今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

小学館発行のシンガポール建国の父「リー・クアンユー伝記漫画」

小学館の伝記漫画

小学館アジアがシンガポール建国の父であるリー・クアンユー氏の伝記漫画を出版しました。今回はその書評。
小学生時代を思い出せば、図書館や教室の小さな蔵書コーナーで、偉い人の伝記や「はだしのゲン」などの教育漫画があったことを思い出します。その小学校需要を作っている一社が小学館。現在、伝記漫画だと50巻を刊行しており、豊臣秀吉からスティーブ・ジョブズ氏までカバーされています。

小学館が乗り出したアジアビジネスとしての第一弾伝記漫画になったのがリー・クアンユー氏。原作・鍋田吉郎氏、作画・藤原芳秀氏ですが、言語は英語です。シンガポールだけでなく、東南アジアの全11ヶ国で販売します。初版は1万8千部で、人口561万人のシンガポールだけでは、かなり強気の部数です。シンガポールで小学生はわずか24万人、シンガポール以外でそこまで売れるとは思わないので、シンガポール小学生の13人に1人が買ってようやく初版完売です。恐ろしい…
■朝日新聞: 建国の父LKY、漫画に 小学館、東南アジア展開第1弾

試し読みあります!

定価は$16.90。試し読みも下記リンクから、"Preview"のアイコンをクリックして下さい。
■SHOGAKUKAN ASIA: The LKY Story

日本語版

日本語版も実はあります。キンドルでは1080円です。日本語版は電子書籍のみで、紙では販売ありません。アマゾンでは、日本語版の試し読みも可能です。
■Amazon: リー・クアンユー物語:国家を創った男
■小学館: リー・クアンユー物語:国家を創った男
リー・クアンユー物語:国家を創った男

シンガポール建国の父「リー・クアンユー氏」

私のブログを読んでいる人にはおなじみのリー・クアンユー氏。名前の頭文字をとって"LKY"とも呼ばれます。シンガポールの初代首相で、独立前から数えて31年間という長期に渡り首相を務めました。リー・クアンユー氏の歴史は、現代シンガポールの歴史そのものです。
伝記漫画では、リー・クアンユー氏の生涯のうち、シンガポールがマレーシアから追放されるように独立するまでが描かれています。国を独立に導く人は、独立後に国を発展させるのに通常うまくいかないですが、その例外がリー・クアンユー氏です。シンガポールの凄みは、独立後の高度経済成長にあるのですが、物語としては地味なためか、含まれていません。

英語漫画のローカライゼーション

漫画は滅多に私は読まないのですが、現地化という意味で気づいたことを幾つか。

擬音語は日本語

擬音語が日本語で書かれています。例えば「シーン」という日本語が絵の中に書かれ、SELENCEという英語が小さくつきます。アメコミ(アメリカ漫画)だと擬音語は英語です。この本の想定読者は英語が一番大きいはずなのですが、作画が日本人な影響かと推測しました。

右から左に読む

本書では右から左に読むのが、読み順です。
日本の漫画は右から左に読みます。これは漫画の普及当時に、縦書きが主流で、縦書きだと右から左に読むからと想定されます(舞台演劇の影響などの説もあります)。
シンガポールは英語圏です。アメコミでは左から右に読みます。
本書を左からページを開くと「このページは最後。右から左に読んでね」とわざわざ書かれています。
作画が日本人であるため、日本様式以外で書くのが困難だったのではと推測されます。

全部大文字で記述

セリフや言葉や解説まで、全部英語大文字で書かれており、圧迫感があって、読み疲れます。アメコミだと、小文字も使われているものだけでなく、全て大文字になっているものもあります。大文字だけの表記は、私には慣れませんでした。

漫画のあらすじ (リー・クアンユー氏の半生とシンガポール現代史)

  • 1965年8月9日のシンガポール独立から話が始まる。(P.5)「シンガポールはマレーシアから出たのか?」「むしろ追い出されたんだろ」(P.8)
  • LKY氏の少年時代に話がさかのぼる。イギリス人が航海中にどんな状況でもちゃんと着こなして優雅に食事をとっていた祖父の話から、イギリスへの憧れをうかがい知れる。また英語で日常会話する裕福な家庭だった。(P.12-13)
  • 1929年。世界大恐慌で多くの資産を失う。(P.14)
  • 当初は中国語の学校に通っていたが、馴染めずに英語の学校に転校する。今でもシンガポール随一の名門ラッフルズ・インスティチュートです。優秀な成績をおさめ、ラッフルズ・カレッジに進学する。(P.27,28)
  • ラッフルズ・カレッジ卒業で、LKY氏の成績は二番目。主席は将来LKY氏と結婚するクヮ・ギョクチュー氏だった。(P.32)
  • 太平洋戦争勃発。「英国軍がなんとかしてくれる」との期待はかなわず、1942年2月15日にシンガポールは日本軍に降伏。(P.39)
  • シンガポール華僑虐殺事件。LKY氏も虐殺対象に選ばれるが、機転を利かして間一髪で難を逃れる。(P.50)

uniunichan.hatenablog.com

  • 1945年9月12日。日本軍が降伏文書に調印し、戻ってきた英国軍を住民は歓喜で迎える。(P.90)
  • 1946~50年。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。その後、ケンブリッジ大学に移り、法律を学び弁護士となる。イギリスで、アジア人への人種差別を経験する。(P.93)
  • 1947年。クヮ・ギョクチュー氏が、植民地政府のQueen's Scholarshipを得て渡英。二人は結婚する。(P.100)
  • 人種差別を経験したことでシンガポールの地位の低さと、シンガポールの共産主義者がストライキで社会を破壊しているとして、英国に留学中のラッフルズ同窓を仲間に、シンガポールの独立を志す。(P.106)
  • 1950年。帰国。二人は同じ法律事務所で働き出す。3年間給料が上がっていない郵便局員の労働組合に、デモの法律アドバイスを無償でする。賃上げ交渉を政府とし成功する。(P.113,118)
  • 1954年。英国からの独立を目指す仲間も含め、中国語が話せず「英国で教育を受けたエリート」と見られ支持基盤がないことを自覚していた。同じく独立を目的とするLim Chin Sionなどが所属するチャイニーズトレードユニオンと手を結び、政党People's Action Party(PAP)を結成。(P.132)

■シンガポール国立図書館: Lim Chin Sion

  • 1954年11月の総選挙でLKY氏は議席を獲得。Lim Chin Sionも議席を得る。革命成就のため非合法活動をすることで、政党結成を認められていない共産主義者の隠れ蓑に、彼らがPAPを使ったのではないかとの疑念を持ち始める。(P.139)
  • 1959年。中華系国民の協力を得たことで、PAPは51議席中43議席を取得し、選挙に圧勝。党内共産主義者を前政権が破壊活動で逮捕していたが、破壊活動をしないとの誓約をとりつけて和解し釈放。(P.164)
  • 1961年。LKY氏はシンガポールと資源があるマラヤ(旧マレーシア)の統合を切望していた。しかしマラヤ側は否定的。マレー系が70%を占めるマラヤと違い、中華系が70%をシンガポールが占めていたこと。また、中華系への共産主義影響が強かったため。(P.171)
  • LKY氏は英国に働きかけ、シンガポールがマラヤに統合されることを説得する。マラヤは「シンガポールをリトルチャイナにしないように。マラヤこそが母国だ」と声明を出す。(P.175)
  • 1961年。マレー系・中華系・インド系が平等で対等な扱いを統合後に受けることを、マラヤ首相との話し合いでLKY氏が迫る。しかし「中華系やインド系と違って、マレー系には他に帰るところがない」と、マレー系の優遇をマラヤ首相は主張。
  • マラヤ首相から、共産主義者の追放を統合の条件にされていたLKY氏は、Lim Chin Sionを含めたかつての仲間を検挙する"オペレーション・コールドストア"を実施。(P.198)

■シンガポール国立図書館: Opeartion Coldstore

  • 1963年9月16日。シンガポールはマレーシアの州として統合される。連邦政府は外交・防衛・治安を携わり、シンガポール州政府は州内のそれ以外の自治を携わる。(P.203)
  • 「旧英国統治地域の統合は、インドネシアを包囲しようという英国の企てだ」とインドネシアが刺激される。「マレーシアを潰すためには軍事行動も辞さない」とスカルノ大統領は発言。(P.205)
  • PAP幹部は、シンガポールの中華系がマレーシアを掌握するのをマレーシア首相が恐れていると推測。マレーシア政府は、シンガポールの外資誘致に干渉し、税を課す検討がされていた。シンガポールとの分離を主張する政府関係者は、シンガポール内の中華系とマレー系の民族対立を煽ろうとしているとの観測があった。(P.210)
  • 1964年7月21日。マレー系と中華系の民族衝突で23人が死亡。
  • 「マレーシア人のためのマレーシア」「特定の民族を優遇しない。マレーシアはマレー系や中華系やインド系のものでない」とLKY氏はマレーシア首相に訴えるが、「君たちは君たちの道を行きなさい。私たちは私たちの道を行く」「一緒にいる限りは友人であり続けられない」と返答され、統合継続を断念する。(P.220)
  • 1965年8月9日。LKY氏はシンガポールのマレーシアからの独立を宣言。シンガポールは独立国家になる。


以上があらすじですが、あくまで伝記漫画です。特に共産主義者との抗争は、独立運動が大きく入り組んだ権力闘争でもあります。史実の理解には本漫画以外の資料にも、多面的に当たられることをおすすめします。例えば、政府見解にとらわれない歴史漫画にソニー・リウ (Sonny Liew) 氏の「チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術 (The Art of Charlie Chan Hock Chye)」があります。
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今のシンガポールに引き継がれているもの

この漫画を読んでおけば、リー・クアンユー氏とシンガポールの建国の知識について、シンガポール在住日本人であっても上位数%に入るでしょう。

  • 「マレー人の島を中華系がぶんどった」と一部で誤解されているのと違い、シンガポールがマレーシア統合を望んだが、事実上追い出されたこと
  • なぜ、中華系が多数を占める国家でありながら中国とは距離を起き、国交樹立が1990年まで遅れたのか
  • なぜ、シンガポールが民族融和のためには、言論の自由にも制限を加えるのか、
  • 近隣諸国のマレーシアやインドネシアと緊張を呼ぶメンタリティ
  • LKY氏は労働争議で政治に頭角を現したが、シンガポールでストライキ規制は厳しくなった

などの今にもつながる背景がわかります。日本語版もありますし、是非どうぞ。

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