今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

内田樹氏「日本が目標とするシンガポールは食料自給率ゼロ」は本当か

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。

内田樹氏が農業協同組合新聞において、

シンガポールは食料自給率ゼロの国です。 (中略)
農地なんか地価を考えたらありえない。

と語っています。

「ゼロ」という言論人とは思えない、いくらでも反証が可能な表現を使っている時点でお察しなのですが、ここでシンガポール在住者の私が、シンガポールで撮ってきた写真を御覧ください。

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Kok Fah Technology Farm
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Kok Fah Technology Farm
はい、農地です。
写真を撮ったKoh Fak Technology Farmは、国の北西部リムチューカンにある農地の一つです。現地で一般消費者にも農産物の直販を行っていることから、国内で割と知られている農業経営の一つです。
米や小麦のような単一品種の穀物が、壮大な面積で栽培されていると、写真でも分かりみがあるのですが、単価が高く鮮度が重要な葉物を中心にグリーンハウスで栽培されているのが、シンガポールの農場です。
内田樹氏も指摘するように、都市国家のシンガポールは不動産が高いです。しかし、都市計画で、農地用の土地も多少ではあっても残されています。

Googleで「シンガポール 食料自給率」とプライベートブラウズで検索すると、トップの検索結果が農林水産省で「食料自給率は公表されていないが1割未満である」というのが読めます。内田樹氏は、最低限の調査もせずに農業協同組合新聞に語り、農業協同組合新聞はそれを校閲せずに記事に出していることが分かります。
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シンガポールの食料自給率

それでは実際の所、シンガポールの食料自給率はどうなのでしょうか。シンガポール政府の発表では、以下のようになっています。

  • 食料は90%以上が輸入
  • 野菜の自給率は8%
  • 魚の自給率は8%
  • 卵の自給率は26%
  • 農食品畜産庁 (AVA): The Food We Eat

か細い生産量ですが、内田樹氏が言う「食料自給率ゼロ」とは異なります。また農食品畜産庁 (AVA) は「野菜10%、魚15%、卵30%が目標」と書いており、今後はゆるやかではあっても食料自給率を伸ばしていきたいと考えています。
また、日本関係だと、近年ではパナソニックがシンガポールに人工光型植物工場を作り、スーパーに出荷しています。植物工場というのがシンガポールらしく、これはシンガポール農食品畜産庁 (AVA)が取り上げる事例にもなっています。

紫の人口光が、シンガポールの植物工場らしいっちゃ、らしい…

現在、シンガポールは世界の金融センターとして知られていますが、農業・漁業と貿易、そして石油が牽引した工業への歴史的過程を経てたどり着いたものです。1970年には第一次産業従事者が9%もおり、これは現在の日本の5%より多い割合でした。

「水や生きるために必要なものはすべて金で外国から買っている」のがシンガポールか?

同じ記事で内田樹氏は以下のような発言もしています。

水さえマレーシアから買っているのです。生きるために必要なものはすべて金で外国から買うしかない。

「水をマレーシアから買っている」は正しいのですが、すべてではありません。
シンガポールを中途半端に知っていると、「マレーシアが水を止めるだけで、シンガポールは破綻する」とドヤ顔で言う人がいますが、この状況から脱却しつつあります。マレーシアとの水供給の協定は2061年に終わり、その後に向けて、シンガポールは準備をしてきました。現在、消費される水の40%を下水処理水、30%を海水淡水化でまかなっています。比率が公開されていない降雨と輸入水は、あわせて30%にとどまります。また、水の需要は現在、家庭用が45%、工業用などそれ以外が55%であり、これは現時点でも家庭用消費分は輸入に頼らずまかなえることを意味します。

実際に、2017年にマレーシアの水源汚染で取水が止まった時にも、シンガポールでは混乱なく乗り切っています。

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マクリッチ貯水湖
シンガポールは、マレーシアから独立する以前の1962年に結んだ、マレーシアとの水供給の二国間協定に、大きく依存していました。しかしながら、水を一国からの輸入に頼るのが国防上危険であることは歴史を通して何度も経験しており、水の自給率の上昇にシンガポールは独立から努力をしています。たとえば、太平洋戦争でマレー半島から退却しシンガポールでの戦闘に備えるイギリス軍が、マレー半島とシンガポールとの土手道を爆破した際に、水のパイプラインも破壊されたため、貯水湖の水は数日分しかなかったと言われています。また、マレーシアとの国家間緊張が生じると、水供給への懸念がわき起こります。

内田樹氏が、シンガポールを歪めて発言するのは、安倍政権へのとばっちりか

それではなぜ、内田樹氏がシンガポールに対して悪意ある発言をしているのか、ということです。


内田樹氏の主張 私の見解
事実上の一党独裁 民主選挙の結果。直近の2015年総選挙では与党得票率70%。一党支配の表現が適切であり、日本の55年体制と比べられる。強固な政府が必要との国家政策での選挙制度とはいえ、得票率70%で議席占有率93%が妥当かは議論されるべき
治安維持法で令状なしの逮捕拘禁 現行犯逮捕同様に令状不要。日本には人質司法がありますが、シンガポール治安維持法でより深刻なのは裁判無しの長期勾留。マフィアに大打撃を与えた政策ですが、政治的にも使われた
反政府メディアは存在せず 外資メディアがある。また反政府系はネットを中心に活動
労働運動はなく ある。第五代大統領は全国労働組合会議(NTUC)出身。現在でも、国会議員にNTUC経験者がいるほど強力
大学生は入学に際して反政府的意見を持たないことの証明 治安維持法第42条なら、入学には学校許可に加え官庁の証明書が必要で、国の治安を損ねる場合に拒否される

一部は正しいのですが、事実誤認か誇張がある内容のツイートです。
食料自給率の主張から分かるように、単に知識不足なのが理由でしょう。しかしそれだけではない可能性が高いです。『安倍政権がめざす国のかたちそのものです』と書いているように、シンガポールを安倍政権となぞってみており、安倍政権に対する感情をシンガポールにも持っていると想定考えられます。

安倍政権はシンガポールを目指しているのか

シンガポールは、内田樹氏が誤認したように、一党独裁と勘違いをされることがあります。しかしながら、(ゲリマンダーなどの不公正を野党が主張していますが) 米国国務省などが評価するように選挙は公平であり、与党が70%もの圧倒的得票率をとっています。ゲリマンダーで議席数は操作できても、得票数は操作できません。シンガポール政権は、日本の55年体制での自民党政権となぞらえられます。
uniunichan.hatenablog.com

一党独裁と勘違いされることがあるため、中国など"真の独裁国家"がシンガポールを真似ることはできないか、と検討をしているということが何度もささやかれていますが、根本的には普通選挙が壁になって都合の良い政策のつまみ食いで終わっているとされています。

では、安倍政権がシンガポールを目指すことはできるのでしょうか。
日本のカジノ政策はシンガポールを参考にしていると言われています。その一方で、シンガポールが行っている、低所得者への消費税の逆進性を補填する現金などの給付政策(GST Voucher)は、日本では参考どころか話題にものぼらずに、軽減税率に突っ走ってます。
日本も国としてシンガポールを見習いたいのではなく、自国にあったシンガポールの政策を導入したいということに過ぎません。当たり前です。
シンガポールは現時点で世界で最も経済的に成功している国の一つです。日本を含め、世界中の国がシンガポールから学ぼうとするのは当然です。しかしながら、成功体験がもたらす与党への強烈な支持と、都市国家の特殊性、汚職の少なさが、安易な模倣を許しません。

明るい北朝鮮?

シンガポールの話になると、すぐに『シンガポールは「明るい北朝鮮」だから』とドヤ顔で持ち出す人がいます。「明るい北朝鮮」という表現は不適切です。不適切なのは、揶揄だからでなく、シンガポールは国家創設以来の強固な反共国家であり、秘密投票による普通選挙で政権が選ばれているからです。
『シンガポールは「ブライト ノースコリア」と日本では呼ばれていて』とわざわざシンガポール人に説明する日本人がいます。滑稽です。「明るい北朝鮮」は世界中で日本でしか使われていない用語です。日本通のシンガポール人しか知りませんし、知ってるシンガポール人は「またか」とうんざりしています。
国民を食わせることと、国民の安全を保障することは、国家の存在意義であり、国家の浮沈がかかっています。経済と国防(治安)には、表現の自由への制限や厳罰主義とのトレードオフでしか得られないかは、議論されるべきと理解します。しかし、これは「明るい北朝鮮」という不適切な表現を正当化する理由にはなりません。

最後に

各分野での政策評価と、国(と国民)への評価は分けるべきです。
内田樹氏が安倍政権を批判されるのは勝手ですが、余計なヘイトを他国にまいて対外感情を悪化させることは、該当国の国民および日本人居住者に迷惑です。特にそれが事実として不正確であれば尚更です。事実に基づくご自身の論で、他国を巻き込まずに自国の政権批判をされることを望みます。
世界に完璧な国はありません。米国ですら、銃・薬物乱用・貧富の格差は深刻です。経済・治安・教育の良さを誇るシンガポールでも、欧米先進国と比べ言論の自由などへの制限があり厳罰国家です。しかし、その不自由さも含めて、選挙でその与党を国民が選び続けている民主主義の結果です。「洗脳されている」「国家が自分に向かってくると思っていない」とその国の国民を評価することはできるでしょうが、それも含めて民主主義です。
なぜか内田樹氏は「経済成長」を否定されておられますが、シンガポールにしろ中国にしろ、欧米先進国より何らかの自由への制限があるのに政府への支持がある国は、国民が経済成長を実感しているからということを無視すべきではないです。人は安心して飯を食えないと、その次の自由や文化を考えられないのが現実です。飯を食う必要な経済水準は単に食料の確保ではなく、結婚・自宅・子どもの教育・老後と、すべてをクリアできるか、先進国中間層ですら不安を抱えています。経済成長より大事なものがあると、一財産稼ぎ終わった人が主張しても、民主主義では多数派になれることはないでしょう。ついてこない国民に愛想をつかして一部支持者に埋もれるのではなく、独裁を否定するなら民意を勝ち得るためにも経済成長との両立に目を向けていただきたいと願います。


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アジアンズを削除して「クレイジー・リッチ!」の邦題にした"偉業" ~映画の舞台、シンガポールでの徴兵~

「あなたはアジア人ですか?」

シンガポールウォッチャーのうにうにです。
質問です。
「あなたはアジア人ですか?」
こう聞かれて「はい、私はアジア人です」「はい、日本はアジアにありますから」と即答できる日本人は、どれだけいるでしょうか。「自分がアジア人?うーん、それはそうなんだけど、なんかちょっと違うよな」とちゅうちょする人はいると思います。

ハリウッド発の恋愛コメディ映画「クレイジー・リッチ・アジアンズ」(原題: Crazy Rich Asians)が、米国で8月15日に封切られました。
日本語に訳すと「クソ金持ちのアジア人達」。第一週に引き続き、第二週でも全米売上1位でした。日本での配給はワーナー・ブラザーズです。日本公開は9月28日ですが、私が住んでいるシンガポールでは8月22日から公開されており、みてきました。公開2週目の週末ということもあり、客入りは9割ほどと盛況。舞台となったシンガポールの知っている風景も多く映され、客席も盛り上がっていました。

ドタバタ恋愛コメディです。主人公は、シンガポール出身のクソ金持ちな中華系アジア人男性と、中華系アメリカ人知識階級女性。アメリカ在住中には彼氏が超富裕層の一家と知らなかったのが、友人の結婚式参加のためにシンガポールに来て、そうだったことを知ります。母親・祖母からのいじめと、シンガポール人女友達から嫌がらせを受けます。金持ちのきらびやかなお戯れを、我々庶民が見る構図ですね。富裕層や特権階級を題材にしたストーリーは、古来より世界中であり、その一つです。
www.youtube.com

舞台の大半はシンガポールで、これは原作者のケヴィン・クワン氏が"元"シンガポール人 (元シンガポール国籍) である自身の経験からきています。

Crazy Rich Asiansの邦題は「クレイジー・リッチ!」

"Crazy Rich Asians" は、邦題が「クレイジー・リッチ!」として9月28日に日本で公開されます。なお、日本語に翻訳された原作の小説は、そのままカタカナで「クレイジー・リッチ・アジアンズ」が単行本のタイトルです。

(いつものように) 日本版ポスターやフォントが驚きのダサさになったとか、「クレイジー・リッチ」だと英語として気持ち悪いとか言われていますが、私の注目は原題にあった「アジアンズ」が、邦題では削除されたことです。
意図的な削除と私は邪推しています。日本では「アジア人が主役の映画」というより、「ハリウッド発の恋愛コメディ映画」で推した方が、売上が伸びる、という判断があったのでは、ということです。

ホワイトウォッシュに抵抗した映画がはまったアジア人と中華系

映画は、映画の内容そのものだけでなく、映画を作るにあたってどんな背景や苦労があったのか、という周辺情報も含めた"ストーリー"が興行上でも重要になっています。本映画でのその一つが、"ホワイトウォッシュ"への抵抗です。

原作者であり本作のエグゼクティブ・プロデュ-サーでもあるクワンには、映画化へのオファーが絶えなかった中で“絶対に譲れないポイント”あった。「ある有名プロデューサーが連絡をしてきて『この映画を作ろう。でも、主役のヒロインを白人の女性にする必要があると感じているんだ』と言ってきた。完全に肝心な部分を理解していなかったんだ!「サンキュー・ベリーマッチ。グッバイ」という感じさ。でもその後で、できるだけ本に忠実に作りたいと思っているチームを見つけたんだ!

「俳優を白人に置き換えることに原作者は同意せず、ハリウッドのマイノリティであるアジア系で作った異色の映画。それが売れた」、というのが重要な周辺情報になっています。原題にあった「アジアンズ」を抜くのは、ホワイトウォッシュに抵抗した原作者の意志に反しているのでは、という疑問が生まれます。

他民族が演じることの是非

ストーリーにおいて、ヒロインはアメリカ人(国籍)ですが、それ以外の登場人物は中華系です。その女性主人公も、国籍と育ちはアメリカですが、親は中国出身の中華系との設定です。
配役において、俳優はアジア系であったとしても、中華系を演じている役者には中華系でない人がいます。異なる民族へのキャスティングは、「SAYURI」(原題: Memoirs of a Geisha)において、日本人の芸者の役を中国人チャン・ツィイー氏が演じた時のように、日本でも世界でもこれまでに何度も議論になっています。なお、本映画では、日系イギリス人のソノヤ・ミズノ氏が、中華系の役を演じています。
また、多民族国家のシンガポールであるにもかかわらず、"シングリッシュ"(シンガポールアクセントの英語)を話さない、また他の主要民族のマレー系やインド系が登場しないことへの批判も、SNSでおきていることが報じられています。

シンガポール最有力紙ストレーツ・タイムズは、キャスティングを痛烈に批判しています。「アジア人の血が入っていれば"十分にアジア人"とハリウッドが考えていることは明白だ。だから主人公とヒロインに中華系を血統に持つ白人が採用されたのだ」「売上のためだ。雑誌や、オーチャードや渋谷など大都市で映画の広告塔にのるのだ」また、白人や、肌の色が薄い人が、好意的に受け入れられる現象は世界的と指摘し、その例に日本のバービー人形などをあげています。

「アジアンズ」を邦題で抜いたのは、日本市場での判断であり、興行上の理由と私は推測します。人々の興味は自分との共通点から生まれます。初対面の相手に出身をたずねるのは、共通項と会話のいとぐちを探す一般的な行動です。「自分はアジア人だ」という意識を持つ日本人が多いとは考えにくい現状で、「アジア人の映画」をアピールして日本での興行成績が良くなるかは疑問です。 (にもかかわらず、「アジア人の映画」を「普遍的な恋愛と家族コメディ」と、米国で打ち出して受け入れられたので、価値があるのですが)

戦後の日本では、アジア唯一の先進国だった時代が一定期間ありました。アジアに位置しながらも、日本はアジアの中で別格で、「アジアというのは日本以外のアジア各国を指す」「アジア人というのは日本人以外のアジア人を指す」という意識が日本人に生まれた時代です。時代は変わりました。日本は変換期にあり、現状を受け入れる必要があります。世界銀行(2017年)では、一人あたり国内総生産(GDP)(名目)は、日本(3万8千ドル)であり、シンガポール(5万7千ドル)、香港(4万6千ドル)と引き離されています。国全体でも、中国のGDP12兆ドルに対して、日本は5兆ドルしかなく、倍以上の大差をつけられています。

邦題にしても、ポスターにしても、日本の配給側が責められがちですが、「これが日本で最大の売上をあげる方法」という判断の結果であることを忘れてはいけません。どんなに識者の評価が高くとも、客がついてこなければマスへのビジネスとして成り立ちません。つまり、「アジアンズ」を抜いた「クレイジー・リッチ!」が、2018年の日本人のアジアへの空気を表現した、優れた邦題だということです。
日本人がアジア人意識をもつのは、日本がアジアの地域共同体の中で生きていく、アジアの普通の国になった時かもしれません。

他国での映画タイトル

「クレイジー・リッチ・アジアンズ」がタイトルになっているのは、シンガポール、香港、台湾、ベトナム、マレーシア、韓国、スペイン、ノルウェーなど、大半の国です。ただし、香港ではアジアンズの意味がない「我的超豪男友」の現地タイトルに、クレイジー・リッチ・アジアンズの英語が両記されています。
例外として、ドイツは日本と同じ「クレイジー・リッチ」。
イタリアは「クレイジー&リッチ」です。
ヨーロッパにあるドイツ・イタリアと並んで、日本が「アジアンズを抜いた方が売上が良い」と考えられた市場というのは、興味深いです。

現実と異なる映画でのシンガポール描写

シンガポール在住の私には、マリーナ・ベイ・サンズなどなど、見知ったけ景色が次々に出てきますが、撮影にはシンガポールに加えて、マレーシアでも行われています。

典型的なのは祖母の豪邸です。広大な敷地が描かれていますが、あの大きさの豪邸はシンガポールには存在せず、マレーシア撮影です。シンガポールは土地が東京23区程度しかない都市国家で、土地は希少です。公営住宅 (HDB) すら日本のタワーマンションの高さで建てられる国ですから。「さすが、富裕層国家シンガポール、すげぇ」と誤解されないように、念のために書いておきます。
シンガポール在住者の私には、他にもある「映画での誇張した演出」にあーだこーだという楽しみ方がありました。

徴兵制度がある国、シンガポール

原作者のケビン・クワン氏は、シンガポール生まれ。曽祖父はシンガポールのメガバンクの1つOCBCの創設者という、裕福な家系で育っています。名門小学校であるアングロ・チャイニーズ・スクールで学びますが、11歳にて両親について渡米。その後はアメリカで過ごします。亡くなった父とのシンガポールでの生活の回顧録として始まったのが、クレイジー・リッチ・アジアンズです。自分の体験に着想を得た創作ですね。
舞台となったシンガポールでの公開にあわせ、シンガポールでプレミアが開かれ主要な俳優が並びましたが、原作者のケビン・クワン氏の姿はありませんでした。その直後に、ケビン・クワン氏はシンガポールでの徴兵 (ナショナル・サービス) に参加しておらず、シンガポールで指名手配されていることを、シンガポール国防省が明らかにしました。クワン氏は、徴兵なしでシンガポール国籍を回復するように求めた願書を出していますが、却下されています。

この映画は政府のシンガポール観光局 (STB) が後援に入っており、(単にチェック漏れの可能性もありますが)「あれはあれ、これはこれ」で政府が実利的な対応をしているのは、とてもシンガポールらしいです。

シンガポールは小国ですが、徴兵があります。シンガポールは政府の最大支出が防衛費であり、14.8%に達します(2018年)。なお、2位は運輸で、3位は教育です。日本政府の支出で防衛費は5%にすぎません。防衛費のGDP比では、日本は0.9%ですが、シンガポールは3.3%になります。他国に依存しない国防には、特に小国であれば、政府支出でも国民負担でも、それだけ重いものがあります。

国民意識を形作る徴兵というイニシエーション

シンガポールには「金が最重要の国」という印象を持つ日本人が多いのですが、すべての男性の国民(と永住権保持者の二世)は2年間にも及ぶ徴兵という負担を経ています。高度化した戦争でプロでない徴兵制度がどれだけ役に立つかを疑問視する意見もありますが、1965年にできたばかりの新しい国の国民意識の醸成に貢献しています。移民国家でありながら、移民や"新国民"との差異を際立たせるものに徴兵への参加をあげられることが多く、外国人との"違い"を肯定化する意識をもつくってしまっています。
逆に、"新国民"であったとしても、徴兵経験者であれば (極右以外の) シンガポール人は仲間として扱ってくれます。「あいつは新国民だろ?」「いや、そうだけど、NS(徴兵)にいったんだよ」「そうか、ならいいな」ということです。男子にとって徴兵は、シンガポール人として認められるイニシエーションとなっています

重国籍を認めないシンガポール

シンガポールは、日本同様に、重国籍を認めていません。両親の国籍や、出生地から、生まれながらに重国籍として生まれたシンガポール人は、22歳までにシンガポール国籍ととるか放棄するかの決断を迫られます。日本とシンガポールの重国籍の男性がいました。彼はシンガポール国籍を選択する宣誓を、手続きの理解不足から知りませんでした。宣誓を行わなかったことでシンガポール国籍は自動的に喪失し、もう一つの国籍である日本国籍を放棄していたために、無国籍となります。
この時、世論は男性の擁護にまわりました。理由は、彼が徴兵を済ませていたからです。「なんであいつNSいったのに、シンガポール人に認めねぇんだよ。なんとかしてやれよ、政府」という仲間意識です。最終的には、シンガポール国籍を回復しています。

「明るい北朝鮮」は不適切な表現

シンガポールの国防やそれがいかに厳しいかの話をすると、すぐに『シンガポールは「明るい北朝鮮」だから』とドヤ顔で持ち出す人がいます。「明るい北朝鮮」という表現は不適切です。不適切なのは、揶揄だからでなく、シンガポールは国家創設以来の強固な反共国家であり、秘密投票による普通選挙で政権が選ばれているからです。中華系が3/4を占める中華系国家であるがゆえに、今となっては中国との特に経済に基づく関係を持っていますが、共産化を恐れ中国と国交を持ったのは1990年になってやっとです。日中国交正常化は1972年であるのにです。シンガポールは一党支配体制が続いていますが、日本も戦後の55年体制や、その後の一時的な中断を経ても、結局は強固な与党が継続的に政権支配をしている国なのを忘れてはいけません。
『シンガポールは「ブライト ノースコリア」と日本では呼ばれていて』とわざわざシンガポール人に説明する日本人がいます。滑稽です。「明るい北朝鮮」は不適切であるがゆえに、世界中で日本でしか使われていない用語です。日本通のシンガポール人しか知りませんし、知ってるシンガポール人は「またか」とうんざりしています。
シンガポールは国の歴史が浅く、移民国家であるがために、経済のみでなく国防を通じて、国民意識を培ってきました。国民を食わせることと、国民の安全を保障することは、国家の存在意義であり、国家の浮沈がかかっています。経済と国防(治安)には、表現の自由への制限や厳罰主義とのトレードオフでしか得られないかは、議論されるべきと理解します。しかし、これは「明るい北朝鮮」という不適切な表現を正当化する理由にはなりません。

こういうお硬い見方もありますが、単純に面白い映画です。是非、見に行ってください!

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「駐在ですか?現地採用ですか?」海外日本人村を分断する身分格差

うにうに @ シンガポールウォッチャーです。
お怒りの投稿が、ツイッターで流れてきました。


「アホ」という強い言葉を使うほどなぜ傷ついているのか、という背景についてです。

世の中には、発言している方は全く悪気は無いが、言われた方は大いに傷つく言葉、というものが多くあります。
「駐在ですか?(現地採用ですか?)」
は海外日本人村でのその一つです。もちろん、すべての人が傷つくわけではありません。聞かれた人が駐在の場合は「駐在です」で終わりですし、現地採用でも気にしない人もいます。大半の現地採用は、悪気はないのは分かっているので聞き流しますが、良い気はしていません。

駐在とは、日本の勤務先に在籍したままで、海外赴任をしている人のことです。駐在手当や現地家賃などが福利厚生として提供されるため、日本でより羽振りが良くなるのが一般的です。現地採用は、海外現地での雇用契約であり、待遇は特に発展途上国勤務だと現地の雇用水準プラスアルファ程度が相場です。現地民よりかは良いのですが、駐在にははるか及びません。役職も違うとはいえ、家賃なども含めた待遇格差は、先進国でも倍、発展途上国では数倍にもなります。

※参照: 駐在と現地採用の待遇格差について
uniunichan.hatenablog.com

質問した人と、質問された人とでの、焦点のズレ

「こっちに駐在で来ているんですけど」
という発言でも同様ですが、発言者の意図は明確です。
「私は勤務先の業務命令で、海外赴任をしています」
というものです。通常、それ以上でも以下でもありません。特定界隈では"駐妻"というものにステータスがあるのと同様に、駐在にステータスがある生態系もありますが、海外在住日本人の大半は駐在です。この会話をしている相手も駐在であることが多く、特にマウンティングできるわけでもないからです。

ところが、質問された現地採用は、駐在ではないという雇用体系の違いや、そこから来る待遇・経済力の違いまで含めて意識させられるのです。
「駐在か現地採用かというのが、お前にどう関係あるんだよ。役職なら名刺渡してるだろ」
という反発が生まれます。
質問している駐在員は、悪気はありませんし、相手が傷ついているとも知りません。人の足を踏んだ人は、踏んだことにも気づいていない、大したことがないと思っています。

現地採用を見下す人々

質問をする人の中には、「駐在なら責任者だが、将来的には帰国前提。現地採用ならスタッフ・リーダーレベルで、帰任はない。というのを確認したい」という人がいます。しかし、役職はそれこそ名刺で分かります。3年から5年で帰任する駐在員が多いのは確かですが、待遇や将来性の無さから同じ日系企業で働き続ける現地採用者もまれです。結局は、「ご出身はどちらで?」に類似した会話のつなぎが、相手が不適切だったので反発される、ということです。

困ったことに、現地採用と聞くと見下していると受け取られる態度をとる人も少数ですがいます。露骨に関心を失ったり、無視してコミュニケーションから外してくる人たちです。理由は、自分と異なるコミュニティに相手が所属しており、なおかつ、自分がメリットを得られない人間関係だからです。相手の人となりではなく、相手の社会的地位で物事を判断する人といって良いでしょう。

駐在、現地採用は身分制度

「正社員ですか?派遣ですか?」

「駐在ですか?」という質問がいかにセンシティブかは、日本では、
「正社員ですか?派遣ですか?」
の質問にたとえられます。「海外で働いている事情は」「当地での付き合いがどれぐらい長くなるかに関わる」「別に事実を聞いてるだけだし」と言ってる人たちも、このたとえを説明するとさすがに言葉につまります。本人の事情や動機なんか何だっていいのです。駐在・現地採用というのは、正社員・派遣と同じ身分制度なのです。例外もありますが、派遣が仕事ができれば正社員になれるわけでないのと同様に、努力や成果で現地採用が駐在になれるわけでもないのです。現地採用のキャリアパスの先に、駐在があるわけでないのが絶望の縁です。平社員が課長・部長に昇進するのとは違うのです。現地採用が駐在になるには、日本本社への転籍が必要です。仕事ができるのは当然として、現地法人の強い推薦と、本社の予算と在籍に空きが必要です。
人生の積み上げの結果で、派遣だったり、現地採用をやっているわけですが、それと仕事への能力は直接的には関係していません。入り口が違うのが最大の理由です。仕事のパフォーマンスと、待遇がリンクしているわけでないのが、身分制度が非難されるべき理由です。

外国人は大学名や勤務先を聞かないのか?

本記事の初めのツイッターで言及されている「外国人は大学名ではなく、勉強した科目聞くし 企業名でなく、業界を聞く」について。
少なくとも私の環境では、大学名も勤務先も聞かれます。
これは、バックグラウンドが近く、同じコミュニティに属している相手であれば、聞くこと自体が失礼にあたらないからです。駐在が駐在に「駐在ですか?」と聞いても「駐在です」と返事されて終わるのと同じです。初めて会う人と話をするにあたって、類似の属性を探してそこからから話の糸口にしようとするのは、一般的です。「NUS(シンガポール国立大学)に行ってたんですけど、今も勤務先が隣駅のワンノースのアップルなので、いまだに学生気分で」というように。これが、本人が国立大学卒で、話している相手が私立大や海外校の可能性が高いと思われれば、共通の属性とならないため、こういう無意味な話題は避けられます。むしろ、学部での専攻や、有名企業でなければ業界や職種を話したほうが、共通項が得られる可能性が高いでしょう。

つまり、このツイートの方は、「海外の大学なので聞いてもどうせ分からない」「自分のコミュニティ外の外人枠だから大学名を聞いても接点にならない」と思われているのではないでしょうか。私の今の環境での判断ですが。
そもそも「外国人」と主語が大きい時点で、このツイートを読む側にも注意警報が出て良いところです。

「海外で働いている私、すごい」

海外で働いていると、"海外ハイ"な時があります。「海外で働いている私、すごい」という高揚感です。
ところが、日々の生活では、
・職場では駐在に指示された翻訳や雑用をして、
・家に帰ると他人とルームシェア(フラットシェア)で完全なプライバシーがなく、
・日本人独身男女が女性に偏っていることからパートナーを作るにも苦労し、
・永住権のハードルがあがっていることから就労ビザ更新に冷や冷やするのが、
シンガポールでの現実です。
・年金も大半は納めておらず、日本のセーフティネットを自分で捨てた結果とはいえ、滞在国の社会保障からも漏れています。
将来をうっかり直視すると、不安は底知れぬものがあります
高揚感をぶち壊して、現実に連れ戻す質問が「駐在ですか?」なのです。このギャップの深さゆえ、傷つき方も大きいのです。

強く生きてください

すすめませんが、希望もゼロではないシンガポールの現地採用

現地採用への風当たりでいうと、シンガポールは恵まれています。金融フロント、医師、弁護士、外資系企業専門職という、高給であったり社会的地位が高い現地採用者がいる国だからです。さきほど、「現地採用は絶望の縁に立っている」と書きましたが、そこにいない人たちです。「日系企業の現地採用」=「苦労している」、というのは発展途上国勤務の現地作用と同じ評価ですが、駐在並かそれ以上に稼ぐ現地採用もいることは知られています。海外でも日本人としての生活を、家族を持っておくることができる人たちです。

※参照: シンガポールでの現地採用の給与水準です。
uniunichan.hatenablog.com

海外日本人村は階層化しています。駐在と現地採用の分断は埋められません。駐在は現地採用のことを全く気にもかけていませんが、多くの現地採用は駐在を強く意識しています。現地採用が強く生きるには、結局は稼ぐことに尽きます。

  1. 駐在に転籍
  2. 稼ぐ自営
  3. 外資系企業専門職
  4. 日本に凱旋帰国して欧米外資系企業勤務

が、成功した現地採用出身者のキャリアパスです。
いずれもかなり困難な道のりです。努力以上に、景気と運にも左右されます。そして最も可能性が高いのは、海外に残留する1, 2, 3ではなく、4.の日本への凱旋帰国です。
安易に海外就職をする前に、本当に家族・友人・日本の社会保障を捨てて、一か八かでとる海外就職のキャリアパスが、日本でのキャリアパスより優れているかを、慎重に検討されることをおすすめします。
強く生きてください。


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