今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

リー・クアンユー シンガポール初代首相:華僑虐殺を超えた戦後処理が最大の対日功績

シンガポール初代首相であるリー・クアンユー氏が、2015年3月23日午前3時18分(現地時間)に亡くなりました。91歳でした。

賛否入り混じる評価

リー・クアンユー氏は、ポジティブな評価とネガティブな評価を併せ持つ政治家です。幾つか取り上げてみます。

ポジティブ ネガティブ
経済発展をもたらした:購買力平価で一人あたりGDPは日本3.6万米ドル、シンガポール7.9万米ドルと倍以上(世界銀行) 経済発展/民族融和を優先させるため言論の自由に制限をかけた:国境なき記者団による世界報道自由ランキングで日本61位、シンガポール153位
国からギャングを一掃し治安を安定させた 裁判手続なしで危険人物を監禁する治安維持法を施行した
35歳から31年間の長期に渡り首相としてシンガポールを導いたが、汚職にまみれなかった(1959年に米国CIAが賄賂に申し出た330万米ドルを断り暴露しています) 政権与党PAPが長期に続き、代替となる野党の選択肢に欠いた
次期リーダーの擁立に成功した 継承者は息子だった

民主主義のような制度ではなくリーダーに頼る国として、次期リーダー擁立に成功したことは特筆すべきです。2月5日に肺炎で入院し、2月21日に入院が発表されました。しかし、その後のシンガポール証券取引所のストレーツ・タイムス指数は特段の動きをしていません。彼はシンガポール人の精神的支柱ではあっても、彼の死はシンガポールに実質的なインパクトを最早もたらさなかったことを示しています。

シンガポール華僑虐殺事件

リー・クアンユー氏がシンガポールに与えた影響や経歴については、述べる人が他にもいますし控えます。代わって、リー・クアンユー氏と日本の関わりの中から、私は太平洋戦争の戦後処理を取り上げます。
太平洋戦争中、日本軍はシンガポールを占領します。山下奉文大将がイギリス軍パーシヴァル中将に「イエスかノーか」と言った舞台はシンガポールです。占領後、日本軍はシンガポールを昭南島と改名し、シンガポール華僑虐殺事件 (Sook Ching) を引き起こします。シンガポール国立図書館は殺害人数として「文書がないので正式な殺害数は不明である」という前提の元に、日本の公式見解では5千人殺害、日本人新聞記者の証言として「当初は5万人を殺害計画していたが、半分に達した所で止めた」を併記しています。
虐殺の対象がなぜ中華系であったかについては、5年前から始まっていた日中戦争で中華系に中国支持者がいたことをあげています。

※注:現在では、中国から移民してきた世代と離れたことで中国離れがすすみ、特に現役世代はむしろ中国人に反感を持つ方が多いです。

中華系であるリー・クアンユー氏自身も華僑虐殺からすんでの所で逃れています。日本軍の占領後、すべての中華系住民は検査のために集まるように命じられます。出口を憲兵隊が封鎖し、何万人もの中華系が集められている中に彼も集まりましたが、おかしいと感じたため「家に所持品を取りに帰っていいか」と機転を利かせて憲兵隊に許可を得て、逃げ出しました。集められた人の中から中華系虐殺事件の殺害者が選ばれていたことを、後ほど彼は知ります。

日本軍の占領期間は「シンガポールの近代史で最も暗黒の年」とシンガポール国立公文書館が位置づけています。これがシンガポール華僑虐殺事件を起こした日本統治時代への評価です。今でも「私の祖父は日本軍に殺された」という人にシンガポールで出会います。

虐殺を超えた戦後処理

この国民感情を変えたのは、時間に加えて、なによりリー・クアンユー氏のリーダーシップでした。
1962年に日本軍に虐殺された大量の市民の遺体が見つかったことがきっかけで、反日感情が高まる中で慰霊の日本占領時期死難人民記念碑 (Civilian War Memorial) が作られます。
f:id:uniunikun:20150329003931j:plain:w200
※写真: 日本占領時期死難人民記念碑 (Civilian War Memorial)
その起工式でのリー・クアンユー氏の言葉です。

「過去がどんなに痛ましいものであったとしても、過去の経験にとらわれることなく、今に生き未来に備えなければならない。」「日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。」
"However painful the past, we have to live and plan for the future, without being hobbled by past experiences". He added, "dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today's ceremony."

※注: シンガポールの日本人コミュニティでは"Forgive, but never forget"という簡潔だがパワフルな言葉が知れ渡っていますが、どうもそう単純な表現ではなかったようです。

1967年には、華僑虐殺事件への準賠償として、当時の金額で約30億円相当の無償供与を日本から得て、国民への説得材料にするとともに、1965年に独立した直後での国内インフラ整備に活かします。

現実主義者 リー・クアンユー氏

リー・クアンユー氏は徹底した現実主義者でした。たとえ、自分自身が日本軍に殺害されそうになりながらも、私怨に流されず国と国民の未来のために、日本との和解を決め、日本人への許しを国民に促しました。

国が1965年に独立と若く、"シンガポール人"という意識が希薄な中でも、リー・クアンユー氏は反日感情をナショナリズムで利用して統治する誘惑にはのりませんでした。対日感情を軟化させ、経済政策に外資を活用する当時では珍しい政策に早くから踏み切り、日本から多くの直接投資を獲得することに成功します。2012年はオフショア国からの融資を除くとシンガポールへの直接投資額1位が米国、2位が日本でした。金融国と今となっては見られるシンガポールですが、2013年でも製造業はGDP比で、日本25.6%のところ、シンガポール29.4%。日本より製造業比率が高い面があり、日本からの投資がこの原動力の一つです。
今ではシンガポールはアジアの中でも有数の親日国家の一つで、日本が大好き/好きな人が90%、日本人が大好き/好きな人が95%という調査結果もあります。理由は、政府の和解方針、産業振興で日本に学ぶ姿勢を政府がとったこと、和食人気の高まり・過去において日本のドラマ/アニメ/J POPの流行などによるものです。

シンガポール人口547万人の中で、日本人在住者は3万人にも達します。これは経済事情のみでなく、家族を連れて安心して駐在できる、日本人が不安を抱かずに生活できる環境があるためでもあります。

たとえリー・クアンユー氏には自国と自国民のための和解だったとしても、シンガポール在住日本人として私はリー・クアンユー氏には深い感謝を捧げます。

f:id:uniunikun:20150329004602j:plain
※写真は国内各地にできた追悼会場の一つの様子。一般市民の国会議事堂への弔問の列は最大で10時間待ちにもなりました。参加者は動員があったのではなく、自主的なものです。実益もありません。恐れられただけでなく、いかに慕われていたかが分かります。

uniunichan.hatenablog.com


※本ブログの記述は、筆者の調査・経験に基づきます。記述が正確、最新であることは保証しません。記載に起因する、いかなる結果にも筆者は責任を持ちません。記載内容への判断は自己責任でお願いいたします。

にほんブログ村 シンガポール情報