今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

アジアンズを削除して「クレイジー・リッチ!」の邦題にした"偉業" ~映画の舞台、シンガポールでの徴兵~

「あなたはアジア人ですか?」

シンガポールウォッチャーのうにうにです。
質問です。
「あなたはアジア人ですか?」
こう聞かれて「はい、私はアジア人です」「はい、日本はアジアにありますから」と即答できる日本人は、どれだけいるでしょうか。「自分がアジア人?うーん、それはそうなんだけど、なんかちょっと違うよな」とちゅうちょする人はいると思います。

ハリウッド発の恋愛コメディ映画「クレイジー・リッチ・アジアンズ」(原題: Crazy Rich Asians)が、米国で8月15日に封切られました。
日本語に訳すと「クソ金持ちのアジア人達」。第一週に引き続き、第二週でも全米売上1位でした。日本での配給はワーナー・ブラザーズです。日本公開は9月28日ですが、私が住んでいるシンガポールでは8月22日から公開されており、みてきました。公開2週目の週末ということもあり、客入りは9割ほどと盛況。舞台となったシンガポールの知っている風景も多く映され、客席も盛り上がっていました。

ドタバタ恋愛コメディです。主人公は、シンガポール出身のクソ金持ちな中華系アジア人男性と、中華系アメリカ人知識階級女性。アメリカ在住中には彼氏が超富裕層の一家と知らなかったのが、友人の結婚式参加のためにシンガポールに来て、そうだったことを知ります。母親・祖母からのいじめと、シンガポール人女友達から嫌がらせを受けます。金持ちのきらびやかなお戯れを、我々庶民が見る構図ですね。富裕層や特権階級を題材にしたストーリーは、古来より世界中であり、その一つです。
www.youtube.com

舞台の大半はシンガポールで、これは原作者のケヴィン・クワン氏が"元"シンガポール人 (元シンガポール国籍) である自身の経験からきています。

Crazy Rich Asiansの邦題は「クレイジー・リッチ!」

"Crazy Rich Asians" は、邦題が「クレイジー・リッチ!」として9月28日に日本で公開されます。なお、日本語に翻訳された原作の小説は、そのままカタカナで「クレイジー・リッチ・アジアンズ」が単行本のタイトルです。


(いつものように) 日本版ポスターやフォントが驚きのダサさになったとか、「クレイジー・リッチ」だと英語として気持ち悪いとか言われていますが、私の注目は原題にあった「アジアンズ」が、邦題では削除されたことです。
意図的な削除と私は邪推しています。日本では「アジア人が主役の映画」というより、「ハリウッド発の恋愛コメディ映画」で推した方が、売上が伸びる、という判断があったのでは、ということです。

ホワイトウォッシュに抵抗した映画がはまったアジア人と中華系

映画は、映画の内容そのものだけでなく、映画を作るにあたってどんな背景や苦労があったのか、という周辺情報も含めた"ストーリー"が興行上でも重要になっています。本映画でのその一つが、"ホワイトウォッシュ"への抵抗です。

原作者であり本作のエグゼクティブ・プロデュ-サーでもあるクワンには、映画化へのオファーが絶えなかった中で“絶対に譲れないポイント”あった。「ある有名プロデューサーが連絡をしてきて『この映画を作ろう。でも、主役のヒロインを白人の女性にする必要があると感じているんだ』と言ってきた。完全に肝心な部分を理解していなかったんだ!「サンキュー・ベリーマッチ。グッバイ」という感じさ。でもその後で、できるだけ本に忠実に作りたいと思っているチームを見つけたんだ!

「俳優を白人に置き換えることに原作者は同意せず、ハリウッドのマイノリティであるアジア系で作った異色の映画。それが売れた」、というのが重要な周辺情報になっています。原題にあった「アジアンズ」を抜くのは、ホワイトウォッシュに抵抗した原作者の意志に反しているのでは、という疑問が生まれます。

他民族が演じることの是非

ストーリーにおいて、ヒロインはアメリカ人(国籍)ですが、それ以外の登場人物は中華系です。その女性主人公も、国籍と育ちはアメリカですが、親は中国出身の中華系との設定です。
配役において、俳優はアジア系であったとしても、中華系を演じている役者には中華系でない人がいます。異なる民族へのキャスティングは、「SAYURI」(原題: Memoirs of a Geisha)において、日本人の芸者の役を中国人チャン・ツィイー氏が演じた時のように、日本でも世界でもこれまでに何度も議論になっています。なお、本映画では、日系イギリス人のソノヤ・ミズノ氏が、中華系の役を演じています。
また、多民族国家のシンガポールであるにもかかわらず、"シングリッシュ"(シンガポールアクセントの英語)を話さない、また他の主要民族のマレー系やインド系が登場しないことへの批判も、SNSでおきていることが報じられています。

シンガポール最有力紙ストレーツ・タイムズは、キャスティングを痛烈に批判しています。「アジア人の血が入っていれば"十分にアジア人"とハリウッドが考えていることは明白だ。だから主人公とヒロインに中華系を血統に持つ白人が採用されたのだ」「売上のためだ。雑誌や、オーチャードや渋谷など大都市で映画の広告塔にのるのだ」また、白人や、肌の色が薄い人が、好意的に受け入れられる現象は世界的と指摘し、その例に日本のバービー人形などをあげています。

「アジアンズ」を邦題で抜いたのは、日本市場での判断であり、興行上の理由と私は推測します。人々の興味は自分との共通点から生まれます。初対面の相手に出身をたずねるのは、共通項と会話のいとぐちを探す一般的な行動です。「自分はアジア人だ」という意識を持つ日本人が多いとは考えにくい現状で、「アジア人の映画」をアピールして日本での興行成績が良くなるかは疑問です。 (にもかかわらず、「アジア人の映画」を「普遍的な恋愛と家族コメディ」と、米国で打ち出して受け入れられたので、価値があるのですが)

戦後の日本では、アジア唯一の先進国だった時代が一定期間ありました。アジアに位置しながらも、日本はアジアの中で別格で、「アジアというのは日本以外のアジア各国を指す」「アジア人というのは日本人以外のアジア人を指す」という意識が日本人に生まれた時代です。時代は変わりました。日本は変換期にあり、現状を受け入れる必要があります。世界銀行(2017年)では、一人あたり国内総生産(GDP)(名目)は、日本(3万8千ドル)であり、シンガポール(5万7千ドル)、香港(4万6千ドル)と引き離されています。国全体でも、中国のGDP12兆ドルに対して、日本は5兆ドルしかなく、倍以上の大差をつけられています。

邦題にしても、ポスターにしても、日本の配給側が責められがちですが、「これが日本で最大の売上をあげる方法」という判断の結果であることを忘れてはいけません。どんなに識者の評価が高くとも、客がついてこなければマスへのビジネスとして成り立ちません。つまり、「アジアンズ」を抜いた「クレイジー・リッチ!」が、2018年の日本人のアジアへの空気を表現した、優れた邦題だということです。
日本人がアジア人意識をもつのは、日本がアジアの地域共同体の中で生きていく、アジアの普通の国になった時かもしれません。

他国での映画タイトル

「クレイジー・リッチ・アジアンズ」がタイトルになっているのは、シンガポール、香港、台湾、ベトナム、マレーシア、韓国、スペイン、ノルウェーなど、大半の国です。ただし、香港ではアジアンズの意味がない「我的超豪男友」の現地タイトルに、クレイジー・リッチ・アジアンズの英語が両記されています。なお、中国は上映予定はありません。
例外として、ドイツは日本と同じ「クレイジー・リッチ」。
イタリアは「クレイジー&リッチ」です。
ヨーロッパにあるドイツ・イタリアと並んで、日本が「アジアンズを抜いた方が売上が良い」と考えられた市場というのは、興味深いです。

現実と異なる映画でのシンガポール描写

シンガポール在住の私には、マリーナ・ベイ・サンズなどなど、見知ったけ景色が次々に出てきますが、撮影にはシンガポールに加えて、マレーシアでも行われています。

典型的なのは祖母の豪邸です。広大な敷地が描かれていますが、あの大きさの豪邸はシンガポールには存在せず、マレーシア撮影です。シンガポールは土地が東京23区程度しかない都市国家で、土地は希少です。公営住宅 (HDB) すら日本のタワーマンションの高さで建てられる国ですから。「さすが、富裕層国家シンガポール、すげぇ」と誤解されないように、念のために書いておきます。
シンガポール在住者の私には、他にもある「映画での誇張した演出」にあーだこーだという楽しみ方がありました。

徴兵制度がある国、シンガポール

原作者のケビン・クワン氏は、シンガポール生まれ。曽祖父はシンガポールのメガバンクの1つOCBCの創設者という、裕福な家系で育っています。名門小学校であるアングロ・チャイニーズ・スクールで学びますが、11歳にて両親について渡米。その後はアメリカで過ごします。亡くなった父とのシンガポールでの生活の回顧録として始まったのが、クレイジー・リッチ・アジアンズです。自分の体験に着想を得た創作ですね。
舞台となったシンガポールでの公開にあわせ、シンガポールでプレミアが開かれ主要な俳優が並びましたが、原作者のケビン・クワン氏の姿はありませんでした。その直後に、ケビン・クワン氏はシンガポールでの徴兵 (ナショナル・サービス) に参加しておらず、シンガポールで指名手配されていることを、シンガポール国防省が明らかにしました。クワン氏は、徴兵なしでシンガポール国籍を回復するように求めた願書を出していますが、却下されています。

この映画は政府のシンガポール観光局 (STB) が後援に入っており、(単にチェック漏れの可能性もありますが)「あれはあれ、これはこれ」で政府が実利的な対応をしているのは、とてもシンガポールらしいです。

シンガポールは小国ですが、徴兵があります。シンガポールは政府の最大支出が防衛費であり、14.8%に達します(2018年)。なお、2位は運輸で、3位は教育です。日本政府の支出で防衛費は5%にすぎません。防衛費のGDP比では、日本は0.9%ですが、シンガポールは3.3%になります。他国に依存しない国防には、特に小国であれば、政府支出でも国民負担でも、それだけ重いものがあります。

国民意識を形作る徴兵というイニシエーション

シンガポールには「金が最重要の国」という印象を持つ日本人が多いのですが、すべての男性の国民(と永住権保持者の二世)は2年間にも及ぶ徴兵という負担を経ています。高度化した戦争でプロでない徴兵制度がどれだけ役に立つかを疑問視する意見もありますが、1965年にできたばかりの新しい国の国民意識の醸成に貢献しています。移民国家でありながら、移民や"新国民"との差異を際立たせるものに徴兵への参加をあげられることが多く、外国人との"違い"を肯定化する意識をもつくってしまっています。
逆に、"新国民"であったとしても、徴兵経験者であれば (極右以外の) シンガポール人は仲間として扱ってくれます。「あいつは新国民だろ?」「いや、そうだけど、NS(徴兵)にいったんだよ」「そうか、ならいいな」ということです。男子にとって徴兵は、シンガポール人として認められるイニシエーションとなっています

重国籍を認めないシンガポール

シンガポールは、日本同様に、重国籍を認めていません。両親の国籍や、出生地から、生まれながらに重国籍として生まれたシンガポール人は、22歳までにシンガポール国籍ととるか放棄するかの決断を迫られます。日本とシンガポールの重国籍の男性がいました。彼はシンガポール国籍を選択する宣誓を、手続きの理解不足から知りませんでした。宣誓を行わなかったことでシンガポール国籍は自動的に喪失し、もう一つの国籍である日本国籍を放棄していたために、無国籍となります。
この時、世論は男性の擁護にまわりました。理由は、彼が徴兵を済ませていたからです。「なんであいつNSいったのに、シンガポール人に認めねぇんだよ。なんとかしてやれよ、政府」という仲間意識です。最終的には、シンガポール国籍を回復しています。

「明るい北朝鮮」は不適切な表現

シンガポールの国防やそれがいかに厳しいかの話をすると、すぐに『シンガポールは「明るい北朝鮮」だから』とドヤ顔で持ち出す人がいます。「明るい北朝鮮」という表現は不適切です。不適切なのは、揶揄だからでなく、シンガポールは国家創設以来の強固な反共国家であり、秘密投票による普通選挙で政権が選ばれているからです。中華系が3/4を占める中華系国家であるがゆえに、今となっては中国との特に経済に基づく関係を持っていますが、共産化を恐れ中国と国交を持ったのは1990年になってやっとです。日中国交正常化は1972年であるのにです。シンガポールは一党支配体制が続いていますが、日本も戦後の55年体制や、その後の一時的な中断を経ても、結局は強固な与党が継続的に政権支配をしている国なのを忘れてはいけません。
『シンガポールは「ブライト ノースコリア」と日本では呼ばれていて』とわざわざシンガポール人に説明する日本人がいます。滑稽です。「明るい北朝鮮」は不適切であるがゆえに、世界中で日本でしか使われていない用語です。日本通のシンガポール人しか知りませんし、知ってるシンガポール人は「またか」とうんざりしています。
シンガポールは国の歴史が浅く、移民国家であるがために、経済のみでなく国防を通じて、国民意識を培ってきました。国民を食わせることと、国民の安全を保障することは、国家の存在意義であり、国家の浮沈がかかっています。経済と国防(治安)には、表現の自由への制限や厳罰主義とのトレードオフでしか得られないかは、議論されるべきと理解します。しかし、これは「明るい北朝鮮」という不適切な表現を正当化する理由にはなりません。

こういうお硬い見方もありますが、単純に面白い映画です。是非、見に行ってください!

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「駐在ですか?現地採用ですか?」海外日本人村を分断する身分格差

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。
お怒りの投稿が、ツイッターで流れてきました。


「アホ」という強い言葉を使うほどなぜ傷ついているのか、という背景についてです。

世の中には、発言している方は全く悪気は無いが、言われた方は大いに傷つく言葉、というものが多くあります。
「駐在ですか?(現地採用ですか?)」
は海外日本人村でのその一つです。もちろん、すべての人が傷つくわけではありません。聞かれた人が駐在の場合は「駐在です」で終わりですし、現地採用でも気にしない人もいます。大半の現地採用は、悪気はないのは分かっているので聞き流しますが、良い気はしていません。

駐在とは、日本の勤務先に在籍したままで、海外赴任をしている人のことです。駐在手当や現地家賃などが福利厚生として提供されるため、日本でより羽振りが良くなるのが一般的です。現地採用は、海外現地での雇用契約であり、待遇は特に発展途上国勤務だと現地の雇用水準プラスアルファ程度が相場です。現地民よりかは良いのですが、駐在にははるか及びません。役職も違うとはいえ、家賃なども含めた待遇格差は、先進国でも倍、発展途上国では数倍にもなります。

※参照: 駐在と現地採用の待遇格差について
uniunichan.hatenablog.com

質問した人と、質問された人とでの、焦点のズレ

「こっちに駐在で来ているんですけど」
という発言でも同様ですが、発言者の意図は明確です。
「私は勤務先の業務命令で、海外赴任をしています」
というものです。通常、それ以上でも以下でもありません。特定界隈では"駐妻"というものにステータスがあるのと同様に、駐在にステータスがある生態系もありますが、海外在住日本人の大半は駐在です。この会話をしている相手も駐在であることが多く、特にマウンティングできるわけでもないからです。

ところが、質問された現地採用は、駐在ではないという雇用体系の違いや、そこから来る待遇・経済力の違いまで含めて意識させられるのです。
「駐在か現地採用かというのが、お前にどう関係あるんだよ。役職なら名刺渡してるだろ」
という反発が生まれます。
質問している駐在員は、悪気はありませんし、相手が傷ついているとも知りません。人の足を踏んだ人は、踏んだことにも気づいていない、大したことがないと思っています。

現地採用を見下す人々

質問をする人の中には、「駐在なら責任者だが、将来的には帰国前提。現地採用ならスタッフ・リーダーレベルで、帰任はない。というのを確認したい」という人がいます。しかし、役職はそれこそ名刺で分かります。3年から5年で帰任する駐在員が多いのは確かですが、待遇や将来性の無さから同じ日系企業で働き続ける現地採用者もまれです。結局は、「ご出身はどちらで?」に類似した会話のつなぎが、相手が不適切だったので反発される、ということです。

困ったことに、現地採用と聞くと見下していると受け取られる態度をとる人も少数ですがいます。露骨に関心を失ったり、無視してコミュニケーションから外してくる人たちです。理由は、自分と異なるコミュニティに相手が所属しており、なおかつ、自分がメリットを得られない人間関係だからです。相手の人となりではなく、相手の社会的地位で物事を判断する人といって良いでしょう。

駐在、現地採用は身分制度

「正社員ですか?派遣ですか?」

「駐在ですか?」という質問がいかにセンシティブかは、日本では、
「正社員ですか?派遣ですか?」
の質問にたとえられます。「海外で働いている事情は」「当地での付き合いがどれぐらい長くなるかに関わる」「別に事実を聞いてるだけだし」と言ってる人たちも、このたとえを説明するとさすがに言葉につまります。本人の事情や動機なんか何だっていいのです。駐在・現地採用というのは、正社員・派遣と同じ身分制度なのです。例外もありますが、派遣が仕事ができれば正社員になれるわけでないのと同様に、努力や成果で現地採用が駐在になれるわけでもないのです。現地採用のキャリアパスの先に、駐在があるわけでないのが絶望の縁です。平社員が課長・部長に昇進するのとは違うのです。現地採用が駐在になるには、日本本社への転籍が必要です。仕事ができるのは当然として、現地法人の強い推薦と、本社の予算と在籍に空きが必要です。
人生の積み上げの結果で、派遣だったり、現地採用をやっているわけですが、それと仕事への能力は直接的には関係していません。入り口が違うのが最大の理由です。仕事のパフォーマンスと、待遇がリンクしているわけでないのが、身分制度が非難されるべき理由です。

外国人は大学名や勤務先を聞かないのか?

本記事の初めのツイッターで言及されている「外国人は大学名ではなく、勉強した科目聞くし 企業名でなく、業界を聞く」について。
少なくとも私の環境では、大学名も勤務先も聞かれます。
これは、バックグラウンドが近く、同じコミュニティに属している相手であれば、聞くこと自体が失礼にあたらないからです。駐在が駐在に「駐在ですか?」と聞いても「駐在です」と返事されて終わるのと同じです。初めて会う人と話をするにあたって、類似の属性を探してそこからから話の糸口にしようとするのは、一般的です。「NUS(シンガポール国立大学)に行ってたんですけど、今も勤務先が隣駅のワンノースのアップルなので、いまだに学生気分で」というように。これが、本人が国立大学卒で、話している相手が私立大や海外校の可能性が高いと思われれば、共通の属性とならないため、こういう無意味な話題は避けられます。むしろ、学部での専攻や、有名企業でなければ業界や職種を話したほうが、共通項が得られる可能性が高いでしょう。

つまり、このツイートの方は、「海外の大学なので聞いてもどうせ分からない」「自分のコミュニティ外の外人枠だから大学名を聞いても接点にならない」と思われているのではないでしょうか。私の今の環境での判断ですが。
そもそも「外国人」と主語が大きい時点で、このツイートを読む側にも注意警報が出て良いところです。

「海外で働いている私、すごい」

海外で働いていると、"海外ハイ"な時があります。「海外で働いている私、すごい」という高揚感です。
ところが、日々の生活では、職場では駐在に指示された翻訳や雑用をして、家に帰ると他人とルームシェア(フラットシェア)で完全なプライバシーがなく、日本人独身男女が女性に偏っていることからパートナーを作るにも苦労し、永住権のハードルがあがっていることから就労ビザ更新に冷や冷やするのが、シンガポールでの現実です。年金も大半は納めておらず、日本のセーフティネットを自分で捨てた結果とはいえ、滞在国の社会保障からも漏れています。将来をうっかり直視すると、不安は底知れぬものがあります。
高揚感をぶち壊して、現実に連れ戻す質問が「駐在ですか?」なのです。このギャップの深さゆえ、傷つき方も大きいのです。

強く生きてください

すすめませんが、希望もゼロではないシンガポールの現地採用

現地採用への風当たりでいうと、シンガポールは恵まれています。金融フロント、医師、弁護士、外資系企業専門職という、高給であったり社会的地位が高い現地採用者がいる国だからです。さきほど、「現地採用は絶望の縁に立っている」と書きましたが、そこにいない人たちです。「日系企業の現地採用」=「苦労している」、というのは発展途上国勤務の現地作用と同じ評価ですが、駐在並かそれ以上に稼ぐ現地採用もいることは知られています。海外でも日本人としての生活を、家族を持っておくることができる人たちです。

※参照: シンガポールでの現地採用の給与水準です。
uniunichan.hatenablog.com

海外日本人村は階層化しています。駐在と現地採用の分断は埋められません。駐在は現地採用のことを全く気にもかけていませんが、多くの現地採用は駐在を強く意識しています。現地採用が強く生きるには、結局は稼ぐことに尽きます。

  1. 駐在に転籍
  2. 稼ぐ自営
  3. 外資系企業専門職
  4. 日本に凱旋帰国して欧米外資系企業勤務

が、成功した現地採用出身者のキャリアパスです。
いずれもかなり困難な道のりです。努力以上に、景気と運にも左右されます。そして最も可能性が高いのは、海外に残留する1, 2, 3ではなく、4.の日本での凱旋帰国です。安易に海外就職をする前に、本当に海外就職での一か八かのキャリアパスが、日本でのキャリアパスより優れているかを、慎重に検討されることをおすすめします。
強く生きてください。


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「日本語、お上手ですね」と小泉八雲 ~書評「東大留学生ディオンが見たニッポン」~

シンガポールウォッチャーのうにうにです。今回は書評というより、本を題材にした「海外生活者、ニヤニヤ」になってしまいました。「それってシンガポールで、私や日本人が感じていることへのカウンターだよ」という内容があるからです。「シンガポールに住んでいる日本人の視点」で本書への感想を書いてみます。
お題は「東大留学生ディオンが見たニッポン」(著者:ディオン・ン・ジェ・ティン)です。出版社は岩波ジュニア新書という良いところ。

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

※アフィリエイトはしていません。

本のタイトルから分かりますが、内容は「外国人が東京大学で学生をして、見たこと感じたこと」です。このディオン氏がシンガポール人なので、私の読書対象になりました。

本書に"含まれていない"こと

まず最初に、私は興味がありましたが、この本の内容に含まれていないことは下記です。

  • 日本に興味をもったきっかけと、興味の対象
  • (受験) 大学受験の情報収集、受験対策ペーパーテスト結果、併願校など
  • (卒業後進路) 在学生の希望進路、卒業生の進路実績

他文献を見ても、進学先を日本にしたのは、高校(JC)までに、「日本語を頑張ったので」という簡潔な表現にとどまります。
東大留学前に日本に9回も旅行しており、お姉さんも日本でのホームスティ経験があります。家族を含めて、日本に興味があることが分かりますが、ディオン氏が日本の何に興味を持ったのか(例えばアニメ等)は直接記載されていません。
また、本書を読んでも「どうすれば東大PEAKに合格できるのか」や「受験手続き」には一切触れていません。卒業後の進路や展望も記載がありません。

ディオン氏のプロフィール

本書等から私が作成したディオン氏のプロフィールです。

国籍 シンガポール
居住地 18歳までシンガポール。その後、日本。
家族 2つ年上に、日本語を勉強する姉がいる。
在籍 東京大学 教養学部 教養学科 国際日本研究コース
学歴 ラッフルズ・インスティチューション
語学 英語と日本語は堪能。日本語は中学生の時からシンガポール教育省語学センターにて勉強。高校卒業前までに日本語検定1級取得済み。母語は中国語、、フランス語を第四言語として学習しフランスの大学に短期交換留学
部活 バトミントン (大学入学から)。東大新聞デジタル事業部。インカレバンドサークル。
ラッフルズ・インスティチューション

ラッフルズ・インスティチューション、通称RIはシンガポールでのトップの中のトップ校です。シンガポール首相・大統領・閣僚など各回著名人を多数排出しています。日本でも東大入学より、灘・開成に入る方が難しいですが、シンガポールではRIがそれにあたります。シンガポール国立大学などへの入学よりはるかに困難です。シンガポールにおけるエリート主義、としてやり玉にあがることすらある学校です。

シンガポール教育省 語学センター

さらっとRI出身と書かれているように、さらっと教育省語学センター(MOE LC)が書かれていますが、これも成績優秀者のみの教育課程です。小学校卒業試験であるPSLEで、成績が上位10%である生徒のみが、第三言語としてここで学習できます。

東大PEAKとは

PEAKとは Programs in English at Komabaの略となっており、「駒場キャンパスでの英語プログラム」の意味です。日本の文部科学省が導入したGlobal 30プログラムの一つになります。秋入学。授業はすべて英語。
東大には10.88%の留学生がおり、その中の2%がPEAK生(本書執筆時点)。ディオン氏の執筆時では、1期生と2期生の50人が16カ国の国籍を持ちます。
ディオン氏は、東大PEAKの他に、文部科学省の奨学金にも受かっています。学費が免除になり、生活費と里帰り航空券まででるという、トップ留学生向けの一部界隈で有名なアレです。来日して1年間はまず外語大で日本をを学ぶ必要があり、その時の成績で入学大学が決まるため、9月入学でもあり卒業が早い東大PEAKにしたと述べています

書評

それでは本題に入ります。

日本は外見重視の国か

化粧の有無から他人の年齢や人種を判断する。 (P.17)

日本社会がいかに外見と表面を重視するか。 (P.18)

日本の外見重視は他国と同程度のはずで、むしろシンガポールが特異ではないかと私は思っています。日本では、女性であれば化粧、男性であればスーツなどによって、社会的なプロトコルに則っているかが測られ、そぐわない人は警戒されます。
その一方、シンガポールでは外見から職業や社会的地位を推測することは困難です。シンガポールの街で異彩を放つ人たちがいます。この常夏の国でもスーツを着ている日本人です。シンガポールでスーツを着ているのは過半数が日本人、そのほかに多少韓国人がいて、わずかに金融系の人たちがいます。ネクタイをしめる人も少数なシンガポールで、身なりから人を判断するのは不可能です。なので、Tシャツ・短パン・サンダルの人が大金持ちだと知って、ぎょっとした経験をしたことがある人がいるはずです。2012年にシンガポールに進出した紳士服のコナカは、私から見てお客さんが入っている様子がなかったのですが、5年営業を続けて、2017年に撤退しました。
社会的なプロトコルで、シンガポールよりカジュアルな国を私は知りません。同じ東南アジアでも、例えばタイだとホワイトカラーであれば、ビジネスにはタイをしめ、スーツを着ても目立ちません。
ですので、ここでのディオン氏の指摘は「日本への指摘」というより、「シンガポール人の外国経験」と捉えたほうが良いのではないかと思います。

シンガポールで友人になりにくいのはシンガポール人

留学生との接し方に関して、TGIFのイベントに来ている日本人の学生が、新歓イベントで知り合った日本人の学生とだいぶ違う。 (P.24)

シンガポールで最も友人になりにくい国の人は、シンガポール人だと私は思っています。外国人同士、特にアジア人同士のほうがずっと友人になりやすいです。
どの国でもそうですが、その国の大半の人は外国人に興味がありません。これは特にエスタブリッシュなエリートほどそうです。することがいっぱいあるのに、言葉や文化に不自由な外国人とコミュニケーションをわざわざ積極的にとる理由がないのです外国人差別とまで呼べるものではなく、彼らの利害関係にないので、単に興味がなく無関心なのです。話をしにいくと、普通に答えてくれますが、それ以上の親密さを引き出すのは困難です。自分が提供できる何かが必要だからです。
外国人が移り住んだ国で、初期段階でする必要があるのは、

  • 母国からを含め、外国人同士での仲間を作ること
  • 現地民から「親外国人派」を見つけて仲良くなり、その人を突破口に現地コミュニティに入っていくこと

だと私は思っています。外国で不自由になってジタバタしているのを、見るに見かねて助け舟を出してくれる世話好きは、だいたいどの国にでもいます。ディオン氏が指摘している『TGIFのイベントに来ている日本人の学生』というのがこの"親外国人派"です。また、『新歓イベントで知り合った日本人の学生』というのは外国人に無関心な多数の一般人です。つまり、"親外国人派"は仲良くなるのに外国人に対して下駄をはかせてくれる。その一方で、多数の一般人は言語・文化などの不自由さから、外国人が仲良くなるのにハンデとなるのです。

「日本語お上手ですね」は「日本語が母国語ではないのですね」「あなたは外国人ですね」の意味

「ハジメマシテ。ディオンと申します。よろしくお願いします。」「うわー、ディオンさん、日本語お上手ですね」というパターンで初対面の方々との会話が始まります。なぜ自分が一言の挨拶しか言っていないのに、すぐ日本語がうまいとほめられるの? (P.34)

東アジア人に近い顔つきの外国人に対し、完璧な日本語が話せることを求める人もいます。 (P.36)

外国人に対して「うわー、日本語お上手ですね!」という発言は、日本語がそもそも日本人専用の言葉であり、国民のアイデンティティーであることを前提にするもの (P.49)

ロシア人の留学生が入ってきました。生まれつきの肌色で区別されるとは思わなかったです。 (P.143)

ディオン氏の分析に近い印象を私も持っています。
日本人は外国人が日本語を話すと、すぐに「日本語、お上手ですね」と言います。何かの義務であるかのように、多くの日本人がそれを口にします。これは、

  • 天気の話と同じで、外国人向けの挨拶
  • お互いに共通の話題に手探りなので、とりあえず褒めている。敵意が無いことを表す
  • あなたの日本語はネィティブではないですが、私は理解できています

という意味です。

"You speak English well." (英語、お上手ですね)
と言われたことがある日本人はどれだけいるでしょうか。別に英語でなくても、現地語でよいのですが、海外居住者なら経験があるはずです。
字面は褒めているはずなのに、これを複数回経験すると疑問に思い、そのうち「カチン」ときませんでしたか?「仕事や、学校や、近所付き合いの用事や、友達が欲しくて話に来ているのに、話題に語学なんか選ぶなよ」、と。そして当然の事実に気付くはずです。同国民なら、相手の語学に話題として触れることがなくて、外国人扱いとして壁を作られている表現だということです。「英語、お上手ですね」というのは「外国人の割には上手ですね」「ネイティブではないですね」という意味に過ぎません。
日本人が決まって「日本語、お上手ですね」と判を押したように言うのは、上記3点が合わさった理由ですが、これが良い印象を与えないことは知られていません。理由は「英語、お上手ですね」と言われた経験がある人が少ないからです。外国人であることを意識付ける、壁を作る表現であることを、日本人は知る必要があります。

私の職場に、日本国籍でない日本語話者がいます。それらを見ていて分かるのが、「外国語ができない日本人ほど、外国人が話す日本語に厳しい」ということです。自身が外国で苦労をしたことがないので、話に詰まるとすぐに「日本人にかわれ」と平気で言えるのです。そしてこれは、相手の外見がアジア人であればより強固です。西洋人・白人であれば、「ガイジンが頑張って日本語を話している」と多少の間違いや意思疎通での困難さにも、突然おおらかになります。人種への偏見です。海外在住者としては、そのおおらかさを、アジア人にも向けて欲しいと願っています。

ココがヘンだよ、日本での外国語・英語教育

学校で使っていた教科書を見せてもらったら、説明が確かにすべて日本語 (P.63)

中国語の先生が間違いなくずっと中国語で話していました (P.67)

私が中学校一年生の頃から六年間日本語の授業を受けていたシンガポールの教育省語学センター (Ministry of Education Language Centre, MOELC)でも、すべての第三語言語授業が最初からその言葉で教えられています。私が使っていた教科書にも英語が一切なく、日本語とイラストに絞った説明の仕方をしていました。日本語の文章を英訳したり英語の文章を和訳したりすることを求める課題もありませんでした。 (P.68)

(日本では)会話のスキルがあまり重視されていない (P.74)

「中学高校と6年間も膨大な時間を使って英語を勉強したのに、話せるようにならない。日本の英語教育は駄目だ」というのは一般的な日本でのコンセンサスです。その一方で、帰国子女でもないのに、英語ができるようになった人からは、「日本の英語教育が間違っている」という苦情を聞くことはまれです。少なくとも私の周囲ではそうです。私の周りの感想では「学校の英語授業だけでは、勉強時間が圧倒的に不足していた」というものです。
英語や中国語が日常的に使われているシンガポールと、10年に1回ぐらい外国人に道を英語で聞かれるかどうかしか使いみちがない日本とで、使用量が全然違うのに同じ学習法ができるわけがありません。
また、言語間距離の問題があります。日本人は英語音痴ですが、語学音痴ではありません。言語構造が比較的近い韓国語では、スラスラと上達していく日本人を見てきました。その一方、言語構造の隔たりが大きい英語は、日本人が習得するのに大変な学習量が必要です。
これまでは日本の英語教育では「文法と読解で手一杯」でしたが、今後はリスニングとスピーキングもするように迫られています。今の英語教育に欠けている発音記号などは年齢が若い内に学ぶべきであり、英語学習に必要な時間や負荷は今後も上がるのでしょう。

大学に来てから中国人、台湾人、香港人の友達に出会い、本当のネイティブ中国語話者の会話に時々ついていけない (P.66)

シンガポールで時々目にするのが「シンガポール人の中国語が中国人に通じない」です。祖父母や友人と一部は中国語で話し、小中高と長年勉強し、中華系であったとしてもです。読むのに時間がかかる、書けない、という率が年齢が若いほど高まります。英語教育が第一だからです。学校教育だけでは不足という意味においては、シンガポール人にとっての中国語は、日本人にとっての英語に多少近いかもしれません。

日本での外国人サバイバル

留学生同士でイベントに出たりし、留学生というアイデンティティーをすぐアピール (P.122)

海外生活経験がある代わりに、日常会話以外のアカデミックな日本語を身に着けていない帰国子女やハーフ (P.145)

帰国したら「外国剥がし」」や「染め直し」 (P.145)

特に日本で嫌われるものの一つに「出羽守(でわのかみ)」があります。帰国子女や留学など海外居住経験者が「(自分が住んでいた国)では~だった」と事あるごとに「では」「では」と引き合いに出すことです。それほど親しくない知人にとっては、特に興味深い話でなければ、その人が過ごしてきた国には興味がありません。そんな話を持ち出されても、こちらで適応不可能だし、ベンチマークを取られても関心が持てず、特にそれが外国であれば環境自慢にしか聞こえないのです。どの国でも大なり小なり出羽守は嫌われやすいと思いますが、日本は若干その傾向が強いはずです。

君は小泉八雲になれるか

「用事から日本に住んだことのない人は、どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」と日本語の先生(日本人)に言われたことがあります。 (P.198)

それでは、「外国人が現地化する」とはどういうことでしょうか。

  • 現地語で円滑に意思疎通がとれる
  • 自分の出身国の話題に頼らずに、ビジネス、趣味や現地の話題で会話を継続できる
  • 現地の文化・風習に通じており、服装・立ち居振る舞いで違和感を与えない

ディオン氏が日本語教師から指摘されたのは、字面だけだと単純にネィティブと非ネィティブの語学力の差ですが、時にネィティブとは語学を超えて、文化・風習も含めた意味を含むことがあります。
著名な外国人でこの域に達した初期の人は、ギリシャ生まれイギリス人だったラフカディオ・ハーン。日本名、小泉八雲です。
40歳にて、米国を発ち、日本で島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師になります。41歳で羽織袴の正装で年始回りをし、身の回りの世話するためにのちに妻になる日本人女性を雇います。44歳、日本の英語著作を出版。46歳、日本に帰化し小泉八雲と改名、仕事では帝国大学英文学科講師になります。54歳で狭心症で亡くなるまでに、3男1女をもうけます。

その小泉八雲も、日本語は会話はできましたが、読み書きはできませんでした。有名な「雪女」「耳なし芳一」は、妻や農民からの口述を受けての英語での出版です。しかし、言語・文化・国籍・家族と現地化を遂げました。自分の身になって考えると、これらを小泉八雲のレベルで達成するには、目がくらむような努力だけでなく、覚悟も必要なのが分かります。移民が使う言葉や世界共通語である非ネイティブが多い英語と比べて、日本語では「どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」という言葉は重く感じます。

日本人はチームワークを勉強で経験しない

ディスカッションやディベートを積極的に教室内でやることが、日本の学校では一般的なことではないと気づきました。(P172)

グループワークを通し、仲間同士でも自分の立場を守って意見をしっかり言えるようになり、多様な見方にある価値も理解 (P.173)

日本の教育現場では講義スタイルが一般的 (P.174)

日本人は「傑出した人物が引っ張るリーダーシップ」より、「組織力で皆が頑張る」というのが一般的な評価でしょう。
ところが、学業でチームワークを学ぶことはありません。グループワークが与えられ、理解が低かったりやる気がないメンバーが打ち合わせに出てこない、依頼したタスクをやってこず、「それだったら全部自分でやった方が早い」という葛藤でプレゼンを行い、並以下の成績を付けられる経験を、大学以前にした日本人はまずいないはずです。勉強は教師の手助けを得ながら、机に向かって一人で行うのが日本の学校です。
日本人のチームワークは、学校教育では体育や部活である程度です。最も時間をかけて世間評価が大きい学業で経験しないチームワークが、日本人は評価が高いとされているのですから、興味深いものがあります。大学生が就職する時に直面する、企業の体育会好み、学業軽視の評価は、ここが関係しているかもしれません。

最後に、私の東大PEAKへの印象

東大PEAKを進学先として選択するには、

  • 受験結果から (併願校との合否で、他の有名校に受からなかった。2014年度合格者の7割は他有名校を選択)
  • 日本に関わりがある (帰国子女や、日本人の二世・三世など)
  • 日本や東京で学生時代を過ごしたい (日本のサブカルチャーへの興味、欧米以外の変わった進学先を探している、欧米と比べて手頃な学費生活費負担で留学がしたい)

などが想定されます。

本書を読む前からですが、東大PEAKは進学先として注意が必要と、私は考えていました。理由は卒業後の進路です。

  • (日本就職) どの国でも外国人はそうですが、特に日本で外国人は日本での就職に苦労する。日本語で授業を受け、日本人と同じ机で勉強した外国人でも、日本語能力や外国人であるフィット理由で就職先を探すのに苦労する。語学としての日本語授業は必須でも、基本は英語で授業を受けるPEAKは、日本就職の助けとして不十分。
  • (海外就職) 母国や第三国(欧米やその他各国)での就職に、"Todai"は助けとして弱い。日本の外では、東大はごく一部にしか知られていない。海外で日系企業は就職先として魅力的ではない
  • (進学) PEAKは学際分野。学部でコースとして選択できる「国際日本研究コース」「国際環境学コース」から、PEAK卒向けに用意されている大学院コース(GSP/GPES)以外に、専門性が高い修士・Ph.Dへと直結させることは難しいのでは。

上記の難題に、ディオン氏がどうクリアされようとするのかが、私の興味でした。本書のテーマに進路は含まれておらず、そこへの回答は得られませんでした。