今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

「日本語、お上手ですね」と小泉八雲 ~書評「東大留学生ディオンが見たニッポン」~

シンガポールウォッチャーのうにうにです。今回は書評というより、本を題材にした「海外生活者、ニヤニヤ」になってしまいました。「それってシンガポールで、私や日本人が感じていることへのカウンターだよ」という内容があるからです。「シンガポールに住んでいる日本人の視点」で本書への感想を書いてみます。
お題は「東大留学生ディオンが見たニッポン」(著者:ディオン・ン・ジェ・ティン)です。出版社は岩波ジュニア新書という良いところ。

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

※アフィリエイトはしていません。

本のタイトルから分かりますが、内容は「外国人が東京大学で学生をして、見たこと感じたこと」です。このディオン氏がシンガポール人なので、私の読書対象になりました。

本書に"含まれていない"こと

まず最初に、私は興味がありましたが、この本の内容に含まれていないことは下記です。

  • 日本に興味をもったきっかけと、興味の対象
  • (受験) 大学受験の情報収集、受験対策ペーパーテスト結果、併願校など
  • (卒業後進路) 在学生の希望進路、卒業生の進路実績

他文献を見ても、進学先を日本にしたのは、高校(JC)までに、「日本語を頑張ったので」という簡潔な表現にとどまります。
東大留学前に日本に9回も旅行しており、お姉さんも日本でのホームスティ経験があります。家族を含めて、日本に興味があることが分かりますが、ディオン氏が日本の何に興味を持ったのか(例えばアニメ等)は直接記載されていません。
また、本書を読んでも「どうすれば東大PEAKに合格できるのか」や「受験手続き」には一切触れていません。卒業後の進路や展望も記載がありません。

ディオン氏のプロフィール

本書等から私が作成したディオン氏のプロフィールです。

国籍 シンガポール
居住地 18歳までシンガポール。その後、日本。
家族 2つ年上に、日本語を勉強する姉がいる。
在籍 東京大学 教養学部 教養学科 国際日本研究コース
学歴 ラッフルズ・インスティチューション
語学 英語と日本語は堪能。日本語は中学生の時からシンガポール教育省語学センターにて勉強。高校卒業前までに日本語検定1級取得済み。母語は中国語、、フランス語を第四言語として学習しフランスの大学に短期交換留学
部活 バトミントン (大学入学から)。東大新聞デジタル事業部。インカレバンドサークル。
ラッフルズ・インスティチューション

ラッフルズ・インスティチューション、通称RIはシンガポールでのトップの中のトップ校です。シンガポール首相・大統領・閣僚など各回著名人を多数排出しています。日本でも東大入学より、灘・開成に入る方が難しいですが、シンガポールではRIがそれにあたります。シンガポール国立大学などへの入学よりはるかに困難です。シンガポールにおけるエリート主義、としてやり玉にあがることすらある学校です。

シンガポール教育省 語学センター

さらっとRI出身と書かれているように、さらっと教育省語学センター(MOE LC)が書かれていますが、これも成績優秀者のみの教育課程です。小学校卒業試験であるPSLEで、成績が上位10%である生徒のみが、第三言語としてここで学習できます。

東大PEAKとは

PEAKとは Programs in English at Komabaの略となっており、「駒場キャンパスでの英語プログラム」の意味です。日本の文部科学省が導入したGlobal 30プログラムの一つになります。秋入学。授業はすべて英語。
東大には10.88%の留学生がおり、その中の2%がPEAK生(本書執筆時点)。ディオン氏の執筆時では、1期生と2期生の50人が16カ国の国籍を持ちます。
ディオン氏は、東大PEAKの他に、文部科学省の奨学金にも受かっています。学費が免除になり、生活費と里帰り航空券まででるという、トップ留学生向けの一部界隈で有名なアレです。来日して1年間はまず外語大で日本をを学ぶ必要があり、その時の成績で入学大学が決まるため、9月入学でもあり卒業が早い東大PEAKにしたと述べています

書評

それでは本題に入ります。

日本は外見重視の国か

化粧の有無から他人の年齢や人種を判断する。 (P.17)

日本社会がいかに外見と表面を重視するか。 (P.18)

日本の外見重視は他国と同程度のはずで、むしろシンガポールが特異ではないかと私は思っています。日本では、女性であれば化粧、男性であればスーツなどによって、社会的なプロトコルに則っているかが測られ、そぐわない人は警戒されます。
その一方、シンガポールでは外見から職業や社会的地位を推測することは困難です。シンガポールの街で異彩を放つ人たちがいます。この常夏の国でもスーツを着ている日本人です。シンガポールでスーツを着ているのは過半数が日本人、そのほかに多少韓国人がいて、わずかに金融系の人たちがいます。ネクタイをしめる人も少数なシンガポールで、身なりから人を判断するのは不可能です。なので、Tシャツ・短パン・サンダルの人が大金持ちだと知って、ぎょっとした経験をしたことがある人がいるはずです。2012年にシンガポールに進出した紳士服のコナカは、私から見てお客さんが入っている様子がなかったのですが、5年営業を続けて、2017年に撤退しました。
社会的なプロトコルで、シンガポールよりカジュアルな国を私は知りません。同じ東南アジアでも、例えばタイだとホワイトカラーであれば、ビジネスにはタイをしめ、スーツを着ても目立ちません。
ですので、ここでのディオン氏の指摘は「日本への指摘」というより、「シンガポール人の外国経験」と捉えたほうが良いのではないかと思います。

シンガポールで友人になりにくいのはシンガポール人

留学生との接し方に関して、TGIFのイベントに来ている日本人の学生が、新歓イベントで知り合った日本人の学生とだいぶ違う。 (P.24)

シンガポールで最も友人になりにくい国の人は、シンガポール人だと私は思っています。外国人同士、特にアジア人同士のほうがずっと友人になりやすいです。
どの国でもそうですが、その国の大半の人は外国人に興味がありません。これは特にエスタブリッシュなエリートほどそうです。することがいっぱいあるのに、言葉や文化に不自由な外国人とコミュニケーションをわざわざ積極的にとる理由がないのです外国人差別とまで呼べるものではなく、彼らの利害関係にないので、単に興味がなく無関心なのです。話をしにいくと、普通に答えてくれますが、それ以上の親密さを引き出すのは困難です。自分が提供できる何かが必要だからです。
外国人が移り住んだ国で、初期段階でする必要があるのは、

  • 母国からを含め、外国人同士での仲間を作ること
  • 現地民から「親外国人派」を見つけて仲良くなり、その人を突破口に現地コミュニティに入っていくこと

だと私は思っています。外国で不自由になってジタバタしているのを、見るに見かねて助け舟を出してくれる世話好きは、だいたいどの国にでもいます。ディオン氏が指摘している『TGIFのイベントに来ている日本人の学生』というのがこの"親外国人派"です。また、『新歓イベントで知り合った日本人の学生』というのは外国人に無関心な多数の一般人です。つまり、"親外国人派"は仲良くなるのに外国人に対して下駄をはかせてくれる。その一方で、多数の一般人は言語・文化などの不自由さから、外国人が仲良くなるのにハンデとなるのです。

「日本語お上手ですね」は「日本語が母国語ではないのですね」「あなたは外国人ですね」の意味

「ハジメマシテ。ディオンと申します。よろしくお願いします。」「うわー、ディオンさん、日本語お上手ですね」というパターンで初対面の方々との会話が始まります。なぜ自分が一言の挨拶しか言っていないのに、すぐ日本語がうまいとほめられるの? (P.34)

東アジア人に近い顔つきの外国人に対し、完璧な日本語が話せることを求める人もいます。 (P.36)

外国人に対して「うわー、日本語お上手ですね!」という発言は、日本語がそもそも日本人専用の言葉であり、国民のアイデンティティーであることを前提にするもの (P.49)

ロシア人の留学生が入ってきました。生まれつきの肌色で区別されるとは思わなかったです。 (P.143)

ディオン氏の分析に近い印象を私も持っています。
日本人は外国人が日本語を話すと、すぐに「日本語、お上手ですね」と言います。何かの義務であるかのように、多くの日本人がそれを口にします。これは、

  • 天気の話と同じで、外国人向けの挨拶
  • お互いに共通の話題に手探りなので、とりあえず褒めている。敵意が無いことを表す
  • あなたの日本語はネィティブではないですが、私は理解できています

という意味です。

"You speak English well." (英語、お上手ですね)
と言われたことがある日本人はどれだけいるでしょうか。別に英語でなくても、現地語でよいのですが、海外居住者なら経験があるはずです。
字面は褒めているはずなのに、これを複数回経験すると疑問に思い、そのうち「カチン」ときませんでしたか?「仕事や、学校や、近所付き合いの用事や、友達が欲しくて話に来ているのに、話題に語学なんか選ぶなよ」、と。そして当然の事実に気付くはずです。同国民なら、相手の語学に話題として触れることがなくて、外国人扱いとして壁を作られている表現だということです。「英語、お上手ですね」というのは「外国人の割には上手ですね」「ネイティブではないですね」という意味に過ぎません。
日本人が決まって「日本語、お上手ですね」と判を押したように言うのは、上記3点が合わさった理由ですが、これが良い印象を与えないことは知られていません。理由は「英語、お上手ですね」と言われた経験がある人が少ないからです。外国人であることを意識付ける、壁を作る表現であることを、日本人は知る必要があります。

私の職場に、日本国籍でない日本語話者がいます。それらを見ていて分かるのが、「外国語ができない日本人ほど、外国人が話す日本語に厳しい」ということです。自身が外国で苦労をしたことがないので、話に詰まるとすぐに「日本人にかわれ」と平気で言えるのです。そしてこれは、相手の外見がアジア人であればより強固です。西洋人・白人であれば、「ガイジンが頑張って日本語を話している」と多少の間違いや意思疎通での困難さにも、突然おおらかになります。人種への偏見です。海外在住者としては、そのおおらかさを、アジア人にも向けて欲しいと願っています。

ココがヘンだよ、日本での外国語・英語教育

学校で使っていた教科書を見せてもらったら、説明が確かにすべて日本語 (P.63)

中国語の先生が間違いなくずっと中国語で話していました (P.67)

私が中学校一年生の頃から六年間日本語の授業を受けていたシンガポールの教育省語学センター (Ministry of Education Language Centre, MOELC)でも、すべての第三語言語授業が最初からその言葉で教えられています。私が使っていた教科書にも英語が一切なく、日本語とイラストに絞った説明の仕方をしていました。日本語の文章を英訳したり英語の文章を和訳したりすることを求める課題もありませんでした。 (P.68)

(日本では)会話のスキルがあまり重視されていない (P.74)

「中学高校と6年間も膨大な時間を使って英語を勉強したのに、話せるようにならない。日本の英語教育は駄目だ」というのは一般的な日本でのコンセンサスです。その一方で、帰国子女でもないのに、英語ができるようになった人からは、「日本の英語教育が間違っている」という苦情を聞くことはまれです。少なくとも私の周囲ではそうです。私の周りの感想では「学校の英語授業だけでは、勉強時間が圧倒的に不足していた」というものです。
英語や中国語が日常的に使われているシンガポールと、10年に1回ぐらい外国人に道を英語で聞かれるかどうかしか使いみちがない日本とで、使用量が全然違うのに同じ学習法ができるわけがありません。
また、言語間距離の問題があります。日本人は英語音痴ですが、語学音痴ではありません。言語構造が比較的近い韓国語では、スラスラと上達していく日本人を見てきました。その一方、言語構造の隔たりが大きい英語は、日本人が習得するのに大変な学習量が必要です。
これまでは日本の英語教育では「文法と読解で手一杯」でしたが、今後はリスニングとスピーキングもするように迫られています。今の英語教育に欠けている発音記号などは年齢が若い内に学ぶべきであり、英語学習に必要な時間や負荷は今後も上がるのでしょう。

大学に来てから中国人、台湾人、香港人の友達に出会い、本当のネイティブ中国語話者の会話に時々ついていけない (P.66)

シンガポールで時々目にするのが「シンガポール人の中国語が中国人に通じない」です。祖父母や友人と一部は中国語で話し、小中高と長年勉強し、中華系であったとしてもです。読むのに時間がかかる、書けない、という率が年齢が若いほど高まります。英語教育が第一だからです。学校教育だけでは不足という意味においては、シンガポール人にとっての中国語は、日本人にとっての英語に多少近いかもしれません。

日本での外国人サバイバル

留学生同士でイベントに出たりし、留学生というアイデンティティーをすぐアピール (P.122)

海外生活経験がある代わりに、日常会話以外のアカデミックな日本語を身に着けていない帰国子女やハーフ (P.145)

帰国したら「外国剥がし」」や「染め直し」 (P.145)

特に日本で嫌われるものの一つに「出羽守(でわのかみ)」があります。帰国子女や留学など海外居住経験者が「(自分が住んでいた国)では~だった」と事あるごとに「では」「では」と引き合いに出すことです。それほど親しくない知人にとっては、特に興味深い話でなければ、その人が過ごしてきた国には興味がありません。そんな話を持ち出されても、こちらで適応不可能だし、ベンチマークを取られても関心が持てず、特にそれが外国であれば環境自慢にしか聞こえないのです。どの国でも大なり小なり出羽守は嫌われやすいと思いますが、日本は若干その傾向が強いはずです。

君は小泉八雲になれるか

「用事から日本に住んだことのない人は、どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」と日本語の先生(日本人)に言われたことがあります。 (P.198)

それでは、「外国人が現地化する」とはどういうことでしょうか。

  • 現地語で円滑に意思疎通がとれる
  • 自分の出身国の話題に頼らずに、ビジネス、趣味や現地の話題で会話を継続できる
  • 現地の文化・風習に通じており、服装・立ち居振る舞いで違和感を与えない

ディオン氏が日本語教師から指摘されたのは、字面だけだと単純にネィティブと非ネィティブの語学力の差ですが、時にネィティブとは語学を超えて、文化・風習も含めた意味を含むことがあります。
著名な外国人でこの域に達した初期の人は、ギリシャ生まれイギリス人だったラフカディオ・ハーン。日本名、小泉八雲です。
40歳にて、米国を発ち、日本で島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師になります。41歳で羽織袴の正装で年始回りをし、身の回りの世話するためにのちに妻になる日本人女性を雇います。44歳、日本の英語著作を出版。46歳、日本に帰化し小泉八雲と改名、仕事では帝国大学英文学科講師になります。54歳で狭心症で亡くなるまでに、3男1女をもうけます。

その小泉八雲も、日本語は会話はできましたが、読み書きはできませんでした。有名な「雪女」「耳なし芳一」は、妻や農民からの口述を受けての英語での出版です。しかし、言語・文化・国籍・家族と現地化を遂げました。自分の身になって考えると、これらを小泉八雲のレベルで達成するには、目がくらむような努力だけでなく、覚悟も必要なのが分かります。移民が使う言葉や世界共通語である非ネイティブが多い英語と比べて、日本語では「どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」という言葉は重く感じます。

日本人はチームワークを勉強で経験しない

ディスカッションやディベートを積極的に教室内でやることが、日本の学校では一般的なことではないと気づきました。(P172)

グループワークを通し、仲間同士でも自分の立場を守って意見をしっかり言えるようになり、多様な見方にある価値も理解 (P.173)

日本の教育現場では講義スタイルが一般的 (P.174)

日本人は「傑出した人物が引っ張るリーダーシップ」より、「組織力で皆が頑張る」というのが一般的な評価でしょう。
ところが、学業でチームワークを学ぶことはありません。グループワークが与えられ、理解が低かったりやる気がないメンバーが打ち合わせに出てこない、依頼したタスクをやってこず、「それだったら全部自分でやった方が早い」という葛藤でプレゼンを行い、並以下の成績を付けられる経験を、大学以前にした日本人はまずいないはずです。勉強は教師の手助けを得ながら、机に向かって一人で行うのが日本の学校です。
日本人のチームワークは、学校教育では体育や部活である程度です。最も時間をかけて世間評価が大きい学業で経験しないチームワークが、日本人は評価が高いとされているのですから、興味深いものがあります。大学生が就職する時に直面する、企業の体育会好み、学業軽視の評価は、ここが関係しているかもしれません。

最後に、私の東大PEAKへの印象

東大PEAKを進学先として選択するには、

  • 受験結果から (併願校との合否で、他の有名校に受からなかった。2014年度合格者の7割は他有名校を選択)
  • 日本に関わりがある (帰国子女や、日本人の二世・三世など)
  • 日本や東京で学生時代を過ごしたい (日本のサブカルチャーへの興味、欧米以外の変わった進学先を探している、欧米と比べて手頃な学費生活費負担で留学がしたい)

などが想定されます。

本書を読む前からですが、東大PEAKは進学先として注意が必要と、私は考えていました。理由は卒業後の進路です。

  • (日本就職) どの国でも外国人はそうですが、特に日本で外国人は日本での就職に苦労する。日本語で授業を受け、日本人と同じ机で勉強した外国人でも、日本語能力や外国人であるフィット理由で就職先を探すのに苦労する。語学としての日本語授業は必須でも、基本は英語で授業を受けるPEAKは、日本就職の助けとして不十分。
  • (海外就職) 母国や第三国(欧米やその他各国)での就職に、"Todai"は助けとして弱い。日本の外では、東大はごく一部にしか知られていない。海外で日系企業は就職先として魅力的ではない
  • (進学) PEAKは学際分野。学部でコースとして選択できる「国際日本研究コース」「国際環境学コース」から、PEAK卒向けに用意されている大学院コース(GSP/GPES)以外に、専門性が高い修士・Ph.Dへと直結させることは難しいのでは。

上記の難題に、ディオン氏がどうクリアされようとするのかが、私の興味でした。本書のテーマに進路は含まれておらず、そこへの回答は得られませんでした。

シンガポールのメイドは奴隷か?!と議論する前に知っていて欲しいこと

月6万円でフィリピン人メイド in 香港

きっかけはこのツイート。

これが発端になったツイッターでの議論がまとめられています。

香港のフィリピン人メイドが話の中心ですが、シンガポールの外国人メイドへも共通した話です。
読むと、シンガポール関係者の一定数は絶句するはずです。これだけ大量の記述があるのに、シンガポールのメイドの実情に適切なインプットがなく、メイドや雇用主の実態を描けていないためです。
※注: Togetterでは「女性の労働参画」も主要議題ですが、私の関心である「シンガポールでのメイド雇用」を本記事の主題にしています。

シンガポールでの外国人メイドの待遇

シンガポールの就労ビザ区分では、外国人家事労働者 (Foreign Domestic Worker) と言いますが、一般的にメイドと呼ばれています。住み込み家政婦に相当します。

まずはシンガポールでの外国人メイドのファクトを記します。

ファクト: メイドの人数と国籍

シンガポールは移民国家です。永住者を入れて人口の4割が外国人です。メイド用の就労ビザ受領者は237,100人 (2016年6月)。これは、シンガポールでの外国人労働者の20%(外国人全体では14%)、全人口での4%と、かなりの割合を占めています。
国民と永住者の世帯数122万で割ると、5世帯に1世帯がメイドを雇用していることになります。

下記出所より筆者にて加工

ファクト: メイドの就労ビザ申請資格者
性別 女性のみ
年齢 ビザ申請時に、23歳から50歳
国籍 バングラデシュ、カンボジア、香港、インド、インドネシア、マカオ、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、韓国、スリランカ、台湾、タイ ※日本人はメイドビザの申請不可。出身国との給与水準の兼ね合いで、実際に雇用されている国は一部
学歴 最低8年間の公教育修了者
健康診断 シンガポールでの医師による。入国時と半年おきに必須。失格するとメイドは帰国
政府への保険証書 雇用主は政府への保証金S$5,000への保険証書を購入する。メイドへの責任不履行(給与未払い)や管理責任(ビザ失効後にメイドが母国に未帰国、メイド失踪)が発生すれば、雇用主は保険会社に支払い義務が発生する。失踪時に雇用主が警察への7日以内の届けなど妥当な努力をすれば、支払いは半額になる
ファクト: メイドの一般的な待遇

雇用主の毎月の負担は、給与と雇用税を併せて千ドル前後、それ以外に衣食住、医療費です。

給与 フィリピン人インドネシア人はメイド就労を管理する大使館指定により、月給$550(約4.4万円)以上。介護が加わると$600(約4.8万円)を超える。天引きは基本的に発生しないため、給与額面が手取り(注:シンガポールは最低賃金という制度がない)
福利厚生 シンガポールの公的制度の社会保障への加入は、永住者と国民が対象のため加入できず、支払も不要。雇用主が衣食住、医療費全額、雇用契約終了時の里帰り航空券を提供。医療保険は入院と手術に最低S$1.5万(約120万円)、個人損害保険は最低S$4万(約320万円)が義務
雇用主が雇用税(levy)を負担。月にS$265(約2万円)、16歳未満の国民の子育て・親や障害者の介護であればS$60(約5千円)に減税
就労ビザ 期限は最長2年、雇用主が変わると再申請。家族帯同は不許可であるため、妊娠するとビザが失効し帰国になる。年170人ほどが該当する。ホワイトカラー向けビザ (S Pass/EP) が対象の永住権は申請できず、帰化も申請条件が永住者であるため国籍も取得できない
労働時間 制限規定無し。実質は大半が待機時間。家事の特殊性のため、雇用法(EA)の対象外。(シンガポール雇用法はデスクワークの仕事では月給$2,500(20万円)から対象外で、保護外の人がもともと多い)(日本でも家事使用人は労働基準法の適応外)
休日 週に一日(法定)。メイドの同意のもとに、1日分以上の給与支給で追加労働か、休みの振り替えを頼める
人材紹介費 諸費用は雇用主負担だが、例外は出身国人材会社の斡旋費。メイドが雇用主に前借りし、分割で返すため、働き出した数ヶ月は、返すまで給与が残らない。総額は法律で給与の2ヶ月が上限であり、一般的に$800~1200。シンガポール側人材会社費用は雇用主負担
住環境 労働省MOMは個室の提供を促している。それができない際には、適切な広さとプライバシーの提供が必要になる。子守相手や介護相手との同室利用が4割にのぼるアンケートがある。台所で寝泊まりさせる雇用主もまれいる。ティーネージャー以上の男性との同室利用は身体的障害者介護を除き違法
副業 副業は違法。雇用主が自宅での家事以外をさせることも違法で、雇用主は罰せられる。
講習 初めてメイドを雇う雇用主には、ネットか教室でのオリエンテーション受講が必須。初めてシンガポールで働くメイドも、メイド用の講習受講が必須。1年間にメイドを4回以上変更する雇用主は講習か担当官との面接が必須

付記です。

  • メイドはシンガポール国民および永住者との結婚に、労働省MOMの許可が必要です。より正確には、この制度は、メイドのみでなく、Work Permitという単純労働者向けビザ所持者・過去の所持者全員に適応されます。経済力がない国民出身者の増えることでの社会保障費増大を防ぐためであり、ホステスとして働く労働者を歓迎しないためでしょう。2021年、22年には、MOMは1,100人を承認し、うち84%が女性でした。承認基準は、応募者自身と家族を世話ができるかだと、MOMは語っています。
  • 住み込み: 勤務地である雇用者宅での住み込みのみが雇用形態です。通いでの就業体系は認められておらず、通いで家政婦ができるのは就労制限がないシンガポール人および永住権取得者です。
  • パスポート: メイドのパスポートを、同意の上で安全上の名目で雇用主が保管することは許可されている。要望があれば返却が義務。国内身分証(IC)はメイド所持が義務。(更新: 記事を書いた2016年時にはパスポートの雇用主保管が許されていましたが、現在は許されません。シンガポール国内の旅券法(Passport Act)で自分名義でないパスポートの所持は禁じられています)

シンガポールは何のために他国からメイドを雇用しているか

5世帯に1世帯がメイド雇用をしているということは、富裕層に加え中間層も、育児や介護のために、人生のライフステージにあわせて一定期間の雇用をしていることが分かります。
シンガポールでも高齢化社会の進展で、介護のために現在24万人のメイドが、2030年までには25%増えた30万人が必要になると、政府は推測しています。

シンガポールでは特に中間層では、両親ともにフルタイムで共稼ぎが一般的です。女性は、特に子どもの幼児期に、メイドを活用した育児で、フルタイムの仕事に復帰します。共稼ぎでないと経済的に苦しくなることも、シンガポール法定の有給産休期間が4ヶ月(国民)と日本より短いことも、キャリア断絶が最小限になる制度設計です。シンガポールの親もできるだけ子どもとの時間を作りたいとは思っていますが、日本の"三歳児神話"(子どもは三歳になるまでは母親が育児に専念すべき)のような風習は、シンガポールにはありません。

メイドは何のために外国でメイドとして働くのか

メイドが働くのは、勿論、お金のためです。やりがいや海外生活というふわふわしたものではありません。S$550 (4万4千円) の給与は手取りであって、満額がメイドの収入になります。それ以外の衣食住および医療費の諸経費は雇用主負担です。
メイドは奴隷ではなく強制労働を強いられていないので、自分の意思でメイドの仕事を選び、環境に納得いかなければ退職する権利があります。
働き始めた何ヶ月かは、人材会社への斡旋費用を返金するために実質的な拘束期間でもありますが、その後は自由に退職可能です。日本とシンガポールとでは雇用慣行が違います。例えば、日本では雇用主が研修費の返還請求をすることは違法ですが、シンガポールでは合法。一定期間働くと返金免除が一般的ですが、例えば、航空会社のように研修費が高額だと拘束期間が年単位になることもあります。当然、入社時に条件提示されます。メイドの斡旋費用返金の実質的な拘束期間は、これと類似です。

メイドは、故郷で子ども・家族・親戚・友人に囲まれていた暮らしから、慣れない外国で雇用主と暮らすことになり、かなりの決意が必要です。大半のメイドには自分の子どもがおり、その子どもは母国にとどまる夫や祖父母が世話をします。それでもメイドを選ぶのは、故郷より稼ぎがよく、その稼ぎがあれば家族や親族が幸せに暮らせるからです。幸せになるとは、子どもの学費、家族の治療費や生活費の取得を意味します。メイドをしている間にメイド自身が幸せになれるかどうかは、雇用主との関係にかかっており、良好な関係を築くまでは「(自分を犠牲にして)家族のために働きに来た」という状況であることは、否めません。家族のためにブラック企業で働き続ける、日本のサラリーマンを思い出させます。

一部のメイドは、手配業者の甘言で騙されて、メイドになることもあります。法定額以上の斡旋費用や本来認められない費用が搾取されます。シンガポールではこれは犯罪であって、ビザ申請でメイドが目にする書類(IPA)に斡旋費用が書かれていますが、それでもすり抜けて悪質な行為を働く違法業者があります。

外貨送金をあてにする送り出し国

フィリピンは、人口の1割の1,023万人が海外で暮らし、母国への送金額はGDPの1割にもなる出稼ぎ国家です。英語が話せるために海外で仕事を見つけやすく、それが逆に頭脳流出にもつながっています。
インドネシアは、人口の3%弱になる700万人の海外就労者がおり、そのうちの6割がメイドです。母国への送金は105億米ドルにのぼり、GDPの1%相当を占めます。

なぜ外国人メイドの制度が成り立つのか

先進国シンガポールと発展途上国との国際経済格差の利用です。先進国で雇用しながら、送り出し国の給与と物価水準をできるだけ維持したい、という無茶に応えるのが目標です。そのためにシンガポールでは、衣食住はキャッシュでなく雇用主現物支給などの仕組みがとられています。
「人手不足」と言っても、本当に人手が足りない仕事は滅多にありません。単に「雇用主が希望する給料で働いてくれる人がいない」ことを「人手不足」と言ってるだけで、大半の仕事は今の給与の倍をも出せば求職者が殺到しますし、その給与水準を継続すればスキルミスマッチにも該当する経験を他所の職場や学校で、勝手に積んで応募してくれるようになります。
雇用主にとって、給与を上げずにこの人手不足を解決する方法として、移民導入は有効です。
労働者からみても、就労ビザの障壁をクリアでき合法で働けるなら、給料が高いところが良い、と考えるのは自然です。

フィリピン: 外国で働く労働者流出の停止

フィリピン人は英語が話せることから、海外での就労が容易であると同時に、人材流出にもなっていました。フィリピンに帰国して再度住むより、帰省はたまにしても、アメリカなど永住権や国籍取得可能な国に根付いてしまいます。
ところがこの海外在住者に歯止めがかかりました。近年、母国で経済成長したことで、海外より慣れ親しんだ母国に戻ることを希望する人達が増えてきたためです。

インドネシア: メイドの送り出し国は恥ずかしい

インドネシア政府は、特にジョコ・ウィドド大統領になってから、メイドの提供は恥ずかしいことであるとの考えを出すようになりました。本来は単純労働移民を提供したくないが、メイドではなく、訓練されたプロフェッショナルであるベビーシッターや介護者を提供していきたいと考えています。

これらから分かることは、発展途上国が経済力を増し、国力をつけることで、長期的には単純労働者移民の提供は衰退する流れにある、ということです。発展途上国との賃金格差は縮小し、賃金向上や人権意識の高まりでの待遇改善は、メイド雇用ができる人を限定していくでしょう。シンガポールが、富裕層のみでなく中間層も今ほどの恩恵を受けられる期間が、今後も何十年と続くかは定かではありません。

メイド雇用でのトラブル

メイドに子育てを頼り、子どもを知らずに恥じる母親

シンガポールの移民労働者支援NGOが作成した動画があります。母親とメイドの両方が、子どもについての質問を受けています。「なりたい職業は?」「好きな教科は?」などです。74%のメイドが、母親より正しい答えをしました。
www.youtube.com
動画の目的は、2013年に法制化されたメイドの週に一日の休みの取得を促すものです。2015年の動画ですが、当時はまだ40%しか週一の休暇をとっていないと、NGOは主張しています。メイドが休みを取ることで、子どもと親との対話を増やして欲しいという趣旨です。
この動画を見て、メイドを雇っている母親は恥じて泣きました。母親が人任せでなく自分で育児をしたいと思うのは、シンガポールでも同様です。しかしながら、子どもを進学させる学費や家計を考えると、シンガポールでは富裕層を除くと経済的に共働きが必須です。シンガポールでメイドの雇用は贅沢品でもなんでもなく、「それでも働いて共稼ぎをしなければならない」というシンガポールの家庭の苦悩をついた内容で、かなりの反響を呼びました。

文化・言語・教育水準の違いからくるコミュニケーションギャップ

メイド雇用はトラブルが多いです。雇用主からメイドへのよくある苦情です。

  • 期待値があわない: この程度でいいだろうと思われる。品質を知らないのでどうすればよいか分からない
  • シンガポールの最新の家電を使えない
  • 衛生観念が違う: ペットを触った手で食材を触る等
  • 言葉が通じない: フィリピン人だと英語ができるが、それ以外だと通じない
  • 宗教が違うと生活習慣が違う
  • ホームシックになった
  • 食器の扱いが雑で割れやすい
  • 家財がなくなる
  • 雇用主の旅行中に大音響でパーティを開き、帰宅後に近所から注意を受ける
  • (男)友達を連れ込む

その一方で、同じ国の出身で、ホワイトカラーや看護師をしているフィリピン人、専門職をしているインドネシア人も、シンガポールにたくさんいます。他の職業の人でもそうですが、メイドはメイドが一番割に合うからメイドをやっているのです。もっと稼げる専門職になれないからメイドなのです。大卒で専門職の職歴がある異文化の人とでも、仕事で一緒に働くのはかなりの苦労ですが、それをはるかに超える困難がメイド雇用では発生します。「メイドに色々任せられていいよね」と日本人は思いがちですが、指揮監督はかなりの苦労です。5万円で雇われた人は、5万円の労働しかしてくれないのです。

雇用主からメイドへの虐待と、メイドから子供や高齢者への虐待

生活をともにしながら家事をすることで、虐待が発生することがあります。雇用主からメイドにだけでなく、メイドから雇用主家族にもです。双方にストレスがかかるのです。雇用主がメイドへの虐待は想像が付きやすいとおもいますが、メイドから雇用主家族は育児ストレスや介護疲れです。子どもや老いた親を預けているので、そうは簡単に高圧的な態度をとれないものです。
日本の介護施設や家族であっても、虐待が定期的に報告されていることを思い出します。
シンガポールでは、シンガポールで初めて働くメイドから、ランダムに労働省MOMが面談して、危険をチェックしています。虐待は刑法犯になることに加え、雇用主は今後のメイド雇用を禁じられます。

映画で見るシンガポールでのメイド

シンガポールのメイドについて関心を持った人は、日本でも公開されていた「イロイロ」(2013年製作)というシンガポール映画を見て下さい。原題は"爸媽不在家"で「両親は家に居ない」の意味です。
公団(HDB)を舞台に、親から孤立しかけの小学生男子と、その子が荒れかけてきたため家事と育児をみるために雇われたフィリピン人メイドが中心の話です。当初、男子はメイドを嫌悪するが、したうようになります。しかし両親の経済状況がアジア通貨危機で悪化して解雇となり、メイドは帰国します。

マリーナベイサンズのバブリーなだけがシンガポールではなく、シンガポールの中間層の生活を知るきっかけになる映画です。NetflixとHuluに入っています。是非見て下さい。

ウンコを投げっぱなしのネット民

ここまでは出来る限りニュートラルな立ち位置で、シンガポールのメイドを解説してきましたが、ここからは反論です。

今回のTogetterを見ると、ネット民の良くない所が炸裂していると私は見ています。外国人メイドを、先進国で低賃金で雇用することが気に入らない人がいるのはよく分かりました。しかし、「6万円でメイドをこき使うマリー・アントワネット、炎上してざまあ」では、当事者への具体的な解決策や提案になっていません。なので、現在その制度に立脚している社会で生活している在住者には、リアリティゼロです。
当事者のメイドは、シンガポールでの雇用に満足しています。シンガポール政府の調査があります。10人中9人のメイドは、シンガポールでの就労に満足しています。10人中7人は契約が満了するまでシンガポールでの就労を希望し、満足しているうちの10人中9人は同じ雇用主の下で働くことを希望しています。

たとえ、当事者が満足し、社会がメイド利用を前提に確立していたとしても、それが普遍的価値により是正すべきであれば、人権問題のように諸外国が圧力をかけるべき場合があるのは理解します。しかし、シンガポールのメイド制度は、個別に問題があるケースはありますが、就業と離職の自由があり、条件は渡航前から提示しているため、「奴隷」と比較するには不適切です。当面は制度を改善しながら、メイド自身も送り出し政府も、移民の提供をしていきたいと考え、雇用主とシンガポール政府も、関係者は受け入れを希望しています。他国を非難するのは、天引きが不明朗だったり、技能がつかないのに実習扱いする、自国の技能実習制度の欺瞞をなんとかした後の方が良いのではないでしょうか。

何より問題なのが、日本人のネット民が言うようにメイド制度を止めたとして、ではメイドたちはどうなるのか、という視点を欠いていることです。メイドはなぜ、故郷を離れる時点で人材会社に斡旋費用の借金を抱えるリスクを追ってまで、家族と離れて外国で、メイドになるのか。それは、その仕事が一番割に合うからです。地元での何倍もの給与を得られます。
そもそも発展途上国には仕事がありません。農業・漁業・林業か家事です。日々の生活で食ってはいけても、雇用先や貨幣収入は限られています。あっても薄給です。その中で、治療費や教育費が必要な経済イベントが発生すると、そのお金がかかる選択肢を断念するか、その選択肢を得るための収入を探すかです。そしてその一つが外国でのメイドです。

メイドは格差固定装置でなく貧困からの突破口

発展途上国の工場で安価な賃金で作られ輸入された工業製品は喜んで使うのに、輸入が移民のサービスとして可視化された瞬間に、壮絶な拒否反応が起きたのが今回のツイッターの騒ぎです。NIMBY ("Not In My Back Yard"我が家の裏庭ではやらないで) の現れ方の一つに見えます。我々は製品とサービスのどちらの輸入にも自覚的であるべきであり、フェアトレードの理念は賞賛されます。
メイドのような低賃金の単純労働移民が増えることで、受け入れた先進国では経済格差が増えることは確かでしょう。そのためにシンガポールでは、単純労働移民は仕事があり就労ビザが有効な一時的な期間のみの滞在であり、移民の目的は母国にある、という姿勢を貫いています。家族帯同・永住権・国籍付与を認めるのが真っ当な人権意識であるとするなら、キャリアパスと家族を含めた異文化受容、更に社会保障と教育を、国として提供する必要があります。日本にはこれを受け入れる覚悟があるように見えません高齢化社会対応で招かれた移民もやがては年を取り、今度は社会保障の世話になるのです。彼らが現役時代に支払った額と、保障を受ける額のどちらが多くなるでしょうか。

単純労働移民受け入れで、先進国内での経済格差が開く一方で、先進国と送り出した国との間での経済格差は縮小します。「外国でメイドをして、その稼ぎで子どもが大学に通っている」という話を聞くのは珍しくありません。これはメイドが、格差固定ではなく、世代を超えて貧困からの突破口になっていることを意味します。「外国人メイドは受け入れるな」という主張は、「(居住国が豊かになるまで)貧困のままでいろ」という主張の裏返しであることに気付くべきです。

メイドの収入が貧困から抜け出す重要なフックになっている一方で、残念なことに、メイドが犠牲を払って外国で働いても、故郷では旦那が飲んだくれギャンブルをしている、親族が訳の分からないビジネスに手を出してスッた、色んな人間が理由をつけてたかりに来る、というのも同様に珍しくありません。ミクロではこちらの方が切実な問題です。

日本に外国人家政婦は無理だ

ここまで説明するとおわかり頂けると思いますが、「日本人には外国人家政婦の雇用はムリ」というのが私の考えです。移民政策に比較的成功しているシンガポールでさえこれだけの苦労をしているのに、日本がこれらのチャレンジを超えられるとは思えないわけです。更に、日本特有の事情をあげます。

  • 日本人家政婦でも給与は時給千円前後と最低賃金に近いが、外国人家政婦にも最低賃金が適応されるため価格低下が見込まれない。
  • 家政婦に時給2千円超を支払う価値観や経済状況の人は限られる。
  • 英語で指揮監督できる日本人は極少数。家政婦の片言日本語には不満。
  • 他人を家にあげるのが嫌。掃除に来てもらう前に自分で掃除をするメンタリティ。


シンガポールのメイドに反発する価値観は理解します。その一方で、女性の社会進出というキャリアや経済事情、育児という期間限定だけでなく、介護でもメイドは活躍しています。自分の両親の介護が必要になった際に、メイドの制度があっても活用しない自信がある人や、あればどれだけの人を救えるかに賛同できない人は、メイド制度に石を投げ続ければ良いでしょう。

以上が、シンガポール在住者の視点です。
これらを踏まえて、外国人メイドへの理解と議論を深めて頂けると幸いです。

あわせて読みたい

uniunichan.hatenablog.com

参考資料

シンガポールの建築労働者などの男性単純労働移民に興味がある人はこちらも参照下さい。
uniunichan.hatenablog.com


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全員が中国帰化選手のシンガポール五輪卓球~移民大国の複雑な心境~

シンガポール卓球チームは全員が中国からの帰化選手

リオ五輪の卓球女子団体で、日本が3位決定戦を制し銅メダルを獲得しました。3位決定戦の相手はシンガポール。シンガポールは経済国として知られていますが、都市国家であり国民が338万人と極めて少なく、スポーツには選手の母集団が薄く不利です。今回のオリンピック出場選手は、日本からは338人ですが、シンガポールは25人しかいません。
前回のロンドン五輪・前々回の北京五輪で、シンガポールがメダルをとったのは卓球でした。ロンドンでは女性個人が銅メダル、女性団体が銅メダル、北京では女性団体で銀メダルをとっています。
活躍を応援する人ももちろんいますが、国民の反応は冷ややかでした。メダリストの全員が外国籍からの帰化選手だったからです。リオ五輪では、シンガポールから男女含めて5人の卓球選手が出場していますが、全員が中国からの帰化選手です。

シンガポールの五輪卓球メダリスト
選手名 出身 大会:競技:メダル
フェン・ティアンウェイ 中国 黒竜江省 ロンドン:卓球個人:銅、ロンドン:卓球団体:銅、北京:卓球団体:銅
リ・ジャウェイ 中国 北京 ロンドン:卓球団体:銅、北京:卓球団体:銅
ワン・ユエグ 中国 遼寧省 ロンドン:卓球団体:銅、北京:卓球団体:銅

競泳バタフライ100メートル金メダリスト ジョセフ・スクーリング氏

ところが、今回のリオ五輪でシンガポール史上初の金メダリストが生まれました。競泳バタフライ100メートルのジョセフ・スクーリング選手です。米国マイケル・フェルプス選手を破っての堂々の金メダルです。
スクーリング氏は、シンガポール生まれの21歳。シンガポールの学業エリート校アングロ・チャイニーズ・スクール (インディペンデント) に学んでいましたが、14歳でトレーニングのため渡米。現在はテキサス大学の学生です。シンガポールは世界一高額金メダル報奨金S$100万 (約8千万円) を払いますが、スクーリング氏のトレーニング費用は、これまでに親が数億円を負担していると言われています。
初の金メダリストの誕生に、シンガポールは国民も政府も湧いています。例えば、こんな感じ。

すさまじい盛り上がりです。
凱旋パレードでの熱狂。


普段は僕がセルフィーをお願いされるんだけど、今回は僕がお願いしたんだ」シンガポールのリー・シェンロン首相

帰化選手への逆風

これまでも帰化選手に風当たりはありましたが、メダルを逃したこと、自国生まれの金メダリストが出きたことで、更に議論が沸き起こっています。シンガポールで野党を支持するウェブメディア等からの意見を取り上げます。

  • シンガポールが中国から買った卓球チームは、自国で育成された日本に負けた。
  • 手当や中国への帰国費用など帰化選手には良い待遇が与えられているが、自国生まれ選手は経済困窮しクラウドファンディングで遠征渡航費を捻出することもあるのは不公平だ。
  • 男子帰化選手には、自国生まれ選手に義務付けられている徴兵が免除されている。
  • 帰化選手の強化費用を、自国生まれの選手にあてるべきだ。
  • 五輪メダリストの帰化選手リ・ジャウェイ氏は、引退後中国に帰った。
  • 帰化選手がメダルをとるより、自国生まれ選手がたとえ成績は冴えなくとも正々堂々と戦うことを誇りに思う。

States Times Review: Singapore’s China Table Tennis Athletes crash out of Olympics, zero medals won
States Times Review: Olympic Gold Medalist Joseph Schooling: Singapore is “super hard” to live in and train

シンガポール居住者は3/4が中華系で中国人と親和性がある程度ありますが、人口の1/3が外国人にも増加したことで、中国人移民に対しても国民はストレスを明らかにしています。
経済であれば多くの外国人や帰化した国民が活躍し、外国人に比較的寛容な移民国家のシンガポールですが、スポーツでは一転してかたくなになるのが興味深いです。経済でも排外主義がじわじわと広まっていますが、それでも「外資が連れてくる外国人は、シンガポール人の雇用も作っている」「外国人がいるから、シンガポール人の人手が得にくい仕事を頼める」「シンガポールを好きな外国人がシンガポールに帰化する」という認識があるのが主流です。ところがスポーツになると、順位や記録といった成果への評価より、感情論の声が大きくなります

シンガポールでは、優れた外国人運動選手が国籍を取得して帰化するための特別なスキームがあります (Foreign Sports Talent Scheme: FST)。その一方で、シンガポールでは重国籍は許されていません。帰化選手は以前の国籍を放棄してシンガポール国籍を取得しており、単に出場機会や報酬のみでなく腹をくくっているはずです。

リ・ジャウェイ氏は選手でいる時に「なぜシンガポールに来たのか?あなたは自国生まれ選手の成長を窒息させている」「なぜ中国に住みつづけなかったの?」と街中で聞かれたと話しています。その時のリ・ジャウェイ氏の答えは「私はシンガポールが好きだから」とだけ答えたと言っています。国の報奨金制度でS$127万 (約1億円) を7年間で稼いでいますが、「私は傭兵じゃない」とも主張しています。
Straits Times: I'm no mercenary: Li Jiawei

なぜ帰化選手に共感できないのか

帰化選手に共感できないのは、シンガポール人としてのアイデンティティを見つけられないことが理由と、野党支持のウェブメディアが指摘しています。

これらを選手に見出した時、シンガポール人のアイデンティティとして共感するとのことです。
The Online Citizen: That mixed feeling about Foreign Talent Scheme for Olympic medals

国境がなくなる世界へ ~才能ある人から流動化~

  • シンガポールで生まれ、海外でトレーニング (スクーリング氏)
  • 海外で生まれ、シンガポールでトレーニング (シンガポール女子卓球)

シンガポールではこの2つを区別し、前者には強い共感をいだき、後者には冷ややかです。
しかしながら、この2つの違いは決定的でしょうか。スクーリング氏は中学生までをシンガポールで過ごしてから海外に移りましたが、物心が付く前に海外に転出していれば、国民の反応はどうだったでしょうか。帰化選手が、幼少期にシンガポールに渡っており、地元食を好み、シンガポールの教育制度や徴兵を経ていれば、国民の反応はどうだったでしょうか。
また、トップアスリートの帰化選手が来ることで、自国生まれ選手の出場チャンスは減りますが、才能が輸出されるとその地での競技レベルは向上します。自国育ちの選手育成の種をまいているのが帰化選手です。スクーリング氏は高度人材の流出であり、帰化選手は高度人材の導入という解釈もできます。つまり、帰化選手の方が国に貢献している面もある、と考えられます。
帰化選手が招致されず、自国生まれ選手に出場枠が渡り「自国生まれ選手が堂々と戦うことを誇りに思う」と考えてみたところで、メダルや記録をとれず成績がふるわなければ、国内で競技自体が注目されないでしょう。国の支援もスポンサーも減少し、一般国民は「誇りに思う」以前に競技が行われていることも知らなくなるでしょう。スポーツ選手の移民活用が1993年に始まって20年以上たつにもかかわらず、オリンピックに出場できる卓球選手が帰化選手のみでは、自国生まれ選手育成にどう育成しているのかという疑問はありますが、シンガポール卓球協会 (STTA) もバランスで苦渋の決断をしているはずです。

国籍問題で明らかなのは「優秀な人材から流動化していく」ということです。経済でのグローバル人材でもそうですが、それが世界ランキングで可視化されるようなスポーツ選手でも同様で、元中国籍選手が世界中にいる卓球はその最前線だ、ということです。
国籍問題がおきるのは、オリンピックの出場資格が「世界ランキング上位X位まで」ではなく国単位だからです。それによって、選手は国から強化支援を得ることができていますが、帰化では「どこの国の選手なんだ」という事態にもなります。

オリンピックは国対抗でない

国旗掲揚・国歌斉唱があるので勘違いされがちですが、オリンピックは国対抗ではないと、オリンピック委員会自身が言っています。

オリンピックは国対抗ではないの?

「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」オリンピック憲章の第9条には、こう明記されています。
オリンピック中は毎日、国別メダル獲得表が新聞に載りますが、これは読者の関心を高める一助として、メディアが勝手にやっていることで、これについても憲章は「IOCはいかなるものであっても、国別の世界ランキング表を作成してはならない」と規制しています(第71条の1)。
また、開閉会式の入場行進で使われる旗、表彰(メダル授与)で使われる旗、演奏される音楽も、規定上は国旗、国歌ではなく「各NOCの旗/歌」(第69条、70条附属細則)となっています。
要は、オリンピックは、個人の努力の成果をためし、人種・宗教・政治等の国家の枠を超えた相互理解、国際親善を推進するのが大きな目的なので、国対抗になると国家意識が過熱し、逆効果になることを戒めているわけです。

「国対抗でない」というのはオリンピックの理念ですが、オリンピック委員会がこの理念を伝える熱心さは、オリンピック商標取り締まりほどではないように見えます。しかしながら、「国対抗でない」「国家の枠を超えた相互理解」という理念が、帰化選手や重国籍選手の増加というグローバル化の進展で、オリンピック委員会が努力せずとも達成される可能性がでてきました。
現在、オリンピックは理念とは反して事実上は国対抗であるからこそ盛り上がっており、オリンピック委員会も国対抗である現状に有効な対策をうっていません。今後更にグローバル化進展で選手国籍が混沌とすることで理念を達成し、応援する感情を各国民が失いオリンピック人気が凋落すれば、皮肉な状況になります。
「母国出身選手を応援する」ではなく、「素晴らしい競技をする世界中の選手を応援する」ことでオリンピックを楽しまないといけない転換点が近づきずつあるかもしれません。


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