今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

トランプ大統領誕生へのシンガポール首相祝辞~大国従属を避けバランサーを志向する小国~

シンガポール首相の祝辞

2016年11月9日(日本時間)、次期米国大統領にドナルド・トランプ氏が選出されました。アメリカの主要メディアで初めてAP通信が「トランプ氏が当選確実」と報じてから、わずか1時間半後に、シンガポールのリー・シェンロン首相が、お祝いのメッセージを自身のFacebookにのせています。私の訳を付けます。

ドナルド・トランプ次期大統領にお祝いを伝えます。トランプ氏の立候補は驚かせるものでした。選挙戦の局面において、トランプ氏は意表を突き、その旅は最終的にはホワイトハウスへとつながりました。
議論が巻き起こる荒れ模様の選挙の季節は、アメリカ国民をひどい分裂にさらしました。多くの人がこの結果を祝福し、一方、他の人が驚き落胆するのは理解できることです。しかし、6月の英国のEU離脱(Brexit)のように、トランプ氏の勝利は先進国での広範なパターンの一部です。現状への強い欲求不満と、一体感への再主張となんとかして体制を変化させたい強い願望を、反映したものです。
米国有権者は、自分たちを代表するベストと感じた大統領を、選出しました。シンガポールはこの決定を完全に尊重いたします。シンガポールと米国の強固なつながりを深めるために、我々はアメリカ合衆国とこれからも共に働き続けます。 リー・シェンロン
Facebook: Lee Hsien Loong

どちらの候補が当選してもメッセージは用意されていたとは思いますが、この率直な内容でトランプ氏の当選確実直後に間髪入れずに出してきたのは、シンガポールらしいです。
#補足: なお、選挙前にTime紙からリー・シェンロン首相がインタビューを受けていますが、Time紙が「クリントン氏が大統領になる仮定のもと」でインタビューを行っており、今からみるとシュールです。
Time: Singapore’s Lee Hsien Loong on the U.S. Election, Free Trade and Why Government Isn’t a Startup

首相のメッセージでは、米国を客観的に見ています。主要な指摘は2つ。2つ目の指摘は、自分自身も先進国であるシンガポールにも、今後跳ね返ってくる可能性があります。

1. 今回の選挙が米国民の分裂を招いた。
2. Brexitやトランプ大統領は、現在の先進国で見られる現象。

米国と中国との大国の間でバランスをとるシンガポール

シンガポールは人口561万人の小国でありながら、埋没せず独立を維持するため、地理条件や経済関係を活かして、大国の間でのバランサーを志向する外交方針です。大国従属に陥らず、大国や近隣諸国の中でバランサーとなる政策をとってきました。
安全保障や外交政策では米国と強固な結びつきを持ち、経済的には中国を成長エンジンにしながらも、依存しない絶妙な舵取りを行っています。
uniunichan.hatenablog.com

南シナ海での中国との摩擦

「航海の自由」と「法の支配」

中華系移民が国民の3/4を占めるシンガポールですが、移民4世以降が国民の中心となってきているため心理的距離がおかれ、増えすぎた中国人移民に国民感情として必ずしも歓迎していないのが実態です。そして政治的にも、南沙諸島問題への扱いで、中国政府系機関紙 環球時報と在中国シンガポール大使館との間で、議論が公開書簡で起こっています。

産経: 「法の支配」訴え屈さぬシンガポールに中国がジリジリと圧力…環球時報は「反省」を要求 「最大の貿易国をつまずかせるつもりか?」
Today: Singapore rebuts newspaper report on South China Sea ruling

シンガポールによる南沙諸島への関心は、領土問題の当事国ではないのでどの国にも加勢はしないとしながらも、南シナ海での「航海の自由」を維持できなければ、貿易国として国益に関わるとの考えがあるためです。また、シンガポールは、紛争は「法の支配」のもとに客観的に解決されるべきとの考えです。
ハブ国家であるシンガポールが繁栄するには、周辺貿易国が活発に活動できる平和な状態が望ましいです。アジアが平和であるためには、(中国のみが存在感を持つのではなく)アメリカの積極的なアジアへの関与が必要だとリー首相は明言しています。また、日本は日米安全保障条約を通じて、アジアで存在感を持って欲しいと、発言してきています。
uniunichan.hatenablog.com

環球時報は、シンガポールへの非難の中で、「"中国から経済的な果実を得ているにもかかわらず"、安全保障と政治的課題について米国と日本に同調するシンガポールの戦略は、初めから失敗が分かっている」という匿名の識者のコメントを載せています。
Today: Global Times continues drumbeat of criticism against Singapore

TPP拒否のトランプ氏と、推進してきたシンガポール

ハブ国家のシンガポールは、貿易推進のためにTPPをすすめてきました。しかしながら、米国雇用を守ることを理由に、PTTの否定が、トランプ政策の目玉の一つです。トランプ氏は「シンガポールのような国々はアメリカの仕事を盗んでいる」と発言しています。バクスターヘルスケアが199人を解雇し、仕事をシンガポールに移転したとの主張です。
Straits Times: Countries like Singapore stealing US jobs: Trump
また、法人税を15%に下げる、というトランプ政策は低税率で企業を誘致してきたシンガポールのお株を奪うものです。
TRUMP: TAX PLAN

米国にも中国にも依存せずに、自国の独立を保ちたいシンガポールにとっては、今後ますます難しい舵取りを迫られることは間違いありません。

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「君の名は」の世界進出は成功するか:シンガポールでのシンゴジラとの比較

邦画を積極上映するシンガポール

2016年11月3日(木)に、シンガポールで「君の名は」(新海誠監督)が封切られ、私も見てきました。英語のタイトルは"Your Name"です。
私は、アニメはジブリ程度しか見ないライトユーザーですが、新海誠氏はインド人の友人から「これ良いから見てくれ!」と以前に勧められて見て、私も好きでした。
シンガポールは日本文化に理解が深く、世界で数少ない邦画を割りと積極的に放映する国です。「君の名は」以外にも、ジブリ作品は毎回ですし、クレヨンしんちゃんは(シンガポールは一年中夏ですが)シンガポールでも夏の風物詩、今はデスノートも封切り間近です。在住日本人にはありがたいことです。
uniunichan.hatenablog.com

比較: シンゴジラ - 君の名は

「君の名は」の上映前に、シンガポールでかなり期待された邦画がシンゴジラ。体感で「君の名は」の倍以上の規模で積極的に宣伝され、都市国家にしてはかなりの上映館を持って開始しましたが、不評に終わりました。
この2つの映画を比較してみます。

シンゴジラ 君の名は
初期上映館数 19館 8館
私が見た際の客入り 1/4程度 満席近く
地元民日本人比率 地元民半数 8割が地元民
地元民評判 酷評 べた褒め

Golden Village: Your Name
Golden Village: Shin Godzilla
※上映館数: Golden Village系列
※客入り: いずれも木曜日に封切りされ、その翌日金曜日の夜に、同じ映画館で見ているので、比較条件は近いはずです。

ハイコンテキストすぎて、日本との文化ギャップで理解されなかったシンゴジラ

シンゴジラの評判はこうです。ソースは、上映映画館が映画の予約画面で感想も付けられるようになっているので、そこから。

上記の感想は一部だけですが、もうボロボロ。この自由記述の感想に加えて、5段階の評価もされます。これを、シンゴジラと「君の名は」とで比べてみます。「君の名は」封切りからまだ3日なので、十分な数があつまっていないことにご注意ですが、評価平均点がシンゴジラ2.2点、「君の名は」5点になっています。
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シンゴジラ 君の名は
投票総数 30人 5人
評価平均点 2.2点 5点

絶賛を受ける「君の名は」

映画予約サイトでの「君の名は」へのシンガポール人の感想に、私の和訳を付けます。

  • 「大好きです!」
  • 「素晴らしいアニメーション、歌、ストーリー。ラブストーリーで少しのコメディも!」
  • 「上映をず~~~~っと待ってました。もう一度映画館に見に来ます。これまでの新海誠の作品と違うけど、全く悪くない。」
  • 「この映画を二度見るでしょう。」
  • 「素晴らしい映画。もう一度見るべき。」

ツイッターでも以下のように絶賛。良い評判だけを選んだのではなくて、悪い評価がないのです。

なぜにここまで違うのか?

この違いは、以下の点を推測できます。

  • シンガポールにはアニメファンが一定数おり、日本の動向をチェックしているため、日本のアニメ上映ではアニメファンが観客の"基礎票"になる。
  • 結果として、シンガポール人での評判が固まる封切り直後から、「君の名は」満席になり、基礎票がないシンゴジラは苦戦した。
  • 「君の名は」の若者の恋愛のテーマには普遍性がある。
  • シンゴジラはモンスター映画に見せかけた危機管理映画。政治や意思決定などの日本特有の文化が下敷きになっており、日本人はそれを楽しみ、外国人には理解の障壁になった。

シンガポールでは日本のアニメなどサブカルチャーへの理解が深く、最大イベントAFA(アニメ・フェスティバル・アジア)では7万5千人の集客(主催者発表)を誇ります。複数日のイベントでの延べ人数ですが、人口560万人のシンガポールでは、1%強が参加しているお化けイベントです。

※注: シンガポールでもアニメファンは "Otaku" と自称していますが、日本のスクールカーストにおかれているような"下層"の"恥ずかしい"という位置づけではないです。スポーツ、音楽鑑賞などと同列の趣味の一つ。彼らは自虐的にならずに堂々と「自分はオタクだ」と言ってのけます。これは多民族国家であり、他人の宗教・文化・価値観は尊重(不干渉)すべきとの考えが徹底しているためと、私は解釈しています。

最初から世界市場で売ることを想定しているハリウッド映画では、ポリティカル・コレクトネスを踏まえ、できるだけ多くを想定顧客にできるような恋愛や勧善懲悪がテーマに選ばれています。シンゴジラも「君の名は」も、日本で高評価だから海外でも頑張って売ってみるか、という作品のはずです。そしてシンゴジラは、少なくともシンガポールでは観客との間に大きなギャップがありました。「君の名は」は舞台が日本ですが、若者の恋愛がテーマなので、日本の外でも受け入れられやすいはずです。
「君の名は」は封切りからまだ3日。日本だけでなくシンガポールや世界でもヒットになるか、シンガポールでは現在の満席の勢いを持続できるかは、オタク地元民の基礎票を超えて、外に波及できるかにかかっていますが、私には展開がよめません。

シンガポールに日本人長期居住者は3万人強、0.5%と少なくない人数がおり、大半を占める駐在家庭の経済力の高さから結構な存在感があります。しかし、邦画の上映でも日本人を見かけることはあまりありません。物価の高いシンガポールですが、映画は日本の半額で見られます。2Dの「君の名は」だと900円(S$12.5)です。日本人の皆様も、たまには映画館にも出かけられてはいかがでしょうか。

おまけ:「君の名は」最新の動員状況

封切り後4日目の動員状況です。8つの上映映画館のうちから、主要と判断した4つの予約状況を見ました。引き続き、9割ほど売れている模様です。



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安倍首相が弔問したシンガポール前大統領は、日本語堪能、日本赤軍テロの人質身代わりも務めた

S. R. ナザン シンガポール前大統領

S. R. ナザン シンガポール前大統領が2016年8月22日に92歳で亡くなりました。
安倍首相夫妻は、アフリカ開発会議 (TICAD) 出席のためにケニアに向かう途中に、給油のためにシンガポールに立ち寄り、弔問を行っています。出迎えはリー・シェンロン シンガポール首相夫妻等が行いました。

広島で原爆被害者に会った初の外国元首

弔問で安倍首相はナザン前大統領夫人に対して以下のように述べています。

「ナザン前大統領は,2009年にシンガポールの大統領として初めて国賓訪日され,その際に広島において原爆被害者に会われた初めての外国元首でもあり,日本国民はこのことを決して忘れません。」

弔問に先立った弔意メッセージでは、ナザン前大統領と日本の深い関わりを述べています。

『日本語も堪能な大変な親日家でもあられたナザン前大統領は,2009年に国賓訪日をされた今日の日本とシンガポールの友好関係の発展にも並々ならぬご尽力をされました。特に,1974年にいわゆるシンガポール事件が発生した際に,文字通り身を挺してその解決に多大な貢献をいただきました。』

その他にも、1973年から1986年の長年にわたり、シンガポールの三菱重工業で会長を務めています。
日本とシンガポールの外交は近年極めて良好です。安倍首相は、シンガポールのリー・シェンロン首相とも頻繁に会談しています。昨年、リー・クアンユー初代首相が亡くなった時には、国会期間中のため日帰りの強行日程で、安倍首相が国葬に参列しています。

ナザン氏が日本語ができるのも、情報機関に所属したのも、日本統治がきっかけ

ナザン前大統領は、日本語が堪能で、情報機関出身でした。太平洋戦争中に日本軍がシンガポールやマレー半島等を占領したことで、ナザン前大統領は独学で日本語を覚え、公務員としてのキャリアを日本統治下の警察で始めることになります。

幼少期に大変な苦労をしたナザン前大統領

ナザン前大統領は幼少期にとてつもない苦労をしています。

  • 幼少期に、大恐慌の借金を苦に父が自殺。
  • 小学校に入学し、優秀であったため学費免除となる。
  • 12歳。ボクシングの切り抜きに新聞を買うために同級生から分割払いをし、払えなくなったため、その同級生の教科書を売り飛ばし借金を返した。通報され、放校になる。
  • 16歳。次の学校で、同級生が教科書を失い、今回は盗っていなかったのに疑われ、放校となる。
  • いたたまれなくなって家出をして生活する。生まれ育ったシンガポール隣のマレーシアのジョホールで仕事を見つける。何かを成し遂げるまで家族に顔は見せないと決意。
  • 制服、革靴、小遣い欲しさに対日本戦に備えた志願兵に応募するが、体格が小さく落とされる。17歳で太平洋戦争に突入。
太平洋戦争での戦闘

マレーシアのジョホールのスルタン(君主)は日本と仲がよく、天皇から勲章をもらい、日本が所有する鉄鋼山やゴム園があったので、ジョホールが割譲されるとの噂すらありました。そのため、1942年1月11日に日本軍の飛行機が、ナザン氏がいたムアールをマシンガンで攻撃し爆弾を落としたのは衝撃でした。空襲の際に、ナザン氏は道端の用水路に飛び込んで難を逃れますが、その時にいた仲間は爆殺されています。

どのようにして日本語を学んだか

友人といた時に、市場への道を日本兵に尋ねられ、ナザン少年は道を教えます。その中のひとりの少尉は、ナザン少年が同行して店主と交渉するのを手伝って欲しいと主張しました。その将校は「アマヤさん」でした。フルーツを買うような用事をナザン少年に彼らは頼みました。支払いは軍票と日本の煙草でした。煙草は闇市で良いお金になるから喜びました。日本軍のキャンプに行き、なにか用事がないか聞いて回る日々でした。
ある日、アマヤさんは「どうして日本語を学ばないのか」と尋ねてきます。ためらっていると、親について尋ねます。「インド人」と答えると、「(インド人なのになぜ母国語でない)英語を学ぶのか」と聞いてくるのです。「生活のため」と答えると、「それなら同じ理由で日本語を習ってもいいんじゃないか、日本人は"しばらく"このあたりにいるんだから」と彼は言いました。次にナザン少年がアマヤさんに会ったとき、彼はナザン少年に英和辞書を与えました。辞書の助けと、日本兵から言葉を幾つかまねて、徐々に日本語に慣れていきます。当時のナザン少年の日本語はうまくはなかったが、おつかいをするのは簡単になり、お金が貯まります。

ナザン少年が日本兵からの信頼を得たのは、彼の人柄だけでなく、インド系というのも大きかったはずです。当時、日中戦争で中国を支援している中華系移民がおり、ゲリラを恐れるあまり、シンガポール華僑虐殺事件を引き起こしています。日本軍は、マレー系とインド系にはそこまでの警戒はしていませんでした。

アマヤさんは、上司のコクブさんを紹介ます。コクブさんは声を荒げることなく、尊敬を勝ち取っており、物事を成し遂げている人でした。彼はいくつかの助言をします。「ナザンは日本語ができるので、悪いことを頼んでくるやつがいるかもしれない。頼まれたことが正しいか間違っているかを、自分の良心に問わねばならない。」彼の助言は正しかったのです。多くの人が、ナザン少年を金持ちにしたり、トラブルに巻き込むような物事を頼んできたのでした。コクブの助言は、誘惑に打ち勝つ決心をナザン少年に与えます。当時、地元民には敵対的行為であるはずの日本人と働いていても、ナザン少年には復讐行為はありませんでした。
数ヶ月後、コクブは移動する直前に、運輸会社の日本人マネージャーにナザン少年を紹介します。通訳兼代理人として、ナザン少年が働くことになります。月給は100ドルでした。インフレが悪化する前の、日本軍進駐初期の給料としては結構な金額でした。
正直な従業員として、日本人マネージャーの信頼を徐々に得ます。数ヶ月後、ジョホールバルの本社で仕事をすることになります。

警察でのキャリア

ジョホールバルでは、警察と同じビルにある車両登録局に訪れることがありました。そこでの日本人責任者と仲良くなり、マレー語ができない日本人責任者のために、運輸会社から警察にちょくちょく呼び出され、彼の指示をマレー語で伝えていました。運輸会社と警察との間で、ナザン少年を巡っていさかいが始まり、運輸会社はナザン少年をあきらめ、ナザン少年は終戦まで警察司令部で働くことになります。
警察は大きく2つの部署があり、1つは通常の治安対応、もう1つは共産主義者マラヤ人民抗日軍 (MPAJA: Malayan People's Anti-Japanese Army) のような抗日ゲリラ活動対策でした。共産主義者への対応は憲兵隊 (軍警察) と協力して中華系が行っていました。多くの職員が汚職に手を出しており、終戦後はマラヤ人民抗日軍が報復するターゲットになります。
終戦後、ナザン少年は報復を恐れたが、幸いにも中華系からの悪感情は感じませんでした。

日本軍に働いたことへのシンガポールでの評価

日本軍占領下でのナザン少年の体験は、多くの人と大きく異なっていると自身で述べています。ジョホールの運営ではプロフェッショナルで公平な日本人がおり、管理業務をするためにマレー系とインド系に頼り、共産主義者との対峙には中華系に頼っていた。イギリスが作ってきた管理制度を保ち、英語を使用した。高い文化と民度を持つ日本人に出会ったとのことです。しかしながら、日本人役人の中に見た高潔な人格と、マレー半島とシンガポールで人々を日本軍が残酷に扱った野蛮さは、ナザン氏には同時には相容れないものでした。

当時は、日本軍のために働くことは敵対的行為でした。
ナザン氏は、終戦後にジョホール警察の仕事に応募した際に、面接官に日本統治下での通訳の仕事を否定され、「(日本軍への)協力者」だと非難されたと語っています。(*1)
日本人の中には「日本軍はアジアを開放した」という考えがありますが、日本軍が開放することはシンガポールは希望していません。シンガポール華僑虐殺事件、憲兵隊に代表される強硬な統治政策、経済的困窮のために、「暗黒の日々」と太平洋戦争は位置づけられ、イギリス統治がはるかに良かったと捉えられています。マラヤ人民抗日軍や136部隊といった抗日軍での活動が愛国的だったと評価されています。
しかし、ナザン前大統領やリー・クアンユー初代首相は、占領中に日本軍のために働いており、生き延びるためにやむをえなかったとみなされています。ただし、今でも野党支持のニュースサイトでは「ナザン前大統領は日本軍のために働いた売国奴だった」という評価もあります。
uniunichan.hatenablog.com

シンガポール事件とナザン前大統領

シンガポール事件は、シンガポールではラジュ事件 (Laju incident)と呼ばれています。
1974年1月31日、サブマシンガンと爆発物とで武装した4人のテロリストが、シンガポールのシェルの石油精製施設を爆破しようとしますが、1万5千シンガポールドルのオイルの流出という小規模な損害にとどまります。爆破の目的は、当時はベトナム戦争最中で、北ベトナムを支援するため、シンガポールから南ベトナムへのオイル供給を混乱させることが目的でした。当時のシンガポールは世界で3番目に大きい石油精製センターであり、もし爆破が成功していれば、数年間は地域のオイルが不足していたと見られています。
4人のうちの2人は、パレスチナ人民解放戦線からアラブ人、2人は日本赤軍からの日本人でした。
警察の追跡を受けて、テロリストはラジュ号というフェリーをハイジャックし、5人の船員を人質にします。
交渉の末、シンガポールからの安全な脱出と引き明けに、人質の開放にテロリストは同意。日本政府が手配した日本航空機で、クウェートに向かいます。当初は日本政府は飛行機手配を嫌がっていたのですが、在クウェート日本大使館で、テロリストが別の人質事件を起こしたことで、日本政府も最終的に折れました。
加えて、テロリストは、自分たちに同行する安全保証人を望んだため、ナザン氏が率いる13人のシンガポール公務員が、飛行機に共に乗り込みました。当時ナザン氏は、防衛省の保安情報庁 (SID) の所長 (ダイレクター) でした。
事件から40年近くたった2011年にインタビューに応えたナザン氏は「何が待っているか分からなかったので、自信がなかった。妻を見て「行ってくるよ」と言った」と当時を語っています。
ナザン氏は機内でハイジャック犯に話しかけます。現在では世界遺産に指定されたボタニックガーデンの道路向かいをアジトに彼らはしており、庭の穏やかさを懐かしがっていました。
クゥエートの空港に到着すると、周りをクウェート政府の武装車両で包囲されていました。クウェート政府は、シンガポール人代表団を長時間の交渉の末、しぶしぶ降機させます。これ以上、クェート政府は厄介事に関わりたくなかったのです。
シンガポール代表団は、クゥエート航空でバーレーンに出て、そこからシンガポール航空で帰国します。出発から2日近くが経っていました。
「この出来事が流血無く終わったことに個人的に感謝してる」とナザン氏は述べており、長年この事件に触れてこなかったことには「私がしたのは仕事だった。我々全てが忘れたい出来事なのだ」とのことです。
ハイジャック犯はクウェートから、犯人受け入れを表明した南イエメンに向かい、現地政府黙認の上で逃亡しています。

一般弔問

8月25日の一般弔問に行ってまいりました。場所は国会議事堂です。
シンガポール首相府: Details of funeral arrangements for Mr S R Nathan
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※筆者撮影。夜のシンガポール国会議事堂。
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※筆者撮影。議会内は撮影禁止のため、テレビモニターから見えるナザン前大統領の議会での安置。