今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

統一教会を追い出したシンガポールのやり方(と創価学会との関わり)

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。安倍晋三元首相が亡くなって関連記事の3つ目です。

  • シンガポールでの暗殺報道

uniunichan.hatenablog.com

  • シンガポールでの反共産主義の時代

uniunichan.hatenablog.com

  • 統一教会の非合法化と対応

「日本は統一教会に今後も居場所を提供するのか」が問われています。統一教会を非合法化して追い出した国があります。シンガポールです。今回の記事は、「シンガポールがどうやって統一教会を追い出したか」を書きます。

カルト対策の踏み込み方は国の価値観

カルト対策となると、日本では「信教の自由」や「寄付は自分の意思」といった視点での議論が起きます。違法薬物を自分の意思で行っても刑事罰を受けるのと同じで、いくら本人の意思で納得していても、社会問題化すれば、どの段階で政府が介入するかはその国の価値観です。
シンガポールは政府が家父長的で、個人の価値観や社会規範への踏み込みが大きいことはよく指摘されますが、統一教会に関しては、政府姿勢が社会的影響を減らしています。
シンガポールが最大公約数としての公共の福祉を優先するあまりに、自由への制約が大きいことは知られています。ですが、自由を優先した国の一つが、自衛する自由がある銃社会でカルト大国のアメリカなのは、念頭に置かれるべきです。
日本はシンガポールになれませんし、大半の人は好ましいとも思っていないでしょう。かと言ってアメリカも、その病んでる部分をなぞるのは御免なはずです。その中で、日本はどこにしきい値をおきたいかの価値判断が、今、求められています。

シンガポールと統一教会

非合法化された統一教会

シンガポールで統一教会は禁止されています。スッパリ、キッパリ、禁止です。されて40年にもなり、シンガポールで影響は弱いです。今回の暗殺事件で、統一教会がシンガポールでも再度脚光を浴びましたが、「シンガポールでは禁止(ban)」と国内最大手新聞であっさりと解説されています。対岸の火事ですね。

カルトと批判され、シンガポールでは禁止されているが、世界的にはとりわけ日本と米国で未だに盛況な、議論がある宗教グループが統一教会
the Unification Church, a controversial religious group that has been labelled a cult by critics and banned in Singapore, but is still thriving globally, especially in Japan and the United States.

シンガポールにおいて、統一教会が禁止されるまでの概略です。

  • 1976年3月: Tongilシンガポール社という韓国朝鮮人参の輸出入企業が設立される。企業の設立は、米国人・日本人・シンガポール人の3人。
  • 1980年9月: 世界基督教統一神霊協会を団体登録。その後、国内3箇所に教会を設立。
  • 1981年中旬: 大学キャンパスで多くの人を積極的に勧誘。
  • 1982年4月: 外国での頻繁な騒ぎから、セクトとして監視していた政府が、団体を禁止。

・ストレートタイムズ紙 (1989年8月12日): How the movement took root in Singapore

シンガポールにおいて、統一教会が禁止された時に、官報が出ています。

世界基督教統一神霊協会
世界基督教統一神霊協会は、1980年9月29日に、団体法 (Societies Act) で登録された。全ての団体と通常会員が、シンガポール国民であることを憲法は求めている。外国や外国人から基金を団体が受け取らないことを、規定は要求している。
会員は国民に限定されているのだが、Tongil社の経営責任者が、外国人であり、団体運営に大きな役割を果たしていることが、調査で判明した。その者は、団体基金を管理し、講演と勧誘を運営していた。Tongil社は、統一教会の信者が設立していた。
団体の存在は、シンガポールにおける公共の福祉と秩序維持に害があるとの根拠で、1982年4月2日付けで、内務省は団体を消滅させる。
内務省
1982年4月2日

官報から分かるのは、禁止した建付けとしては外国人の介入だが、主旨は社会問題の防止だということです。
シンガポールは、内政干渉、外国と外国人の介入をかなり嫌っています。集会の自由が制限されているシンガポールでも、ホンリョン公園という特定された場所では、集会を開くことができますが、集会に参加可能なのは国民のみです。永住権保持の外国人は、聴衆としては参加できますが、スピーチや表現活動はできません。永住権がなければ、外国人は聴衆としての参加もできません。これには、LGBTなどの権利運動も含まれ、過去にはイベントへの寄付や協賛を行っていた外資企業のグーグルやゴールドマンサックスも、ホンリョン公園でのイベントへの寄付や協賛もできなくなっています
つまり、受容度が高い日本では、外国人による反捕鯨デモ・中国人本土派や香港人民主派による香港に関するデモなどが行われていますが、主旨を問わず、シンガポールでは国籍制限で外国人はデモをできない、ということです。外国人がデモを行うと、「外国人は自国の問題をシンガポールに持ち込まないように」という警察声明がこれまでも繰り返し出ています。

1982年に禁止された統一教会ですが、その後1989年にも社会問題になっています。宗教団体としては解散させられましたが、企業としては活動継続をしていました。もちろん、企業では宗教活動はできないのですが。

統一教会の活動にシンガポール人は距離を置くようにと警察は警告している。メンバーは「ムーニー (Moonies)」と一般に呼ばている。
文鮮明牧師を代表にする教会はシンガポールで禁止されている、関わりを避けるように勧告すると、警察広報は今週語った。
団体法 (Societies Act) において、非合法団体の運営者は、最大5年の刑務所になる。集会に参加した会員は、最大$3千の罰金か、最大3年の刑務所か、その両方になる。
1982年に禁止されたムーニー活動が、8月20日~23日のロンドン大会に若者を積極的に勧誘しているのを、本紙が報じ、警察の警告が続いた。
(中略)
同時に、シンガポールでのムーニー活動のリーダーが、本紙に抗議文を書いた。
統一教会のメンバーだと公言しているその人物は、朝鮮人参輸入企業のTongilシンガポール社の役員であり、統一教会への偏見だと政府役人の意見を引用した本紙を非難した。

文鮮明は、Sun Myung Moonとなることから、ムーニー (Moony) です。

シンガポールで統一教会はカルト。出版は制限

シンガポールでは、輸入出版物への若者への規制があります。統一教会はカルトと評価されており、名指しで規制対象になっています。日本で言う有害図書扱いです。

序文
4 以下は許されない:
(ii) エホバの証人、統一教会 (ムーニーズ)、神の子供たち (ニューワールドビジョン、愛の家族)、サイエントロジーといったカルトの出版物。

シンガポール憲法での、信教と結社の自由への制限

シンガポールでも信教の自由は憲法に記されています。ところが、権利に制限があることが憲法に記載されており、詳細は一般の法律で行う作りになっています。
シンガポールの憲法には結社の自由もあります。そして、案の定、憲法にある結社の自由は、法律での制限を受けます。
シンガポールで、統一教会を規制するツールとして政府が使ったのが、団体法です。

創価学会をフランスはカルト認定したが、シンガポールでは政府と共存

統一教会は、フランスでカルトとして分類されています。フランスでカルト分類された中には、創価学会も含まれています。
シンガポール政府は統一教会を非合法化しましたが、創価学会とはシンガポール政府は親密です。歴史も古く、シンガポール建国からわずか7年後の1972年に適法に団体登録されています。

シンガポールで、最も重要な政府行事は建国記念日パレード(NDP)です。それに40年前から参加しています。昨年も参加し、"SINGAPORE SOKA ASSOCIATION"のクレジットが全国放送されました。また、国内に"創価幼稚園"もあります。
慈善団体として登録されているものに、"Soka Gakkai Singapore"があります。団体の目的としては、「日蓮仏教の理解と実践の促進。平和・文化・教育を促進するコミュニティプログラムを通じて、仏教の人間主義の精神に基づく、社会の幸福を促進」とのことです。財務状況も公開されており、2021年には、約S$1,300万(13億円)の寄付を集めています。

シンガポールは"明るい北朝鮮"だからできたのか (追記)

追記です。
コメントが"明るい北朝鮮"祭りになってうんざりしています。
まず、シンガポールを"明るい北朝鮮"と呼んでいるのは日本のみです。世界的にシンガポールは"明るい北朝鮮"と呼ばれていません。"bright North Korea"あたりでググって下さい。日本発の文書しか出ませんから。一般のシンガポール人すら、そんな呼称は知りません。知っているのは、日本関係のシンガポール人のみで、日本人からわざわざ聞かされるとウンザリしています。
「シンガポールは"明るい北朝鮮"と呼ばれている」とのコメントですが、呼んでいるのはあなた自身です。価値観を含む呼称への責任を、世間に押し付けないで下さい。
シンガポールを"明るい北朝鮮"と呼びはじめたのは、日本の某大新聞だという話を聞いたことがあり調べましたが、裏が取れていません。

"北朝鮮"呼称が間違っている理由ですが、政権が普通選挙で決まることです。シンガポールは建国以来、50年以上、与党PAPが選挙で勝ち続けており、一党支配になっています。選挙は投票の秘密は守られ公正で、つまり、国民は与党PAPを選挙で信任し続けており、一党支配は国民の選択なのです。日本も自民党が勝ち続けていますが、強制投票制度もあり100%近い投票率で、日本より積極的に政府が信頼されているのがシンガポールの状況です。
uniunichan.hatenablog.com

選挙で選ばれるシンガポールの国会議員MPは、エリートであると同時に、国民への奉仕者です。多くの議員は、毎週数時間、決まった時間を特定・公開して、選挙区民と一対一で会い、あらゆる陳情・苦情を聞き、行政が解決できないかの相談にのっています (Meet the people session)。ご近所トラブル、経済的困窮、医療補助、年金、住居(HDB)などなどです。世話をすることで、次回選挙での勝利も与党は呼びこむ狙いもあります。シンガポールでの選挙戦は、日本の街宣車での名前連呼ではありません。日本では10年程度の期間で、政治家と話したことがある国民はほぼいないでしょう。あっても、業界団体や宗教団体経由での集団挨拶が大半なはずで、個人として相談・陳情をしたことがある人はまずいないでしょう。(日本でもっとも近いのは共産党の活動だとは思いますが、共産党なので利用にはためらいがあるでしょう)

シンガポールでの統一教会の非合法化も、「公共の福祉に害がある」との目的のために、使える法律を運用した印象がぬぐえないのは確かです。シンガポールは政府の権限が大きいのですが、それが国民の大半には良識をもって適切に運営され、国民も信任しているマレな国です。それを飛び越して、"明るい北朝鮮"というのは脳内停止です。実態と大きくずれた呼称なだけでなく、ラベリングで「シンガポールを分かったような気になる」ことでタチが悪いです。

シンガポールのトップダウンのやり方を、日本で実装できないのは同意ですが、「明るい北朝鮮だからクソ」と元首相暗殺にまでになり、失敗した日本が言う立場にはないでしょう。なぜに失敗した日本が、社会的影響を抑えるのに成功したシンガポールにふんぞり返れるのか。日本が「シンガポールは明るい北朝鮮だから、社会的影響を排除できてもクソ」と言い切れるのは、「(たとえ元首相を失い、社会的影響を被っても)信教・結社の自由は今後も絶対だ」という固い決意がある場合のはずですが、そうではない意見が盛り上がっています。
日本が今後も現状のままなら、社会的影響は排除できず、関係者は自己責任におかれ、2世信者や信者家族を代表とする自己責任ですらない人への影響は継続します。そういうケースであっても、信教・結社の自由を日本が優先するかが問われているのが、元首相暗殺の一側面だと理解しています。
日本は日本のやり方で、自由と公共の福祉のバランスをとって欲しいと思っています。


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岸田文雄首相のシンガポール訪問

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。
岸田文雄首相がシンガポールを訪問しました。2022年6月10日と11日です。出来事を在住者視点でまとめます。私の感想は「これだけのことをしてもらえる日本って、なんのかんの言って大国だよなぁ。すげぇ」というのと、サプライズなどの話題性には欠けていましたが、それでも同党議員の買春スキャンダルでかき消されたのが、在住者として残念でした。
映像としては、シンガポール首相インスタのリールを見て頂くと、良いサマリーになっています。


なぜ岸田首相はシンガポールを訪れたのか

岸田首相の訪問は、立場で言うと「シンガポール政府が招いた国賓」ということになります。

https://www.facebook.com/photo?fbid=565680428251424&set=pcb.565693794916754

(いらっしゃ~い)

今回のシンガポール訪問に至るまでに、日本とシンガポールとの長期間の国交がありますが、岸田首相の観点では、外相時代にも、自民党での政調会長時代にも訪問しており、馴染みがある国です。

外相時代のシンガポール訪問
政調会長時代のシンガポール訪問

パンデミック前での最後の訪問だった2019年については、シンガポールのリー・シェンロン首相も、ビビアン・バラクリシュナン外相も、自民党総裁・首相になった時に触れています。

岸田首相就任直後からのシンガポール招待

リー首相による岸田首相への招待は、2021年11月22日の首相になってから初めての電話会議で、すでに行われていました。

Prime Minister Lee invited Prime Minister Kishida to make an official visit to Singapore.

ゴールデンウィーク中に、首相がASEAN(インドネシア/ベトナム/タイ)訪問を行いましたが、ここにシンガポールが入っていませんでした。なぜかと思っていたところ、5月7日に産経が「岸田首相、アジア安保会議出席へ調整 対中露念頭」というリークを出します。


これで、連休中の外遊先にシンガポールが入っていなかった答え合わせとなりました。

日経主催の国際カンファレンス「アジアの未来」

6月11日でのシンガポールでの首脳会談に先立って、5月26日にも首脳会談が行われています。場所は東京で、日経主催の国際カンファレンス「アジアの未来」出席と合わせてでした。
「アジアの未来」は今回で第27回の開催。シンガポールと日本との間で、極めて重要なカンファレンスになっています。これまで、シンガポールからは何度も首相が登壇しており、今年はリー首相が基調講演を務めました。
パンデミック後の本格的な外交再開ということもあり、シンガポールからは大規模な外交団が作成されました。同行は、首相・首相夫人・外相・労働相・情報通信相・保健相です。
リー首相の訪日でのシンガポール記者団への取材に対し「遠からず、岸田首相をシンガポールにお招きして、今回の議論を続けることができると望んでいます」と、招待について触れています。以前からのシンガポールからの招待と、シンガポール首相の訪日を受けて、岸田首相がシンガポールに訪れた面もあったことが伺えます。

It was a good discussion and we had a very lively exchange and I hope that before long I will be able to invite Prime Minister Kishida to Singapore and we can continue the conversation.

なお、リー首相の「アジアの未来」での動画と講演スクリプトは下記にあります。

シャングリラダイアログ

シャングリラダイアログはなぜ重要か

シャングリラダイアログ (アジア安全保障会議) とは、シンガポールで行われる国際政治イベントで最大級のものです。一般に、シンガポールで一般に最も知られているものはF1開催だと思いますが、政治でのF1ぐらいの重要性があります。(なお、国内政治で最も重要なイベントは建国記念の"ナショナルディパレード"です。パンデミック中すら、規模縮小しながらも開催しました) テーマは防衛であり、各国から防衛大臣や上級将官がこぞって参加するためです。単に各国が主張を講演で垂れ流すだけでなく、閣僚・将校が顔を突き合わせて話をする機会、というのがウリになっています。今年は、40ヶ国から500人が集まりました。オンラインでは代替できないため、パンデミックで過去2年間、開催されていませんでした。
日本の首相の参加は、2014年の安倍晋三首相(当時)が最後でした。昨年、菅義偉首相(当時)も参加を検討していましたが、パンデミックのため、開催が中止され、出席がなりませんでした。
主催はシンガポール政府ではなく、イギリスの独立シンクタンクIISSです。シンガポール政府が全面協力しています。

岸田首相の基調講演

岸田首相の基調講演は、スクリプト全文と動画が開示されています。

要約です。

  1. 「平和のための岸田ビジョン (Kishida Vision for Peace)」を提起。
  2. 「平和のための『自由で開かれたインド太平洋』プラン」を来年春まで作成。
  3. インド太平洋諸国に、今後3年間で少なくとも約20億ドルの巡視船を含む海上安保設備の供与や海上輸送インフラを支援。
  4. 本年末までに新たな国家安全保障戦略を策定。日本の防衛力を5年以内に抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保。
  5. シンガポールとの間で、防衛装備品・技術移転協定の締結に向けた交渉を開始。

岸田首相自身による基調講演への評価としては、

5本柱からなる平和のための岸田ビジョン、これを進めて外交・安全保障面での役割を強化していきたい、こうした決意を表明いたしました。受け入れられたのか、評価されたのかということについては、終わった後の夕食会、多くの方々から声を掛けられ、講演の中身を評価する言葉をずいぶんとたくさん頂きました。

とのことです。

シャングリラダイアログでの成果

岸田首相に加え、岸信夫防衛大臣も参加していました。岸大臣は公表されただけでも、三国間協議を2回、防衛大臣会談を6回と、わずか3日間で大忙しでした。非リアが「絶対に関わりたくない」と泣き叫ぶような、こういう強烈な絵面になります。

防衛装備品・技術移転協定

今回のシンガポール訪問で最も大きい影響は、日本とシンガポールとの間の防衛装備品・技術移転協定でしょう。防衛装備・技術協力については、防衛装備庁が詳述しています。これまで12カ国と同様の取り決めがあり、ここにシンガポールが将来的に追加されることになります。

日本の防衛省の発表では具体的でない、2009年に行われた「日本国防衛省とシンガポール共和国国防省との間の防衛交流に関する覚書」の強化 (後方支援・技術交換・CBRE防御・戦略的コミュニケーション・海洋安保を新領域に含む) を、シンガポール発表では確認できます。

ゼレンスキー大統領講演

シャングリラダイアログでは、時の人であるウクライナのゼレンスキー大統領もビデオで講演を行いました。着ていたTシャツは、シンガポール人女性16歳がデザインした、シンガポール製です。


ロシアの侵略を非難し、スピーチ名手らしく、シンガポール初代首相のリー・クアンユーを引用します。

『「もし国際法がなく、大きな魚が小さな魚を食べ、小さな魚がエビを食べるなら、、、我々は生き残れない」リー・クアンユーの名言だ。』1966年のスピーチをゼレンスキー大統領は引用した。

「エビにも毒を持っているものがいる」「近隣諸国(小さい魚)に囲まれ、巨大な世界の力(大きな魚)に囲まれて、若い国が生き残るためには、防衛を固め、大きなものに付く生物のように、より強い国々と提携をするかだと、当時、リー・クアンユー氏はつなげています。

日本・シンガポール首脳会談

国賓として招かれているシンガポール首相およびシンガポール大統領と会談を行っています。

岸田首相はシンガポールの滞在が20時間程度でしたが、リー首相はかなりの時間を同行しており、まさに国賓待遇でした。
2010年に岸田首相がマーライオンの前で撮った写真を見たことから、リー首相は岸田首相をマリーナ・ベイに連れ立ってます。
共にした朝食ではロティプラタ・カヤトースト・豆腐花(豆乳プリン)、公式昼食会ではチリクラブケーキ・オタ(かまぼこ。スパイシーココナッツソースで)だったことを、リー首相は明かしています。

https://www.facebook.com/photo?fbid=565683851584415&set=pcb.565693794916754

(なに食べちゃおっかなー)

シンガポールでの評価

基調講演について、ストレートタイムズ紙は好意的に評価を載せています。

シンガポール元外務次官 ビラハリ・カウシカン氏は、安倍晋三元首相からアジアの安全保障の枠組を日本は再構築していると言う。「より積極的な日本は、アジアと世界の秩序での安定維持に、大きな意義がある」
今回のシャングリラダイアログに使節団として派遣されている、マレーシアのLiew Chin Tong元防衛副大臣は「アジアと世界は、転換点にある。より実践的なリーダーシップは、夢遊歩行よりよい」「戦争を避けるためには、緊張関係を率いて管理するリーダーをアジアは必要としている」

経済に加え、アジアでの安全保障の貢献も日本に期待するシンガポール

岸田首相とシンガポール首相の共同記者会見での、シンガポール首相の発言です。

東京での日経カンファレンスで私が述べたように、日本によるアジア太平洋での経済貢献ばかりでなく、地域の平和と安定への貢献も、シンガポールは期待しています。
年月と世代を通じて、新しい戦略環境において、日本が過去と折り合いをつけ、長く残っている歴史問題に区切りをどうすれば付けられるかの最良の方法を、考えるべきです。これによって、日本は地域での安全協力により大きな役割と日本がとることができ、開かれて包括的な地域の基本設計を、完全に作り支えることができるようになります。

「アジアの未来」でのこの発言が報じられて、いつものようにネトウヨ界隈では、脊髄反射的な反応が起きています。

「華僑のシンガポールは中国の衛星国」←賢いシンガポールは、中国と米国(日本)との間で、バランスをとって美味しい所を取れると考えている国です。シンガポールは歴史的由来で反共国家で、中国からのスパイも追放するなど、中国への警戒も強い国です。
「いつまで歴史問題を持ち出すのか」←シンガポールと日本の間では、1967年の血債協定で終了しています。シンガポールが補償や謝罪を要求しているわけではありません。これは「日本は中韓とのゴタゴタを片付けずに、安全保障で前に出ると、中韓から刺されるぞ」という警告です。

新種の蘭「キシダフミオ」

シンガポールでの儀礼として、新種の蘭にその人の名前をちなんで贈る、ということを行っています。蘭はシンガポールの国花です。これまでに200人に行われています。
日本の皇族に対して、Renanthera Akihitoや、Masako Koutaishi hidenkaという新種の蘭が贈られています。
今回、初めて首相に蘭が贈られました。「デンドロビウム・キシダフミオ」と名付けられ、命名式にはリー首相が立ち会いました。


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シンガポール ブキバト自然公園での日本人母子無理心中の検視官報告

2019年11月14日、シンガポールのブキバト自然公園で日本人母子の遺体が発見されました。無理心中と報道され、事件は日本人コミュニティに衝撃を与えました。
uniunichan.hatenablog.com

2020年10月19日、検視官の調書が開示されました。現地の主要メディアで全紙が報道しています。

各紙の報道をまとめます。



日本人女性(41歳)は、自宅で自分の息子を絞殺し、自然保護区で自殺する前に、深刻なうつを患っていた。
死亡する数日前に、仕事と2人の子どもの世話を女性は治療を求めていた。仕事と自分の2人の子どもの世話をすることができなかったためだ。

処方された薬は助けにならず、睡眠障害と不安を感じ続けていたと、遺書に書き残している。
5歳の長男が、心配とストレスの原因だった。子どもは、ADHDと自閉症を患っていた。


11月13日21時に、雇っていたメイドが、女性と長男の生前の姿をみた最後だった。子ども2人が寝付くまで、女性が本を読み聞かせていたのを、メイドは見ている。次の日の午前6時10分に、メイドが起きて、アッパーブキティマの自宅から女性と長男がいなくなったのがわかった。女性がメイドに、子どもを熱のために病院に連れて行くとメッセージを送っていたので、メイドは日常の家事を続けた。
監視カメラによると、朝5時39分に女性は自宅を運転して出ている。5時52分にLorong Sesuaiに着き、車を森林地帯に止め、車から降りた。森林地帯を歩き、傾斜を降りた。道路にそって他に車は見当たらなかった。女性だけがそこにいるのを、後に警察が発見している。

しばらくして、ブキバト伝送局の近くに配備されているAETOS社の警備員が車両を見つけ、車の後部座席に無反応な子どもを見つけた。眠っているように見え、白い布でおおわれていた。ノックに応答がなかったため、警備員は警察に通報した。



MHCメディカルセンター (Amara) からの医学報告は、11月11日に治療を求めて来院したと述べている。
女性はストレスを感じており、仕事をしながら2人の子どもの世話をするのは困難と、医師に伝えている。
睡眠不足であり、食欲がなく、体重が減り、髪を失い、一週間の間動悸が起きていた。自殺衝動は否定していた。
診療時に精神科医への紹介が行われ、同日に診察を受けた。女性は精神科医に、長男のためにストレスを感じていると告げたが、理由は明らかにしなかった。女性が、うつを感じ、自殺する考えを持っていると精神科医に女性が告げた後に、精神科医はシンガポールジェネラルホスピタル (SH) の救急を紹介した。SGHにタクシーで直ちに向かった。
SGHの医療報告によると、女性は、過去1年にわたって落ち込んでおり、精神的に沈み込んでいた。積極的な自殺は否定し、不眠症の薬を処方され、女性のプライベートの精神科医へのメモを渡され、病院から出た。

翌日、プライベートの精神科医を訪れたときに、SGHでの処方された睡眠薬を飲んだが、眠ることができなかったと女性は告げた。
食欲はなく、8キロ体重が減っており、エネルギーを低く感じ、仕事に集中できず、仕事へのモチベーションが弱く、息切れと落ち着きの無さを経験していた。
一週間前に、自分の命を終わらせる考えを一瞬持っていたと告げた。しかしながら、どんな準備もしておらず、子どものために自分を傷つけることはしないと述べていた。精神科医は、深刻なうつ病と診断し、抗うつ剤と精神安定剤を処方した。三週間後に再訪するか、引き続き睡眠が困難か症状が悪くなればそれより早く再訪するようにと精神科医は女性に伝えた。
うつと診断されており、睡眠に不安だったが、「積極的な自殺」ではなかった。女性のプライベート精神科医は、「自分の考えに関連性があり首尾一貫しており、精神病の兆候なしに会話をしていた」としていた。


夫は10月30日から中国に出張していた。妻と最後に話したのは、11月10日だった。海外から電話で話した時、全てが通常通りに見えた。妻は子どもを愛しており、子どもたちに決して暴力をふるったことはないと夫は話している。
「夫は仕事で忙しく、しばしば午後10時になって帰ってきていた」が、夫と妻の関係は通常のものだったと、検視官報告書はあらわしている。
夫は、妻がなぜ自殺に至ったかは分からなかった。シンガポールに戻ったときに、妻がうつを患っており、自分の息子がADHDと自閉症で学校でうまくやっていけないことに悲しみを感じているとの、SGHからの手紙を見つけた。


女性は、日本語で2通の遺書を残している。
夫にあてた女性の遺書では、自分はうつであり「長男を自分と連れて行く」と女性は書いていた。
自分のパニック発作は過剰であり、しばしば過呼吸になっていたと加えている。もし自分が倒れれば、子どもの面倒を見る人は誰もいなくなるのを、恐れていた。
女性は自分の行動を詫び、次男への心配をあらわした。夫に次男の世話を見るように繰り返し頼み、次男の成長、世話について詳細な指示を残していた。

二通目の遺書は、日本にいる兄弟にあてたものだった。次男の親権を兄弟がとり、兄弟の子どもと一緒に育てるよう懇願していた。次男の将来の費用についての金銭的な準備を兄弟に伝えていた。

証拠に基づくと、長男の死亡は母親の手による違法は殺人だったが、女性の死は意図的な自殺と結論づけている。検視官は、家族に追悼を述べている。

HELPLINES
  • Samaritans Of Singapore: 1800-221-4444
  • Singapore Association For Mental Health: 1800-283-7019
  • Institute Of Mental Health's Mobile Crisis Service: 6389-2222
  • Silver Ribbon: 6386-1928
  • Tinkle Friend: 1800-274-4788

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Lor Sesuai
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