政治問題化します。タイ政府はテイラーのプロモーター側に打診した結果、「シンガポールは、ライブ1回に最高300万米ドル(4.5億円)を提供し、地域の独占契約とした」とタイ首相が暴露し、"密約"として国際ニュースになり、大騒動が始まります。
・Bangkok Post: Srettha: Now he knows why Taylor Swift skips Thailand

タイ首相が暴露しなければ、「シンガポール株式会社すげぇ」で終わっていた。

タイ首相は、誘致できなかった責任回避として、国内での注目をシンガポールにずらすことに成功しました。
他国へのここまでの言及は、首相自身でなければ難しいでしょう。契約が暴露されたことは、シンガポールにはさすがに想定外だったはずです。契約は漏れないはずですし、そこまで他国が恨むとも思っていなかったはずです。
暴露がなければ、「シンガポールだけが東南アジアで誘致できてすげぇ。観光収入でもウッハウハ」と、シンガポールへの評価はスカイロケットだったのでしょう。

・AFP: T・スウィフトさん招聘に補助金 「臆測より低額」 シンガポール

フィイリピンでも国会議員が、自国外務省にシンガポールへの抗議を求めています。「よき隣人がすべきことではない」

シンガポール特有の招致理由: 外需国家

テイラー側が独占開催を受けたのは、機材運搬や設置の煩雑さを避けられることに加え、東南アジア唯一の先進国として、チケット代を近隣発展途上国より高額にできるからとも言われています。

アジア太平洋では、シンガポール以外の開催は、日本とオーストラリアです。そのどちらの国でも、政府は補助金を出していないと報じられています。
・BBC: Bad blood over Singapore Taylor Swift Eras tour subsidies
なぜ、シンガポールだけが補助金を出してまで、招致する必要があったのか、招致した方が得な計算になったのか。それは、シンガポールが外需に頼る国だからです。
日本やオーストラリアが公演をしようが、観客は大半が自国民です。"経済効果"と言ったところで、国内で別のところに向かうはずだったお金の使い道が、テイラーに向かうだけで、国民の娯楽以上の成果はありません。ところが、シンガポール政府観光局(STB)は外国人比率の見積もりの開示を拒否していますが、かなりの海外からの観客がいると見られています。つまり、海外からお金が降ってくるのです。飛行機・ホテルは値上がりをし、レストランも特需があると報じられています。
これは、ミニF1効果です。シンガポールF1では30万人の観客が訪れ、そのうちの49%が外国人観光客です。

閑古鳥が鳴いていたナショナルスタジアム

シンガポールで、ライブができる大規模収容施設は、2つです。インドアスタジアムとナショナルスタジアムです。このうちインドアスタジアムは1万人強収容、ナショナルスタジアムは5万人強収容です。シンガポールの人口は600万人なので、ナショナルスタジアムは人口の1%近くも収容可能です。テイラーは、ナショナルスタジアムで6日間開催で、観客はのべ30万人です。人口の5%相当もが訪れるので、驚異的です。

ナショナルスタジアムが開業したのは2014年。それからつい最近まで、実は閑古鳥が鳴いていました。シンガポールで、それだけの規模のイベントは滅多にありません。建国記念日パレード(NDP)やプレミアリーグ親善試合など、箱を埋めたのは数えるほどしかなかったはずです。
結果として営業不振で、当初の半官半民から、2022年に国営化されてました。

コロナ前のシンガポールのライブで、私にとってのバリューは、

  • 東南アジア唯一の先進国のため、結構ビッグネームが来てくれる
  • チケット獲得競争が小さい
  • 巨大施設でも交通便利で、ライブ後もさっさと家にたどり着ける

でした。

シンガポールは"ハブ"国家

当たり前ですが、シンガポール政府は「ナショナルスタジアムを建てたのは間違いでなかった」ことを証明したいと考えているはずです。
シンガポールに住んでいると「ハブ」という言葉を良く聞きます。「国と国を結ぶことで、(内需が小さくても)外需で食っていこう」という意味です。シンガポールが得意とする地域本社誘致もチャンギ空港も港湾のパシパンジャンターミナルも同様です。ナショナルスタジアムでも同じことを狙っていたはずです。自国の観客以上に、海外観客の誘致です。テイラーのライブこそがシンガポール政府がしたかったことなのです。

閑古鳥が鳴いていたのが一変したのが、コロナ後です。適当に言うなら「コロナ後のリベンジ消費」です。一人ひとりに購買力はあっても、人口が圧倒的に少なかったシンガポールが、ナショナルスタジアムで完売と複数日程を連発します。Coldplay 6日間公演、Ed Sheeran 2日間公演と、コロナ前を考えると圧倒的です。

何が違うのか、私には説明できません。私もテイラーのチケット買おうとして見事に失敗していますw 日本でも海外でも、好きなアーチストのライブのために、わざわざ海外にまで泊まりがけていくのは、お金も時間も両方必要です。普通の人はどちらか一つしかもたず、一つ持っていれば十分恵まれています。そんな人が、数万人単位でシンガポールに訪れるとは、なかなか信じがたいです。
そして、自国で開催されなかったため、時間やお金の都合で行くチャンスをのがした多くの人がその裏にいることを、意味します。

小国の悲哀

シンガポールが、F1やテイラー誘致に必死になるのは、それがシンガポールにできる国をあげた最大のイベントだからです。人口600万人の都市国家のシンガポールは小国です。たとえ国民個々にはお金があっても、オリンピックやワールドカップのような世界最大規模のイベントを開催することは、土地でもインフラとしても不可能です。何度もオリンピックを開き、お腹いっぱいになっている日本やオーストラリアとは違うのです。そのため、国威発揚や国のブランド形成のために、小規模な国際イベントに頼るのです。

F1開催で担当大臣が賄賂で起訴

そしてそのF1開催を巡って、所轄の運輸大臣が収賄で起訴されています。閣僚の汚職事件は37年ぶりです。
政府の権限が強いシンガポールでは特に、汚職は亡国につながると考えられています。リー・クアンユー初代首相が31年間という長期を勤め、一党支配でありながらも、腐敗しなかった稀有な国がシンガポールです。反汚職監視団体であるトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数 (CPI) では、シンガポールは世界5位です。
・トランスペアレンシー・インターナショナル: Corruption Perceptions Index

今回、シンガポール政府はビジネス上の機密として、政府補助金額を明らかにしていません。「ネット噂されている金額ほど多くない」とのみコメントしています。政府補助は当然、国民と在住者を含む税から捻出されます。日本政府では、具体的な使い道が明らかにされないのは、官房機密費ぐらいではないでしょうか。軍事・外交には機密性が高い活動があることは理解しますが、税が使われているのはエンタメです。政府が契約に入るなら開示が前提であり、開示できない契約はできないのでは、と私は思うのです。政府が民間企業契約を守秘義務として非開示とできるのは、独特に思われます。

"シンガポール株式会社"

現在、世界で成功している国の一つなだけあって、シンガポールにはいくつもの際立った特徴があります。

  • 企業のような政府
  • 一党支配
  • 家父長的制度と価値観
  • 移民国家
  • 高所得
  • タックスヘイブン
  • 厳罰。反汚職
  • 良好な治安

企業のように柔軟で合理的で目的意識がある政府を指して、"シンガポール株式会社"とも呼ばれます。(日本でしか通じない脊髄反射ワードの”明るい北朝鮮”と違って)英語があり、Singapore Inc.です。テイラー誘致でのシンガポール政府の動きはまさに"シンガポール株式会社"でした。「ライブをすることを聞きつけて、大臣を筆頭にした交渉団を2023年2月には米国に送り、他国が動き出す前に、開催権を得た」と文科相自身が豪語しています。以前からある表現ですが、BBCでも「多国籍企業を誘致するようにティラーを誘致した」と書いています。
F1のように毎年定期的に行われるものでないので、ことさら瞬発力が大事だったはずです。F1汚職では、誘致への政府判断に悪影響はなかったと政府はしていますが、短期間で大規模になるほど、エリートへの依存が深まり、同時に汚職を排除することも困難になるのではないでしょうか。

外交と他国民感情への影響

正面突破姿勢のシンガポール政府

シンガポール政府の普段の外交は、繊細で相手国を良くたてているように、私には見えます。自国から追い出されて水利権を握っているマレーシアと、人口大国インドネシアに挟まれて、並々ならぬ苦労を見ます。
ところが、近隣諸国民にはシンガポールは評判が良くないです。とはいっても、近隣諸国に評判が良くないのはどの国でも同じで、「だから同じ国じゃない」、というのが定番の説明ですが。近隣諸国民がシンガポールに持ってるイメージは、「表では理屈を並べて、裏では金でひっぱたいて、ちょこちょこやってる国」です(ソースはオレ)。今回は、"密約"を含め、それに見事にはまる件で、首相を含めて「アーチスト誘致を頑張ったシンガポールが優秀なだけですが、それがなにか?」という姿勢を崩しません。何かあった時に裏でシンガポールが糸を引いてるんじゃないか、という「シンガポール陰謀論」を、今後10年は近隣諸国に築いたように思います。

独占開催権は、民間企業なら特に問題もないでしょう。ですが、政府には外交があり、自国民だけでなく、他国政府と他国民感情に大きく影響を受けます。
シンガポールでは文科相が「シンガポールのテイラースイフトの契約で秘密を漏らした者には、シンガポール政府は措置を考えている」と国会で発言し、その記事がタイで万バズしました。タイ語の引用RTの内容はシンプルです。「テイラースイフトと政府の契約を漏らしたものは法で対応される、とシンガポール政府と国会の連中が言ってる」


タイ人は、自国開催がなくなったことで、観るチャンスを多くの人が失い、怒り狂ってるのが分かります。
Mailonlineは「シンガポールとテイラーをボイコットしろ」「典型的なシンガポールのやり口だ。他の国より先にやってのけた」というSNSの声を拾っています。

「開催にインセンティブを出す」までが政府ができること。
「近隣諸国での開催禁止」は政府が踏み込むべきでなかった

がバランスだったと私は考えます。他国開催の制限は、他国との関係を悪化させます。民間企業ならばともかく、政府には不利益が発生します。
シンガポール首相も、従来の政府・大臣見解を踏まえた発言を出したことで、シンガポールの姿勢が確定しました。近隣諸国に"配慮"はせず、周辺国のブーに正面突破です。
「(地域独占公演は)非友好的とは違う」
「(シンガポールの)努力の成果」
「契約がなければ他国で公演したかは、テイラー次第」
一時的な観光収入と引き換えに、タイ首相が暴露するまで地域独占契約が伏せられていたことも加え、強化された「裏で暗躍する」"シンガポール陰謀論"を払拭するには時間と労力が必要でしょう。居住者の私には残念なことです。

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12年ぶりのシンガポール大統領選挙: 新大統領の妻は日系人

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。シンガポールで12年ぶりに大統領選挙が実施され、ターマン・シャンムガラトナム氏が70.4%の得票で第九代大統領に当選しました。投票率は93%でした。国民の3/4が中華系を占めるシンガポールで、「国民の直接選挙になってから初の中華系でない大統領の選出」となります。

ターマン氏: 選挙ビラ

前回の大統領選については、こちらを参照ください。
uniunichan.hatenablog.com

ターマン氏の圧倒的人気

ターマン氏が「大統領選に出馬」と聞いた時に、「これで決まり」と大半の現地民は思ったはずです。それぐらい人気のある政治家です。シンガポールで大統領は儀礼的な役割が大半で、実際の権限は首相が持ちます。そのターマン氏が首相後継に選ばれなかったのは、

  1. 現首相から5歳しか若返らえない
  2. マイノリティであるインド系

が理由とされています。
1は決定的で妥当な理由に見えます。シンガポールで首相は、建国以来、3人しかこれまでいません。任期が、初代リー・クアンユー氏は31年、第二代ゴー・チョクトン氏は14年、現在の第三代リー・シェンロン氏は19年です。長期政権が期待されるシンガポール首相で、1期しか恐らく務められないのは、国や党の運営に合わないはずです。
2つ目は、「保守派やサイレントマジョリティーをおもんばかって、国の分裂を避けた」ということになりますが、「シンガポール人は中華系以外の首相を受け入れられるか」は時々持ち出されるテーマです。2022年調査では、70%前後の国民がマレー系やインド系首相を受け入れると、回答しています。
・CNA: Changing attitudes to idea of non-Chinese prime minister or president, CNA-IPS study finds
シンガポールは、マレーシアからの独立の経緯より、民族にしばられた「マレー人のためのマレーシア」がアンチテーゼです。「シンガポール人のためのシンガポール」が、シンガポール国民に根付いていることを示します。
ターマン氏自身は、「中華系でない首相を受け入れる準備は、シンガポールにはいつでもできている」と述べています

ターマン氏の略歴

1957年2月25日生まれ。現在、66歳。インド系タミル人のシンガポール人として第四世代です。中国語学習者であり、尚达曼という中国名を持っています。
シンガポール生まれ。名門アングロチャイニーズスクール(ACS)で学びます。その後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学学士、ケンブリッジ大で経済学修士を取得、ハーバード大で公共経営修士を取得。社会人としてのキャリアはシンガポール通貨庁(MAS)で始めます。
与党PAPに所属し、2001年から2023年まで、国会議員。2003年から2008年は教育相。2007年から2015年は財務相。2011年から2019年には副首相を務めました。
国際的にも、国際通貨金融委員会(IMFC)の議長、世界経済フォーラム(WEF)の評議員会や、国連事務総長の諮問機関メンバーなどの役職を歴任しています。
大学での専攻、公務員、大臣として、経済の実務経験を積んでこられた方です。

今回の選挙戦で、自宅に入れられた宣伝を掲載します。英語・中国語・マレー語・タミル語の4つで記載されていました。英語と中国語の記載を掲載します。インド系にもかかわらず、中国語では尚达曼と名乗っているのが分かります。ご自身の習字も掲載されています。
また、ターマン氏の隣にいる女性は、奥様のイットギ氏です。

ターマン氏、選挙ビラ(英語)
ターマン氏、選挙ビラ
大統領の妻は日系人

日本人に一番とっつきやすい所は、これでしょう。ターマン氏の妻、ジェーン・イットギ・ユミコ氏は、名前からも察しが付くように日系人です。
父は日本人、母は中華系シンガポール人です。3歳からシンガポールに在住です。母語は潮州語で、小学校入学時点では、英語はできなかったと話しています。日本語は話さないが、初歩を学習中とのことです。
ターマン氏とは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで出会いました。イットギ氏は法学部修士修了、ターマン氏は経済学を学びにイギリスに来ました。
イットギ氏はシンガポール美術館SAMの諮問機関長といった政府や、若者・元受刑者・貧困家庭支援の社会事業を行ってきました。ターマン氏とは、パワーカップルです。
・ストレートタイムズ: Tharman launches bid for presidency, cautions against ‘artificial distinctions’ based on past affiliations

シンガポールの大統領とは

シンガポールの大統領は、憲法で「国の代表 (Head of State)」と定義されています。
儀礼的な活動を中心に行います。外交・文化振興・慈善活動・賞や奨学金などです。諸外国で、国政とは別に儀礼的な存在を持つのは、血統や宗教を背景にしていることが多いのですが、そうではなく民選なのがシンガポール大統領の特徴です。

数少ない権限は、経済危機時などに緊急時に利用される政府準備金への拒否権などに限定されます。それ以外の活動については、政府か大臣の助言に従って行います。例えば、大臣の任命や恩赦は形式上は大統領が実施していますが、首相や政府の助言に従います。つまり、これらには、大統領が独自の判断はできません。日本での、天皇の国事行為にたとえることができます。
また、大統領が拒否権を発動しても、議会で2/3以上の投票を得れば、拒否権を覆すことができます。

シンガポール大統領の権限
  • 政府準備金使用への拒否権
  • 行政と政府系企業の重要職任命への拒否権
  • 宗教調和維持法 (Maintenance of Religious Harmony Act) での制限解除への承認と拒否権
  • 治安維持法 (ISA) での拘束延長への拒否権
  • 汚職調査局 (CPIB) が扱う捜査が停止になった際の拒否権

・イスタナ (シンガポール大統領府): President's Duties

大統領は党派性を持たないことが求められており、立候補にあたり政党離脱が必須です。ですが、政党の所属経験者も離脱すれば良いため、理念にとどまり、単に手続き要件として見られるのが一般的です。過去に所属した政党からも完全に独立して大統領の職務を行っている、という見方は一般的ではありません。

なお、シンガポールで投票は国民の義務で、未投票者にはペナルティがあります。
そのため、投票日は祝日になります。今回も急遽、投票日の9月1日が祝日になりました。

シンガポールの政治で大統領選が持つ意味: 直接選挙制

実権がほぼない国の代表職は、役職より選挙が大きな意味を持ちます。それは、国民の直接投票で決まる直接選挙制だからです。シンガポール与党PAPのアキレス腱になっているのが、大統領選の直接選挙制です。

「シンガポールは一党独裁」という不正確な表現を日本人なら聞いたことがあると思います。正確には、「一党支配」です。なぜ不正確かというと、シンガポールには不正がない選挙があり、国民の意思で現与党PAPを長年選出し、そこから首相が選ばれているためです。
ところが、選挙自体には不正はないのですが、選挙結果と民意には乖離があります。得票率61%にとどまる与党が、議席の89%を得ていることです。なぜこういう結果になるかについてです。小選挙区制は二大政党制をすすめ、国家の意思決定を容易にするという解説がされます。小選挙区制をさらにすすめたグループ選挙区(GRC)という選挙制度のためです。一つの大選挙区に4人か5人の議席が割り振られ、勝った政党が全ての議席をとる制度です。1人以上のマイノリティ民族を立候補者に含むことが、GRC制度の意義です。ですが、これにより、与党が議席の総取りに近くなります。シンガポールの政治の安定を作るメリットもありますが、反映されない民意もでてきます。
uniunichan.hatenablog.com

ところが、大統領選は国民の直接選挙です。そのため、得票率が60%ぐらいだと、候補者選定などに失敗すれば、与党関係者が落選する可能性があります。これまで一党支配を続けてきた与党には、凋落の黄信号であり、絶対に避けなければなりません。実際に2011年大統領選挙では、わずか7千票差で与党PAP出身者が薄氷の勝利をしています。非与党が分裂立候補していなければ、与党出身者が負けていました。

立候補者 得票数 得票率
トニー・タン 745,693 35.20%
タン・チェンボク 738,311 34.85%
タン・ジーセイ 530,441 25.04%
タン・キンリン 104,095 4.91%

2017年大統領選で民族指定に制度変更されたのは、2011年大統領選で僅差に迫ったタン・チェンボク氏の立候補阻止だと、野党支持者は考えています。

215の役職経験者にしかない被選挙資格

シンガポールの大統領選挙の特徴の一つは、非常に厳しい被選挙資格です。シンガポールの大統領選挙は、「年齢など最低限の資格をクリアすれば、誰でも立候補でき、国民が選出する」という選挙ではありません。いくつか特徴的なものを抜き出します。

  • 45歳以上
  • 国内に10年以上居住
  • 不適格要件に該当しないこと
  • 立候補日に政党に所属していないこと
  • 清廉潔白・優れた人格・評判を備えていること
  • 過去20年以内に、公職か民間の業務要件を満たすこと
    • 公職要件
      • 大臣、裁判長、国会議長、司法長官、公益事業委員会PSC議長、会計検査院長、会計主任、事務次官への3年以上の勤務。
      • 憲法が定める政府系企業CEOへの3年以上の勤務。
      • 3年以上の公職での実績を大統領選管PECが認めること。かつ、大統領の職位を効果的にこなせるとPECが認めること。
    • 民間要件
        • 企業CEOでかつ以下を満たすこと。
        • 勤務3年以上
        • 在任期間中にS$5億以上の資本金
        • 在任期間中に平均して利益を上げていること
        • 在任期間中に税引き後、平均して利益を上げていること
        • 立候補以前に職を退いている場合には、退任から3年以内か、選挙の布告までに、企業が解散していないこと。
      • 3年以上の民間での実績を大統領選管PECが認めること。かつ、大統領の職位を効果的にこなせるとPECが認めること。

特に過去の職業要件が対象者を限定します。
民間要件では、資本金S$5億(約500億円)以上の企業のうち、シンガポール人が代表(CEO/MD)をつとめているのは165社しかありません。
公職要件では、50の役職しかありません。

この要件では、コメディアンだったウクライナのゼレンスキー大統領は、立候補するできないことになります。また、専業主婦(夫)も立候補できません。国民の投票での判断より、立候補要件が優先され、ごく一部のエリートのみから選ばれるのがシンガポールの大統領なのです。

厳しい審査を経た立候補者の不祥事は選管の責任か

非常に厳しい職業要件に加え、選管の判断で立候補を認めないことが可能です。
タン・キンリエン立候補者が、以前から公開していたSNSで、pretty girls等とルッキズムな投稿をしていたことで、立候補後に炎上しました。2022年以降、18投稿が数えられています。選管は、立候補者の形式的要件だけでなく、「integrity, good character and reputation」という立候補者の資質も評価する内容になっているため、選管の責任を問う声が上がりました。
選管の回答は、「立候補資格証明はSNS投稿への支持を意味しない」というもので、資格証明の発行前にSNS投稿を見ていないとのことでした。選管の評価能力や過失で、立候補に影響がでるのが現状です。
・ストレートタイムズ: Eligibility cert for Tan Kin Lian not an endorsement of his online posts: Presidential Elections Committee

罰金刑を受けていた与党出身の最有力候補

今回当選した与党PAP出身のターマン氏も、立候補資格に疑問視をする人がいます。公務員時代に、業務で罰金刑を受けているためです。
1992年、シンガポール通貨庁でダイレクターをしていたターマン氏のオフィスの卓上に置いていた経済成長予測データが、エコノミストに見られ、回り回って新聞報道されました。公務秘密法OSA違反で起訴され、$1,500の罰金刑を受けています。
なお、この時の裁判で、アシスタント弁護士を務めたのは、妻のイットギ氏でした。
・mothership: Tharman opens up about his 1992 Official Secrets Act case: 'They got the wrong man'

ターマン氏の大統領立候補資格をはく奪すべきと、活動家の弁護士が最高裁判所に申し立てました。刑事事件前科があるものは大統領選に立候補できないとの憲法規定がありますが、資格喪失は罰金の場合は$1万より多くなければなりません。ここだけでは資格喪失にはなりません。そのため、世界経済フォーラム(WEF)の評議員会を辞任していないことが、シンガポールへの忠誠の誓いに反している、というものも申し立てに加えています。
・mothership: M Ravi files Supreme Court application to disqualify Tharman from PE2023
この訴えは、却下され、敗訴となりました。

解釈の余地があることに、意見が上がるのは、特に不思議はありません。これは、選管が権限を持っている限り、今後も避けられないでしょう。
日本での選管の役割は、年齢や公民権停止など、形式的なものの確認にとどまり、それ以上の判断は有権者がすることになっています。刑事事件で前科がある、後藤真希の弟でタレントの後藤祐樹に、被選挙権があり、千葉県八街市議選で当選したのはその典型です。
選管の見落としや判断ミスに、選管と選挙民にどう責任が発生するのか、どう立候補評価のラインを引くのか、という議論は、選管が"身体検査"をする権限があるかぎり、避けられないでしょう。

今回の大統領選の着眼点

今回の大統領選の着眼点に、以下3つを私はあげます。

  1. 無投票当選だった現職大統領の不出馬
  2. 首相と紛争中の弟への逮捕の可能性
  3. ターマン超重量閣僚の出馬

無投票当選だった現職大統領の不出馬

2017年大統領選では、他の立候補者に選挙資格が認められず無投票当選となり、反発を受けたハリマ・ヤコブ大統領。民族枠がなくなり、大統領選挙実施が確実視される中、立候補をしないことを表明します。「熟考の末、不出馬を決断した」との簡潔な説明のみで、具体的な理由を本人は明らかにしていません。

野党系メディアは、ネット投稿からの引用で、

  • 不出馬は「(目立った業績がない)在職での最良の偉業」
  • 選挙になれば当選しないことを分かっていたから再出馬をしなかった
  • 前回は選挙を経ずに、政府内部からの選出で就任したが、今回は政府内部からも選出されなかった

と評価しています。

紛争中の首相の弟。消えた出馬

最も期待された非与党からの立候補者は、リー・シェンロン現首相の弟のリー・シェンヤン氏です。
シェンヤン氏は、初代首相であるリー・クアンユー氏の父の遺産の住居を、取り壊すか、保存するかで、シェンロン首相と紛争中です。シンガポール・テレコムのCEO経験があり、立候補要件を満たすシェンヤン氏が、最有力の非与党立候補者になるのではとの期待が高まっていました。本人もその可能性を言及しています。
ところが、紛争を巡る裁判手続きから、警察に事情聴取を要請され、数ヶ月ヨーロッパに事実上亡命し、帰国時の逮捕の懸念から出馬の断念に追い込まれます。弁護士である妻は、既に15ヶ月の弁護士業務停止命令をうけており、息子の一人は政府批判のFacebook投稿で罰金刑にあっています。
・ブルームバーグ: Singapore PM Lee’s Estranged Brother Weighs Presidential Run

ターマン超重量閣僚の出馬

絶対に落とせない大統領選への回答が、国民に絶大な人気を誇るターマン氏出馬でした。
リー・シェンロン首相から後継者への引き継ぎが難航しています。「次の首相になるのは誰か」が議論されていた2016年に、最も国民人気が高かったのは、ターマン氏でした。この風刺画はよくできています。


「首相候補で誰を一番選ぶか」というBlackbox社アンケートで、ターマン氏が55%を獲得。2位のテオ・チヒン氏17%の3倍以上の支持を得ました。
当時、ターマン氏自身は自分が首相になることを、固辞しています。

そのターマン氏が大統領に立候補した時にでた数少ない反対意見
「有能なターマン氏を、権限がない大統領にするなんて、無駄遣いだ」
という逆説的なものでした。

選挙での話題

結果としては、70%の得票を得たターマン氏圧勝なのですが、野党支持者は今回の選挙で困ったはずです。ターマン氏の個人としての人気は圧倒的なのに、非与党の対立候補が失言等でどんどん自滅していくのです。
国会議員総選挙では、1984年以降、与党PAP得票率が60%~75%の間で動いています。つまり、何であろうと与党にいれない人が25%いるわけです。そこから上乗せが5%しかできず、非与党で合計30%しかとれなかったのが、野党支持者から見た今回の大統領選挙結果でした。
選挙前後で話題になった出来事を、列挙します。

与党PAPの不祥事

大統領選直前に大きなスキャンダルが3つも与党PAPを襲います。

  • 運輸大臣とF1スポンサー富豪の汚職捜査
  • 国会議長と国会議員の不倫辞職
  • 国有高級バンガローGCBを2大臣が賃貸

・TIME: A Wave of Scandals Is Testing the Singaporean Government’s Ability to Take Criticism
与党PAPへの国民の不満が高まっていました。今回の70%を超える得票率の選挙結果から「与党PAPへの信任」との見解をロイター共同通信朝日が出していますが、違うでしょう。今回は「与党PAPへの信任」ではなく、「ターマン氏個人への信任」です。厳しい立候補要件や、首相弟の出馬断念で、批判票の受け皿になる対立候補がなかった結果です。それに、「シンガポール大統領は無党派であるべき」、という建前も、その効果を押しました。今、解散総選挙があれば、与党PAPは議席を減らす可能性が大です。
政府影響下にある地元紙ですら「与党PAPへの信任ではない」「ターマン氏個人の業績結果」だと書いています。

民間出身ジョージ・ゴー氏の出馬却下

ターマン氏に続いて、大統領立候補表明をしたのが実業家のジョージ・ゴー氏です。今回、最有力の非与党立候補者と思われていましたが、選管が立候補承認を出さずに、出馬は挫折。選管の理由は、資本金要件は1社単独でなければならないが、5社を足したものでしか、満たせていないからです。
ジョージ・ゴー氏が出馬していても、当選には遠かったと思われますが、最有力の非与党候補が失われました。
・ストレートタイムズ: ‘I cannot accept the decision’: George Goh says disqualification from presidential race not fair

異動になっていた財務省勤務のターマン氏の子息

ターマン氏の息子Akilan氏は、潜在的な利益相反を避けるため、7月に財務省MOFの異なる職に異動になっていると、財務省MOFとPSCは発表しました。2022年6月にMOFに入省し、準備金投資で働いていました。準備金は大統領が拒否権を持つ業務です。現在は、教育・能力開発で働いているとのこと。
(自分の息子を秘書官にする日本の政治よりかはクリーンでしょう)

帰化をおとしめる発言

タン・キンリアン候補が、「シンガポール生まれの大統領と妻がいる機会をシンガポール人は好む」「我々夫婦は気高きシンガポール人だ」と発言。他2候補の妻はシンガポール生まれでありません。
ファーストレディの名称は、2000年以降使われていません。また、それ以前も慣習で法的根拠はありませんでした。
・CNA: Voters would 'prefer a chance to have' Singapore-born President and spouse, claims Tan Kin Lian
シンガポールで重国籍は許されていません。にもかかわらず、帰化を二級市民として扱う表現をしました。これは、生まれながらの国民と帰化の間に、断絶を生みます。
また、選挙を経ず、法的な地位がない配偶者をファーストレディとして公に持ち出し、選挙の争点としています。

筆者への連絡方法、正誤・訂正依頼など本ブログのポリシー

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