今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

「日本語、お上手ですね」と小泉八雲 ~書評「東大留学生ディオンが見たニッポン」~

シンガポールウォッチャーのうにうにです。今回は書評というより、本を題材にした「海外生活者、ニヤニヤ」になってしまいました。「それってシンガポールで、私や日本人が感じていることへのカウンターだよ」という内容があるからです。「シンガポールに住んでいる日本人の視点」で本書への感想を書いてみます。
お題は「東大留学生ディオンが見たニッポン」(著者:ディオン・ン・ジェ・ティン)です。出版社は岩波ジュニア新書という良いところ。

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

東大留学生ディオンが見たニッポン (岩波ジュニア新書)

※アフィリエイトはしていません。

本のタイトルから分かりますが、内容は「外国人が東京大学で学生をして、見たこと感じたこと」です。このディオン氏がシンガポール人なので、私の読書対象になりました。

本書に"含まれていない"こと

まず最初に、私は興味がありましたが、この本の内容に含まれていないことは下記です。

  • 日本に興味をもったきっかけと、興味の対象
  • (受験) 大学受験の情報収集、受験対策ペーパーテスト結果、併願校など
  • (卒業後進路) 在学生の希望進路、卒業生の進路実績

他文献を見ても、進学先を日本にしたのは、高校(JC)までに、「日本語を頑張ったので」という簡潔な表現にとどまります。
東大留学前に日本に9回も旅行しており、お姉さんも日本でのホームスティ経験があります。家族を含めて、日本に興味があることが分かりますが、ディオン氏が日本の何に興味を持ったのか(例えばアニメ等)は直接記載されていません。
また、本書を読んでも「どうすれば東大PEAKに合格できるのか」や「受験手続き」には一切触れていません。卒業後の進路や展望も記載がありません。

ディオン氏のプロフィール

本書等から私が作成したディオン氏のプロフィールです。

国籍 シンガポール
居住地 18歳までシンガポール。その後、日本。
家族 2つ年上に、日本語を勉強する姉がいる。
在籍 東京大学 教養学部 教養学科 国際日本研究コース
学歴 ラッフルズ・インスティチューション
語学 英語と日本語は堪能。日本語は中学生の時からシンガポール教育省語学センターにて勉強。高校卒業前までに日本語検定1級取得済み。母語は中国語、、フランス語を第四言語として学習しフランスの大学に短期交換留学
部活 バトミントン (大学入学から)。東大新聞デジタル事業部。インカレバンドサークル。
ラッフルズ・インスティチューション

ラッフルズ・インスティチューション、通称RIはシンガポールでのトップの中のトップ校です。シンガポール首相・大統領・閣僚など各回著名人を多数排出しています。日本でも東大入学より、灘・開成に入る方が難しいですが、シンガポールではRIがそれにあたります。シンガポール国立大学などへの入学よりはるかに困難です。シンガポールにおけるエリート主義、としてやり玉にあがることすらある学校です。

シンガポール教育省 語学センター

さらっとRI出身と書かれているように、さらっと教育省語学センター(MOE LC)が書かれていますが、これも成績優秀者のみの教育課程です。小学校卒業試験であるPSLEで、成績が上位10%である生徒のみが、第三言語としてここで学習できます。

東大PEAKとは

PEAKとは Programs in English at Komabaの略となっており、「駒場キャンパスでの英語プログラム」の意味です。日本の文部科学省が導入したGlobal 30プログラムの一つになります。秋入学。授業はすべて英語。
東大には10.88%の留学生がおり、その中の2%がPEAK生(本書執筆時点)。ディオン氏の執筆時では、1期生と2期生の50人が16カ国の国籍を持ちます。
ディオン氏は、東大PEAKの他に、文部科学省の奨学金にも受かっています。学費が免除になり、生活費と里帰り航空券まででるという、トップ留学生向けの一部界隈で有名なアレです。来日して1年間はまず外語大で日本をを学ぶ必要があり、その時の成績で入学大学が決まるため、9月入学でもあり卒業が早い東大PEAKにしたと述べています

書評

それでは本題に入ります。

日本は外見重視の国か

化粧の有無から他人の年齢や人種を判断する。 (P.17)

日本社会がいかに外見と表面を重視するか。 (P.18)

日本の外見重視は他国と同程度のはずで、むしろシンガポールが特異ではないかと私は思っています。日本では、女性であれば化粧、男性であればスーツなどによって、社会的なプロトコルに則っているかが測られ、そぐわない人は警戒されます。
その一方、シンガポールでは外見から職業や社会的地位を推測することは困難です。シンガポールの街で異彩を放つ人たちがいます。この常夏の国でもスーツを着ている日本人です。シンガポールでスーツを着ているのは過半数が日本人、そのほかに多少韓国人がいて、わずかに金融系の人たちがいます。ネクタイをしめる人も少数なシンガポールで、身なりから人を判断するのは不可能です。なので、Tシャツ・短パン・サンダルの人が大金持ちだと知って、ぎょっとした経験をしたことがある人がいるはずです。2012年にシンガポールに進出した紳士服のコナカは、私から見てお客さんが入っている様子がなかったのですが、5年営業を続けて、2017年に撤退しました。
社会的なプロトコルで、シンガポールよりカジュアルな国を私は知りません。同じ東南アジアでも、例えばタイだとホワイトカラーであれば、ビジネスにはタイをしめ、スーツを着ても目立ちません。
ですので、ここでのディオン氏の指摘は「日本への指摘」というより、「シンガポール人の外国経験」と捉えたほうが良いのではないかと思います。

シンガポールで友人になりにくいのはシンガポール人

留学生との接し方に関して、TGIFのイベントに来ている日本人の学生が、新歓イベントで知り合った日本人の学生とだいぶ違う。 (P.24)

シンガポールで最も友人になりにくい国の人は、シンガポール人だと私は思っています。外国人同士、特にアジア人同士のほうがずっと友人になりやすいです。
どの国でもそうですが、その国の大半の人は外国人に興味がありません。これは特にエスタブリッシュなエリートほどそうです。することがいっぱいあるのに、言葉や文化に不自由な外国人とコミュニケーションをわざわざ積極的にとる理由がないのです外国人差別とまで呼べるものではなく、彼らの利害関係にないので、単に興味がなく無関心なのです。話をしにいくと、普通に答えてくれますが、それ以上の親密さを引き出すのは困難です。自分が提供できる何かが必要だからです。
外国人が移り住んだ国で、初期段階でする必要があるのは、

  • 母国からを含め、外国人同士での仲間を作ること
  • 現地民から「親外国人派」を見つけて仲良くなり、その人を突破口に現地コミュニティに入っていくこと

だと私は思っています。外国で不自由になってジタバタしているのを、見るに見かねて助け舟を出してくれる世話好きは、だいたいどの国にでもいます。ディオン氏が指摘している『TGIFのイベントに来ている日本人の学生』というのがこの"親外国人派"です。また、『新歓イベントで知り合った日本人の学生』というのは外国人に無関心な多数の一般人です。つまり、"親外国人派"は仲良くなるのに外国人に対して下駄をはかせてくれる。その一方で、多数の一般人は言語・文化などの不自由さから、外国人が仲良くなるのにハンデとなるのです。

「日本語お上手ですね」は「日本語が母国語ではないのですね」「あなたは外国人ですね」の意味

「ハジメマシテ。ディオンと申します。よろしくお願いします。」「うわー、ディオンさん、日本語お上手ですね」というパターンで初対面の方々との会話が始まります。なぜ自分が一言の挨拶しか言っていないのに、すぐ日本語がうまいとほめられるの? (P.34)

東アジア人に近い顔つきの外国人に対し、完璧な日本語が話せることを求める人もいます。 (P.36)

外国人に対して「うわー、日本語お上手ですね!」という発言は、日本語がそもそも日本人専用の言葉であり、国民のアイデンティティーであることを前提にするもの (P.49)

ロシア人の留学生が入ってきました。生まれつきの肌色で区別されるとは思わなかったです。 (P.143)

ディオン氏の分析に近い印象を私も持っています。
日本人は外国人が日本語を話すと、すぐに「日本語、お上手ですね」と言います。何かの義務であるかのように、多くの日本人がそれを口にします。これは、

  • 天気の話と同じで、外国人向けの挨拶
  • お互いに共通の話題に手探りなので、とりあえず褒めている。敵意が無いことを表す
  • あなたの日本語はネィティブではないですが、私は理解できています

という意味です。

"You speak English well." (英語、お上手ですね)
と言われたことがある日本人はどれだけいるでしょうか。別に英語でなくても、現地語でよいのですが、海外居住者なら経験があるはずです。
字面は褒めているはずなのに、これを複数回経験すると疑問に思い、そのうち「カチン」ときませんでしたか?「仕事や、学校や、近所付き合いの用事や、友達が欲しくて話に来ているのに、話題に語学なんか選ぶなよ」、と。そして当然の事実に気付くはずです。同国民なら、相手の語学に話題として触れることがなくて、外国人扱いとして壁を作られている表現だということです。「英語、お上手ですね」というのは「外国人の割には上手ですね」「ネイティブではないですね」という意味に過ぎません。
日本人が決まって「日本語、お上手ですね」と判を押したように言うのは、上記3点が合わさった理由ですが、これが良い印象を与えないことは知られていません。理由は「英語、お上手ですね」と言われた経験がある人が少ないからです。外国人であることを意識付ける、壁を作る表現であることを、日本人は知る必要があります。

私の職場に、日本国籍でない日本語話者がいます。それらを見ていて分かるのが、「外国語ができない日本人ほど、外国人が話す日本語に厳しい」ということです。自身が外国で苦労をしたことがないので、話に詰まるとすぐに「日本人にかわれ」と平気で言えるのです。そしてこれは、相手の外見がアジア人であればより強固です。西洋人・白人であれば、「ガイジンが頑張って日本語を話している」と多少の間違いや意思疎通での困難さにも、突然おおらかになります。人種への偏見です。海外在住者としては、そのおおらかさを、アジア人にも向けて欲しいと願っています。

ココがヘンだよ、日本での外国語・英語教育

学校で使っていた教科書を見せてもらったら、説明が確かにすべて日本語 (P.63)

中国語の先生が間違いなくずっと中国語で話していました (P.67)

私が中学校一年生の頃から六年間日本語の授業を受けていたシンガポールの教育省語学センター (Ministry of Education Language Centre, MOELC)でも、すべての第三語言語授業が最初からその言葉で教えられています。私が使っていた教科書にも英語が一切なく、日本語とイラストに絞った説明の仕方をしていました。日本語の文章を英訳したり英語の文章を和訳したりすることを求める課題もありませんでした。 (P.68)

(日本では)会話のスキルがあまり重視されていない (P.74)

「中学高校と6年間も膨大な時間を使って英語を勉強したのに、話せるようにならない。日本の英語教育は駄目だ」というのは一般的な日本でのコンセンサスです。その一方で、帰国子女でもないのに、英語ができるようになった人からは、「日本の英語教育が間違っている」という苦情を聞くことはまれです。少なくとも私の周囲ではそうです。私の周りの感想では「学校の英語授業だけでは、勉強時間が圧倒的に不足していた」というものです。
英語や中国語が日常的に使われているシンガポールと、10年に1回ぐらい外国人に道を英語で聞かれるかどうかしか使いみちがない日本とで、使用量が全然違うのに同じ学習法ができるわけがありません。
また、言語間距離の問題があります。日本人は英語音痴ですが、語学音痴ではありません。言語構造が比較的近い韓国語では、スラスラと上達していく日本人を見てきました。その一方、言語構造の隔たりが大きい英語は、日本人が習得するのに大変な学習量が必要です。
これまでは日本の英語教育では「文法と読解で手一杯」でしたが、今後はリスニングとスピーキングもするように迫られています。今の英語教育に欠けている発音記号などは年齢が若い内に学ぶべきであり、英語学習に必要な時間や負荷は今後も上がるのでしょう。

大学に来てから中国人、台湾人、香港人の友達に出会い、本当のネイティブ中国語話者の会話に時々ついていけない (P.66)

シンガポールで時々目にするのが「シンガポール人の中国語が中国人に通じない」です。祖父母や友人と一部は中国語で話し、小中高と長年勉強し、中華系であったとしてもです。読むのに時間がかかる、書けない、という率が年齢が若いほど高まります。英語教育が第一だからです。学校教育だけでは不足という意味においては、シンガポール人にとっての中国語は、日本人にとっての英語に多少近いかもしれません。

日本での外国人サバイバル

留学生同士でイベントに出たりし、留学生というアイデンティティーをすぐアピール (P.122)

海外生活経験がある代わりに、日常会話以外のアカデミックな日本語を身に着けていない帰国子女やハーフ (P.145)

帰国したら「外国剥がし」」や「染め直し」 (P.145)

特に日本で嫌われるものの一つに「出羽守(でわのかみ)」があります。帰国子女や留学など海外居住経験者が「(自分が住んでいた国)では~だった」と事あるごとに「では」「では」と引き合いに出すことです。それほど親しくない知人にとっては、特に興味深い話でなければ、その人が過ごしてきた国には興味がありません。そんな話を持ち出されても、こちらで適応不可能だし、ベンチマークを取られても関心が持てず、特にそれが外国であれば環境自慢にしか聞こえないのです。どの国でも大なり小なり出羽守は嫌われやすいと思いますが、日本は若干その傾向が強いはずです。

君は小泉八雲になれるか

「用事から日本に住んだことのない人は、どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」と日本語の先生(日本人)に言われたことがあります。 (P.198)

それでは、「外国人が現地化する」とはどういうことでしょうか。

  • 現地語で円滑に意思疎通がとれる
  • 自分の出身国の話題に頼らずに、ビジネス、趣味や現地の話題で会話を継続できる
  • 現地の文化・風習に通じており、服装・立ち居振る舞いで違和感を与えない

ディオン氏が日本語教師から指摘されたのは、字面だけだと単純にネィティブと非ネィティブの語学力の差ですが、時にネィティブとは語学を超えて、文化・風習も含めた意味を含むことがあります。
著名な外国人でこの域に達した初期の人は、ギリシャ生まれイギリス人だったラフカディオ・ハーン。日本名、小泉八雲です。
40歳にて、米国を発ち、日本で島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師になります。41歳で羽織袴の正装で年始回りをし、身の回りの世話するためにのちに妻になる日本人女性を雇います。44歳、日本の英語著作を出版。46歳、日本に帰化し小泉八雲と改名、仕事では帝国大学英文学科講師になります。54歳で狭心症で亡くなるまでに、3男1女をもうけます。

その小泉八雲も、日本語は会話はできましたが、読み書きはできませんでした。有名な「雪女」「耳なし芳一」は、妻や農民からの口述を受けての英語での出版です。しかし、言語・文化・国籍・家族と現地化を遂げました。自分の身になって考えると、これらを小泉八雲のレベルで達成するには、目がくらむような努力だけでなく、覚悟も必要なのが分かります。移民が使う言葉や世界共通語である非ネイティブが多い英語と比べて、日本語では「どのぐらい日本語を勉強してもネイティブにはならないよ」という言葉は重く感じます。

日本人はチームワークを勉強で経験しない

ディスカッションやディベートを積極的に教室内でやることが、日本の学校では一般的なことではないと気づきました。(P172)

グループワークを通し、仲間同士でも自分の立場を守って意見をしっかり言えるようになり、多様な見方にある価値も理解 (P.173)

日本の教育現場では講義スタイルが一般的 (P.174)

日本人は「傑出した人物が引っ張るリーダーシップ」より、「組織力で皆が頑張る」というのが一般的な評価でしょう。
ところが、学業でチームワークを学ぶことはありません。グループワークが与えられ、理解が低かったりやる気がないメンバーが打ち合わせに出てこない、依頼したタスクをやってこず、「それだったら全部自分でやった方が早い」という葛藤でプレゼンを行い、並以下の成績を付けられる経験を、大学以前にした日本人はまずいないはずです。勉強は教師の手助けを得ながら、机に向かって一人で行うのが日本の学校です。
日本人のチームワークは、学校教育では体育や部活である程度です。最も時間をかけて世間評価が大きい学業で経験しないチームワークが、日本人は評価が高いとされているのですから、興味深いものがあります。大学生が就職する時に直面する、企業の体育会好み、学業軽視の評価は、ここが関係しているかもしれません。

最後に、私の東大PEAKへの印象

東大PEAKを進学先として選択するには、

  • 受験結果から (併願校との合否で、他の有名校に受からなかった。2014年度合格者の7割は他有名校を選択)
  • 日本に関わりがある (帰国子女や、日本人の二世・三世など)
  • 日本や東京で学生時代を過ごしたい (日本のサブカルチャーへの興味、欧米以外の変わった進学先を探している、欧米と比べて手頃な学費生活費負担で留学がしたい)

などが想定されます。

本書を読む前からですが、東大PEAKは進学先として注意が必要と、私は考えていました。理由は卒業後の進路です。

  • (日本就職) どの国でも外国人はそうですが、特に日本で外国人は日本での就職に苦労する。日本語で授業を受け、日本人と同じ机で勉強した外国人でも、日本語能力や外国人であるフィット理由で就職先を探すのに苦労する。語学としての日本語授業は必須でも、基本は英語で授業を受けるPEAKは、日本就職の助けとして不十分。
  • (海外就職) 母国や第三国(欧米やその他各国)での就職に、"Todai"は助けとして弱い。日本の外では、東大はごく一部にしか知られていない。海外で日系企業は就職先として魅力的ではない
  • (進学) PEAKは学際分野。学部でコースとして選択できる「国際日本研究コース」「国際環境学コース」から、PEAK卒向けに用意されている大学院コース(GSP/GPES)以外に、専門性が高い修士・Ph.Dへと直結させることは難しいのでは。

上記の難題に、ディオン氏がどうクリアされようとするのかが、私の興味でした。本書のテーマに進路は含まれておらず、そこへの回答は得られませんでした。