今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

勝共連合が芽吹いた時期に反共国家の基盤を作ったシンガポール

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。
安倍晋三元首相が射殺されました。
uniunichan.hatenablog.com
安倍晋三元首相の暗殺で、容疑者が恨みを持った統一協会、その政治団体である国際勝共連合への注目が当たっています。
勝共連合は岸信介元首相の後ろ盾で1968年に設立されました。シンガポールの独立は1965年です。日本でも東南アジアでも、反共産主義は当時の権力中枢との親和性が高かったのです。

シンガポールの話になると「あぁ、シンガは華僑の国で中国の衛星国家だから」という中途半端にかじった見解を持っている人がいます。
アホか
という説明を、当時の反共を巡る動向から行います。
確かにシンガポールは中華系が国民の70%を占める国ですが、民族は国の要素の一部に過ぎません。出身と国民意識の違いは、最近ではウクライナでも散々取り上げられています。シンガポールは、国の成り立ちからして反共国家でした。忘れている人がいますが中国は共産主義国ですから、シンガポールは中国との距離の置き方に繊細です。

この記事では1960年頃の"反共"のシンガポールと東南アジアの空気と、それがシンガポールの国民意識をどう形成したかを書きます。

マレー半島の先っぽにある点がシンガポール

シンガポールの簡単な独立経緯は、「マレー民族主義をとるマレーシアが、中華系が人口の大半を占めるシンガポールの扱いに手を焼いて、マレーシアからシンガポールを追い出した」というものです。「移民してきた中華系が、原住民マレー系を数で圧倒し独立した」というのは時々聞く嘘っぱちなので、気をつけましょう。水さえも自給自足できていなかったシンガポールは、マレーシアの後ろ盾なしには国として成立しない、というのが当時のコンセンサスでした。シンガポール独立演説で今後の行く末に不安いっぱいだったリー・クアンユー首相は、涙を流しています。

この当時の自由主義陣営国が頭を抱えていたことがあります。「どうやって共産主義者を政権から排除するか」です。しかも排除なのに、民主主義の制度で行う必要があります。共産主義者は、選挙で過半数をとることはありませんでしたが、各国で労働組合等を下部組織として一定の支持を得ていました。共産主義革命を実現するための憲法停止といった体制転覆が目標であり、暴力闘争や過激なストライキも手段としたため、非合法化する国がありました。
岸信介氏がCIAで様々な支援を受けていたのは有名ですが、リー・クアンユー首相もCIAからアプローチを受けています。違いは、リー・クアンユー首相がCIAからの賄賂(330万米ドル(1961年当時))を蹴ったことです。

共産主義者を利用した後に、叩き潰したリー・クアンユー

シンガポールの共産主義者

シンガポールで共産主義者は戦前から活動していましたが、日中戦争後の反日活動に注力することで、労働者の支持を得ます。第二次世界大戦勃発後は、宗主国イギリスへの反抗をひとまずは置き、反日扇動に集中。太平洋戦争が開始し、日本軍がマレー半島に上陸した数日後に、マラヤ共産党はイギリスに、刑務所にいた党員釈放を条件にイギリスに協力を打診し、イギリスは同意。シンガポール防衛の最大志願兵は共産主義者でした。シンガポールが占領された後にも、ゲリラとして抵抗運動を継続させています。
戦後は、帰ってきたイギリスと一旦は協力し、イギリスも活動を認めます。ですが、その後、イギリスの転覆と、共産主義による国の設立に戻ります。労働組合での激しいストを行ったことで、イギリスは多くの共産主義リーダーを逮捕。運動を過激化させ、1948年に3人のイギリス人農園主を殺害したことで、マラヤ共産党やフロントの労働組合は違法団体として宣言されます。

リー・クアンユー氏は、政権が強固になるまでは、共産主義者を含む急進左翼と手を組んでいました。これは、裕福な家庭出身、イギリスに国費留学するエリートで、当初は中国語を話せなかったリー・クアンユー氏では、選挙で広範な支持を得るのは不可能との判断のためです。



マラヤ首相から、共産主義者の追放をマラヤとの統合条件にされていたリー・クアンユー氏は、Lim Chin Sionを含め100人以上検挙する"オペレーション・コールドストア"を公安部隊が実施。裁判無しでの勾留を行います。Lim Chin Sion本人は共産主義者であることを否定していました。これで、共産主義者と政敵が一掃されます。
シンガポールでの共産主義者の抗争は、オペレーション・コールドストアで大勢が決します。シンガポールはマレーシアの州として統合され、その後の総選挙で与党PAPは得票率47%、議席占有率73%を獲得。国民から信任を得ます。ですが、民族衝突暴動などがあり、1965年にシンガポールはマレーシアからの独立を強いられます。

自民党・日本政府は共産主義への対応として、勝共連合等を利用しましたが、共産主義の"脅威"が冷戦終結で消え去った後も関係が続いています。その一方、シンガポールでは、共産主義者と手を組み、政権を取った後には公安問題にして叩き潰すことで精算しています。海外に事実上の亡命をし、シンガポールへの影響力を失った人(Lim Chin Sion)もいます。
結局は、「みそぎを済ませたシンガポールと、取り込まれた日本」とも対比できるでしょう。

反共国家のシンガポールは、共産党が支配する中国と距離を置く

それでは、最初の
アホか
の説明に戻ります。シンガポールは建国経緯からも強固な反共国家です。中国は中国共産党の国です。民族・文化としての親近感や、祖先の出身地という以上に、共産主義の脅威への対応を国として重視していました。民族としての親和性があるのに、イデオロギーが異なり、国としての独立を守るために、シンガポールは中国への警戒をゆるめていません。2017年にも、シンガポール国立大学教授(元中国人、当時米国人、シンガポール永住権取得者)をスパイとして追放しており、シンガポール政府は国を明言していませんが、中国のスパイとみなされています。
日本の中国との国交樹立は1972年ですが、シンガポールと中国の国交は1990年とかなり遅れました。今でも台湾とのバランスを重視し、シンガポールは台湾と共同軍事演習を行っています。

シンガポールは、主要民族である中華系・マレー系・インド系のリンガフランカとして旧宗主国の英語を標準語に採用しています。英語はその後にシンガポール経済発展の原動力となるのですが、英語教育を推し華人・華語教育を低下させることで、共産主義の拠点となっていた中国の影響を削ぐ目的も当時はありました。徹底した警戒です。

政府とズレてきた民意

中国と距離を置き、シンガポール人としてのアイデンティティを築いたシンガポールですが、経済的には中国の発展の尻馬に乗っています。
uniunichan.hatenablog.com
中国は、国民平均としてはまだ発展途上国です。富豪の中国人もいますが、一般的には、先進国シンガポールで中国人は、軽く見られているのが現状です。それに変化が見られつつあります。

「習近平氏を信頼」が70%いるシンガポール

米調査機関ピュー・リサーチ・センターの先進17ヶ国対象の調査(2021年)で、シンガポールでは「習近平氏を信頼」が70%に達しました。日本では、「習近平氏への不信感」が86%もありました。日本の真逆です。

これほどの中国への高評価には、私を含め、他のシンガポール関係者も首をひねっています。が、私は外国人であり、私の観測範囲は現役世代ホワイトカラーが中心であり、バイアスを否定できません。中華系高齢者などを含めた結果と、まずは受け止める必要があります。TikTokやWechatといった中国アプリや中華テック利用での親近感という指摘もあります。
「経済的には中国、政治軍事的には米国を中心にする政策を、エリートは使い分けてきたが、国民は中国に流されつつある」ということです。政府エリートは「賢いシンガポールは是々非々で中国に対応できる」と思っていたのかもしれませんが、国民レベルまでそれがほころびつつあることを示しています。
現在ではそんな気配は見えませんが、将来的にはエリートと国民のギャップが広まるか、エリートも侵食されると、シンガポールが中国の衛星国となる可能性もゼロではなくなっています。