今日もシンガポールまみれ

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シンガポールの禁じられた歴史漫画「チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術」

"稗史"

シンガポールウォッチャーのうにうにです。シンガポールの歴史漫画として小学館の「リー・クアンユー伝記漫画」を以前紹介しました。この漫画は巻末で、リー・クアンユー自伝である「リー・クアンユー回顧録」が上げられているように、シンガポール政府の歴史見解に近い内容で漫画化されています。
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今回、紹介するソニー・リウ (Sonny Liew) 氏が描いた「チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術 (The Art of Charlie Chan Hock Chye)」は、その真逆を行きます。「リー・クアンユー伝記漫画」を正史とするなら、"稗史"と呼べるものです。

"稗史"の勲章でもある、政府からの作品への否定も、見事に受けています。2015年、シンガポールのEpigram Booksというシンガポールの出版社で、印刷が終了し販売開始になる前日に、シンガポール国家芸術評議会 (NAC) が本への助成金$8,000 (約64万円) を取り消します「政府の権威や合法性を弱める可能性があるシンガポールの歴史が語られている」という理由で助成金ガイドラインに反しているというものでした。
出版社は受領済みだった$6,400を返金し、本に印刷されていたシンガポール国家芸術評議会 (NAC) のロゴをシールで貼って隠して、予定通りの2015年5月30日に販売に踏み切ります。結果として、かえって注目を浴びる"炎上商法"になり、初版の千部は数日で完売しました。シンガポールの人口が500万人強なのを考えると大ヒットです。半数の500部を売り切ったシンガポール紀伊国屋は「通常のヒット作の3倍の売れ行きだ」と述べています。この出版社での漫画は、販売を2年かけておこない、年の平均販売数が500部とのことです。その一方で、この好調な滑り出しは助成金撤回への国民の怒りなだけでなく、ソニー氏がファンを持つ著名な漫画家であったからだというのが出版社の考えでした。

日本と比べると、シンガポールは書籍市場が極めて小さいことが、出版部数から分かります。2016年9月に、「チャーリー」での収益をソニー氏は明らかにしています。それによると、総額でS$6万(約500万円)の収入です。この後も、アイズナー賞獲得効果などで継続的に売れているはずですが、2年の製作期間なので、この時点では月給換算で$2,500 (約20万円) にしかなりません。これだけの評判を得ても、米国など他国での販売収入、賞金を含めてこの金額なので、なかなかに大変です。
翌年の2016年にはPantheon Booksによりアメリカで大々的にに刊行されました。「チャーリー」は、これまでに37個もの賞を獲得しています。その中には、助成金を取り消したシンガポール国家芸術評議会 (NAC) も後援するシンガポール文学賞や、シンガポールブックアワード、アメリカの漫画界で最も権威あるアイズナー賞が含まれます。

言論の自由に、他の先進国より制限があるシンガポールで、一度は物議をかもしましたが、漫画としての作品への評価はシンガポールでもメインストリームをいっています。現地の紀伊国屋や地元書店で普通に(背後を気にすること無く)購入できます。紀伊国屋はチャーリー・チャン・ホック・チャイのノベルティまで作っています。キャンバス地のショッピングバッグや、チャーリーデザインの紀伊国屋メンバーカードです。

というわけで、シンガポールでの扱いも、政府助成金が撤回はされたものの、発売禁止でもないため、"禁書"とまでは言えません。
※写真は私が購入した「チャーリー」。300ページちょいですが、洋書らしく分厚い

なぜシンガポール政府が反発したのか

ソニー氏が作品で訴えているのは、

  • 建国以来、一党支配が続く中で、与党が行っている以外の歴史解釈の提示
  • シンガポールの歴史に「もしも」があり、他の選択肢はなかったのか。他の選択肢を選んでいればどうなったのか
  • 経済的に発展したシンガポールだが、経済成長と引き換えに国民が失ったものはあるのか
  • 強いリーダーシップスタイルをとり、言論の自由を制限するリー・クアンユー初代首相への評価

というのが私の理解です。
しかしながら、ソニー氏自身も、具体的にどの箇所がどのように「センシティブなコンテンツ」であり、助成金撤回になったかは分からないとメディアの取材で語っています。シンガポールの歴史において、事実でないことを書いたり、人を中傷をすることは、裁判で訴えられてきたことをソニー氏は認識して踏まえており、徹底した取材を行ったと、BBCのインタビューで語っています。

ソニー氏は、「自分の問題提起に対して、シンガポール国家芸術評議会 (NAC) が取り組むことを期待していたが、政府は議論を避けて押し黙ってしまい、状況は以前より悪化した」とシンガポールのウェブメディア Mothership.sg に語っています。シンガポール国家芸術評議会 (NAC) は柔軟で漫画にも助成金を与えられるように変わったりしているので、いつかは議論ができるのではないかと、ソニー氏は希望を捨てていません。
出版側も、同じ問題が起きるのを避けたがっていましたが、これもシンガポールの歴史を題材にした小説で2017年に別の助成金撤回処置が起きています。

ソニー氏が考える助成金撤回の理由

政府からは抽象的な助成金撤回理由しか言われていません。ソニー氏が考える助成金撤回となった箇所があります。もしリム・チンシオン氏が率いる政党 社会主義戦線 (Barisan Sosialis) が1963年のオペレーション・コールドストアで弾圧を受けず、力を持ったままで、シンガポールを今日にも導いていたら、という架空ストーリです(279ページ)。ここでは、シンガポールとマレーシアの統合独立は起きずに、経済成長と労働組合の穏健化に成功し、リー・クアンユー氏はカンボジアに亡命した"平行世界'です。ここで、若きリー・クアンユーに似た人物が、シンガポールで破壊行為を行い、本来の世界に戻そうとするところで、チャーリーとリム・チンシオン氏は、独立前のシンガポールに戻るという話です。
ソニー氏は次のように語っています。
「可能性の話です。リム・チンシオンだったらどうしていたか、何ができたか。当時の制約を取り除くと、PAPがしたのと同じことをしたかもしれないが、それも可能性ですよね。全く違うことをしたかもしれない」「リアリティは現在我々がもっているもので、思考実験です。平行世界で何が起きていたかを我々が知ることはできないからです」

ソニー氏とシンガポール政府の微妙な距離

ソニー氏とシンガポール政府の距離感は不思議なものがあります。
ソニー氏は、「チャーリー」出版前である2010年に、シンガポール国家芸術評議会 (NAC)のNAC Young Artist Awardを受賞しています。
「チャーリー」に対して、政府 (シンガポール国家芸術評議会 (NAC)) の芸術助成金の返還の請求を受けていますが、その後に同じシンガポール国家芸術評議会 (NAC) も後援しているシンガポール文学賞やシンガポールブックアワードで、チャーリーが受賞しています。
ソニー氏の活動拠点は、「チャーリー」の出版以前から今でも、グッドマン・アート・センターの中にあります。これは、シンガポール国家芸術評議会が設立した企業 (AHL) が運営する、シンガポールでの芸術振興のキャンパスです。

名誉あるアイズナー賞を受賞した時に、シンガポール国家芸術評議会 (NAC) は受賞作品の名前を出さずに、ソニー氏の受賞をFacebookで讃えました。作品名を出さなかったことに対して、シンガポール人からシンガポール国家芸術評議会 (NAC) に、ネットでからかいのコメントが付いています。
ソニー氏に偶然出会ったシンガポール国家芸術評議会 (NAC) の副CEOは、アイズナー賞受賞にお祝いの言葉を伝えています。この時は公式の場でなかったので副CEOは作品名を声にした、とソニー氏は冗談めかして明らかにしています。

こう見ていくと、ソニー氏は作品「チャーリー」を含めシンガポール国家芸術評議会に高く評価をされており、むしろ助成金撤回の件だけが特異点に見えます。ソニー氏は「助成金はシンガポール国家芸術評議会 (NAC) の内部者のみでなく外部者も審査に加わっている」と語っています。

海外からみた「チャーリー」: ニューヨーク・タイムズ

ニューヨーク・タイムズがソニー氏と「チャーリー」を記事にしています。

抜粋します。

  • シンガポールの歴史が語られる時は、教科書・テレビで以下の内容で強調されてきた。
    • 巨大な隣国マレーシアから新しく独立した、小さく弱い国は冷戦の最中に共産主義に囲まれていた。
    • 建国の父、リー・クアンユーが危険な左翼を打ち負かし、残念なことに多くを投獄することで、繁栄への道筋を付けた
  • この考えに反対すると、裁判無しでの投獄、高額な名誉毀損訴訟や、社会的無視を被ることになる。
  • 状況を変えつつあるのが、穏やかなアーチストと漫画のおかげだ。小作品の連続の中で、暴動と抗議の時代を描き、政府が作った神話に挑戦し、公的な歴史に漏れた匿名の人々を救い出す。
  • 作品への反応は穏やかだった。ソニー氏は今でも政府補助を受けたスタジオを享受し、政府支援のイベントに参加し、大きな国の文学賞を受賞し、国が支配するマスコミで大きく取り扱われている。ゆっくりだが、深い緩和が起きつつある。
  • ソニー氏も政府の歴史解釈に直接は挑戦していない。その代わり、代わりとなる歴史を展開し、主要登場人物が行う実験になぞらえる。
  • 左翼活動家のリム・チンシオン氏が、政府の歴史で果たす役割はほぼない。しかしソニー氏の本では、首相になりえた中心人物である。ソニー氏は、リム氏が暴力を指示したとの嫌疑も調べており、リム氏が罠にかけられたというイギリスで新しく機密解除された文書を使っている。
  • ソニー氏「政府公認のシンガポールストーリーは一部は真実だが、それ以外の歴史を除外してしまえば、正確さを欠いた全体像になる」
  • 漫画を描く調査には、批判や名誉毀損訴訟を避けるため、正確さが不可欠だった。「事実として正しい、あるいは歴史的な証拠があることを確認しなかればならない」
  • 1万5千部が印刷され、米国でも出版され、フランス語・スペイン語でも翻訳がある。(ニューヨーク・タイムズ記事は2017年7月14日)

ソニー氏略歴: マレーシア出身の"新市民"、ケンブリッジ大哲学専攻

徴兵という"新国民"への踏み絵

シンガポールの歴史漫画を書いたソニー氏ですが、生粋のシンガポール人ではありません。マレーシア生まれの中華系で、5歳でシンガポールに移住、2012年にシンガポールに帰化しています。シンガポールの歴史について、移民がこれだけの業績を持ち社会にインパクトを与えられるというのは、移民国家であるシンガポールの底力です。
移民国家シンガポールですが、外国人排斥の機運が高まりつつあります。移民導入を積極化していた与党に対して、2011年選挙で野党が善戦した理由の大きな一つです。"新国民"も排斥の対象になっています。特に、ナショナルサービス (NS) と呼ばれる徴兵に参加していない"新国民"は、国家へのフリーライダーとみなされることがあります。逆に言うと、徴兵 (NS) を経て帰化すると、自分の人生を国家に対して犠牲を払ったとして、歓迎するシンガポール人が(極右以外は)多いです。「あいつは"新国民"だろ」「いや、彼はNSにいったんだよ」「そうか、ならいいな」というやりとりです。徴兵 (NS) を通じた仲間意識です。徴兵 (NS) にいって帰化して受け入れられている代表的な著名人は、台湾出身で野党から国会議員のChen Show Mao氏です。
徴兵 (NS) が帰化人を受け入れる精神的な踏み絵、イニシエーションになっているのは興味深い現象です。逆に、シンガポールでは徴兵 (NS) は男子のみのため、女性にはそのチャンスはないとも言えます。

ソニー氏は、ジュニアカレッジ(日本の高校に相当)の級友が徴兵 (NS) にいく中で、取り残されるFOMO (fear of missing out「喪失の危機」)を感じます。入隊することも考えますが、級友に「バカなことはするな」「俺がお前だったら、そんなことはしない」と言われます。
シンガポールでは、永住権であっても、二世の男子は、徴兵 (NS) が義務です。ジュニアカレッジ時代に、ソニー氏は永住権を持っていなかったと思われます。

学歴も職歴もエリート

日本で漫画家は、現場からの叩き上げが多い印象ですが、シンガポールらしくソニー氏はエリートです。イギリスのケンブリッジ大で哲学を専攻し、その後、アメコミのDCやマーベルに漫画を書いていました。学歴、漫画家としての職歴も、受賞前からピカピカです。

表現の技巧

チャーリー・チャン・ホック・チャイって誰だ?

この本はトリッキーな表現を使っています。1938年生まれの漫画家、チャーリー・チャン・ホック・チャイの生涯を、1965年に独立したシンガポールの歴史となぞって追っていく展開なのですが、チャーリーは架空の人物なのです。チャーリーは作品中で、狂言回しの役です。ゴルゴ13と一緒で、物語の進行役に過ぎません。チャーリの視点や、チャーリーが書いたとされる漫画の紹介で、話が展開しますが、ソニー氏が訴えるシンガポールの歴史解釈の進行役です。漫画の中で、当時の作品としてボロボロの古い保管状態を思わせる漫画や、油絵、未完成作品が複写されていますが、これらは当時のものではありません。ソニー氏の作成物なのです。その中でも、当時の手塚治虫やバットマンの影響を織り込むことで、チャーリーにリアリティを出しています。私は読み終えるまで、「チャーリーは実在であり、ソニー氏は政府からの批判をかわすためにチャーリを引用しているのだ」とのせられていました。はい。

リー・クアンユーとリム・チンシン

ソニー氏の作品での訴えを私が最も感じたのは、序章です。「一つの山を二つの虎で分けることはできない」という中国のことわざ「一山不容二虎」によって、リー・クアンユー氏とリム・チンシン氏の2人を、シンガポールが抱えることができなかったことが表されています。
リム・チンシン氏は、シンガポール独立に向かう過程において、英語でエリート教育を受けたリー・クアンユー氏が、中華系からの支持を得るために、共に活動していた人物です。労働組合などに強い影響力を持っていました。リム・チンシン氏は共産主義者として1963年に検挙され、抑留中に自殺未遂を図る深刻な鬱病を患います。今後政治に関わらないとの条件で解放された1969年に、イギリスに追われるように移ります。イギリスではフルーツ売りをしました。
このリー・クアンユー氏とリム・チンシン氏について、「リー・クアンユー伝記漫画」ではリム・チンシン氏は「共産主義者だった」との解釈で描かれています。それが「チャーリー」では、左翼活動家ではあっても「共産主義者ではなかった」という視点であり、いかに人的魅力に溢れ、周りから強い支持を受けて首相候補と言われていたかが描かれています。
「チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術」では、この2人を軸に話が展開します。

「チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術」あらすじ

歴史部分を中心に抜粋します。

  • 「一つの山を二つの虎で分けることはできない」リー・クアンユーとリム・チンシン (序章)
  • 16歳でチャーリは初の刊行物の漫画を出す。英語でなく、中国語でのみ命令を聞くロボットの漫画。多言語国家のシンガポールを象徴します。 (8ページ)
  • 1954年5月13日。ジャラン・ベサール・スタジアムでの陸上競技をチャーリは見に行ったが、警官が学生を殴打していると聞き、ジョージ五世公園(現在のフォートカニングパーク)に集まる。学生は英国統治での徴兵に反対する請願を行っていました。2年後にチャーリーが書いた漫画で、ロボットとリー・クアンユーが登場するが、当然事実ではなく、事実と創作をミックスさせるストーリー展開を行っています。 (30ページ)
  • Hock Leeバスストライキ。政府見解では共産主義者の扇動者を暴力勃発の理由にしていますが、労働組合指導者は労働者福祉の改善のみを目的にしていました。目撃者証言では警察の謀略が誘発したという解釈を漫画ではとっています。 (50ページ)
  • 漫画「FORCE 136」を、1956年にチャーリーは出版。地元民は猫、日本人は犬、イギリス人は猿で表現しました。中国学校生徒の歌からキャラクターをとった。 (78ページ)
  • 太平洋戦争中のシンガポール華僑虐殺事件 (Sook Ching) が描かれています。(87ページ)
  • 日本統治下において、「おなじアジア人だ」と言って占領した日本人は、現地民を二級市民として扱います。マラヤ人民抗日軍は、抗日戦争を実施。 (91ページ)
  • 「ドラゴン」という週刊漫画を発刊。エイリアンに侵略された未来の月面世界になぞらえて、イギリスからの独立をめぐって、リー・クアンユー氏とリム・チンシオン氏を描く。 (114ページ)
  • 1958年の漫画「ブキ・チャパラン」では、シンガポール独立時の関係者は動物にたとえられて描かれる。例えば、リー・クアンユー氏はネズミジカ、リム・チンシオン氏は猫、学生や労働組合は行進するアリ。話題もたとえられ、独立請願はピクニック、治安はサンドイッチ。 (125ページ)
  • 1959年、漫画「ローチマン」を始める。ゴキブリに噛まれた男が特殊能力を手に入れ、社会の不公正と戦うという内容。政治に加えて、現実に起きている社会問題もテーマになります。英軍将校の妻の殺人事件、欧州や性風俗表の"有害"表現規制、移転がすすめられていた地区で起きた不審火など。1963年2月2日の過激派左翼一世取り締まりが行われた「オペレーションコールドストア」でリム・チンシオン氏が逮捕されたことを受け、ローチマンも話中で捕まる。リム・チンシオン氏は二度目の獄中で自殺未遂を図る深刻な鬱病をわずらい、今後は政治にかかわらないことを条件に開放され、イギリスに亡命、果物売りで生計をたてる。 (150ページ)
  • チャーリーが語る、シンガポール政府の新聞をコントロールする方法。最初にジャーナリストを逮捕する。次に、関連法を変える。同意しない人や自分の心にしたがって発言する人を追放する。最後には、安全や保身を気にする人だけが残る。 (228ページ)
  • 1965年から80年にかけてシンガポールの経済は驚異的な成長を遂げた。与党PAPの巧みな手腕があった。知識人・学生・社会・マスコミからの政府への批判は弾圧をうながした。「サバイバル」の名のもとに全てが正当化された。チャーリーもシンガポールをモチーフにした企業と、それを支配するリー・クアンユー氏をモチーフにしたボスの漫画「シンガポール・インク」を描いたが、公表しようとはしなかった。 (232ページ)
  • 1970年代の中国語新聞の経験に基き描かれている。シンガポールでの中国文化と中国教育への弾圧に直面した年代。理由の一部は、外資誘致のために政府が英語教育に焦点をあてたこともある。 (233ページ)
  • シンガポールで政治犯は、裁判なしに何十年と拘束されることがある。CHIA THYE POHは23年間、LIM HOCK SIEWは19年間、SAID ZAHARは17年間拘束された。暴力と共産主義を捨てるのを拒否したためだ。 (235ページ)
  • シンガポールの新聞は、政府批判のためのものではなく、国民が政府方針を理解することを助けるためのものだ。新聞は、容易に破棄される免許を毎年更新することが必要だ。新聞は独占大企業シンガポールプレスホールディングの傘下にあり、全ての会長は政府が指名した前政府要職者がしめている。 (236ページ)
  • 植民地時代のシンガポールは新聞活動が活発だった。1970年代においても、シンガポールヘラルド紙があった。より独立した立場だったが、即座に発禁になった。直後に、政府は外資と個人の新聞を禁じた。新聞の信憑性のために、ある程度の自由が必要なのを与党PAPは理解していたため、新聞の支配権は銀行のような主要金融機関におかれた。これによって新聞は、個人や政治の理由でなく、商業主義で運営された。 (238ページ)
  • 外資の新聞には異なる手法をとった。不快な記事には、政府意見を編集無く全文を載せることを要求した。ある出版物がシンガポールでの販売を止めることを決めると、「情報の自由な流れ」を阻害するとして政府は法律を修正し、出版社の許可無しに出版物の複製を許可した。 (241ページ)
  • 「大卒母親スキーム」(1980年)「余裕があれば、3人かそれ以上子供を持とう」(1986年)キャンペーンが、リー・クアンユー首相特有の国民構成への方向付けを示しています。1984年に、高学歴女性が多くの子供を産むように、多くの社会・財政上のインセンティブを導入した。一方、高学歴でない女性は、自発的な避妊手術がすすめられました。1950、60年代には世界中で最も高い出産率だったのが、1977年には人口維持が不可能な水準を下回った。それでも、国の遺伝の質に懸念を持ったリー・クアンユー首相の影響を、政府方針は受けていました。優生学の影響を受けていたこれらの政策は、国民の悲鳴によって早々に撤回されました。 (249ページ)
  • 1987年にオペレーションスペクトラムが行われた。カトリック教会に関した多くの社会活動家が逮捕された。政府転覆のためにマルキシズムの陰謀に参加したと非難され、テレビで告白がされました。この政府主張には、広範囲な疑義が持たれています。 (251ページ)
  • 西欧の退廃主義として男性の長髪は、政府に攻撃されました。1982年、政府は公共サービスへの問い合わせの順番に長髪男性を最後にすることを告示しています。 (253ページ)
  • 1956年の中華中学校暴動での「(福建語など方言でなく正しい)標準中国語を話そう」キャンペーンは、シンガポールでの中国語教育の変化を示します。1950年代から70年代の共産主義や中国愛国主義から過小評価されてきたのが、中華系シンガポール人が価値・文化・アイデンティティを維持するのを助けるのに後に使われました。 (255ページ)
  • 1965年の独立以降、ジョシュア(JBJ)氏は1981年に初めて野党の国会議員になった。国会議員の資格を2度無効にされ、巨額な民事訴訟で破産宣告を後にされた。ジョシュア氏は「常に法廷で訴えられた。パンツを失うまで訴えられた」と発言。 (257ページ)