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今日もシンガポールまみれ

日本のあっち、シンガポールのこっち

太平洋戦争時の日本占領名"昭南"を戦争記念館に拒否したシンガポール国民

1942年2月15日、シンガポールで連合軍が日本軍に降伏した日です。山下奉文将軍がイギリスのパーシバル将軍に、「イエスかノーか」と降伏を迫った逸話が知られています。シンガポールでこの日は、総国防日(Total defence day)として、今でも警報が国中に響きます。日本に対する遺恨ではなく、当時はイギリス支配下にあったもののイギリス軍が敗れたことで、国防は国民全体で担うのが義務だ、という意識啓発のためです。
日本占領下において、シンガポールは「昭南島」と日本によって名前が変えられました。

今年はシンガポール陥落から75周年。山下将軍とパーシバル将軍が交渉を行った旧フォード工場は、戦争博物館の「旧フォード工場記念館」(Memories at Old Ford Factory) として利用されています。そこが改装を終え、この2月15日に再オープンしました。一般公開は2月16日です。当時の展示の品々が差し替えられて、映像を多用した内容になり、施設の名前も「昭南ギャラリー」に変更されました。
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※写真は筆者撮影

ところが、記念館の新しい名前に「昭南」を使ったことで、運営している政府に国民から大きな反発を呼びます。理由は大きく2つです。

  • 「昭南」の名前は日本占領時の痛ましい記憶を呼び起こす
  • 「昭南」の名前を使うことで、日本占領時を肯定する印象を与えるのではないか

名前が変更され、「昭南ギャラリー: 戦争とその遺産」(原文: Syonan Gallery: War and its Legacies) になると一般に知られたのが、2月9日の報道です。抗議を受け、名前の撤回を政府は2月17日に決めます。「日本の占領を生き抜いて:戦争とその遺産」(原文: Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies)になりました。わずか一週間でのスピード決定です。
最終的には、担当大臣である情報通信省 (MCI) の公式声明に加え、リー・シェンロン首相もフェースブックでコメントを出しています。全文に、私の訳を付けます。

旧フォード工場の展示について、最近、多くのシンガポール人が率直に発言しています。
我々は「昭南ギャラリー: 戦争とその遺産」と当初は呼んでいました。その名前「昭南」は、シンガポールの歴史における暗黒でトラウマになっている時を呼び起こすことを意図したものです。
しかし、少なくない人々が、名前自身がこのように使われ苦痛を呼び起こすと感じました。多くのシンガポール人の全民族は、日本統治時代に恐怖の残虐行為を受け、それを経験した家族がいます。
私の同僚と私は、この根強い感情を尊重し敬意を払います。痛ましい記憶への目撃者に耐える展示に、名前を変えることにしました。
意見を共有した全ての人に感謝します。そのような会話は我々を一層団結させるものです。
シンガポール人が展示を見に行くことを私は希望しています。我々の人生に深く影響を与え、社会を形作った出来事を、我々は決して忘れてはいけません。

  • リー・シェンロン

Facebook: Lee Hsien Loong

シンガポールでの太平洋戦争評価は「最も暗黒の時代」

太平洋戦争について、「アジアには肯定的な評価もあるのではないか」「アジアでの植民地開放の先駆になったことは評価されるべき」という考えが日本ではありますが、シンガポールの考えはこれとはかけ離れています。シンガポールは日本に「植民地支配から開放してくれ」と頼んでません。生命の危機があり、経済的にも食べるものにも事欠いた日本統治時代の圧政より、イギリス植民地支配が比べるまでもなく好ましいものでした。
シンガポールでの太平洋戦争と日本統治への評価は定まっています。首相が「昭南ギャラリー」開館でフェースブックでコメントしたように「シンガポールの歴史で最も暗黒の時代」です。全文に私の訳を付けます。

1942年2月15日、75年前の今日、ブキティマにある旧フォード工場で、イギリス軍は日本侵略軍にシンガポールを引き渡しました。それから、日本統治下で、シンガポールは昭南「南の光」と名前が代わり、恐怖と苦難と苦痛の3年半が訪れたのです。
シンガポールの歴史での最も暗黒の時代を我々が忘れないように、毎年この日に総国防日を記念します。今朝、旧フォード工場で、「昭南ギャラリー: 戦争とその遺産」が始まりました。
日本統治での恐怖と凶暴さ、我々の祖先の苦痛と勇気を、記録しています。シンガポールが自由だけでなく名前も失うとは何を意味するのかを、記録は物語っている。こんなことを二度と起こさないようにせねばなりません。 - リー・シェンロン
#NeverAgainSG
Facebook: Lee Hsien Loong

シンガポールが日本統治期を「暗黒の時代」と評価することは、歴史教科書やシンガポール国立公文書館の記述で、以前から行われています。

「日本の占領を生き抜いて:戦争とその遺産」の展示

2月18日に「日本の占領を生き抜いて」を私は訪れました。名前変更の発表が前日にあり、私の訪問時には昭南ギャラリーの名称は既に消されるか、隠されていました。
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※表通りに面した大看板が覆われている。写真は筆者撮影

シンガポールでの「痛ましい記憶」:シンガポール華僑虐殺事件

旧フォード工場記念館の時にも私は訪れました。当時の品々の多くは入れ替わり、以前はあった山下奉文将軍とパーシバル将軍の銅像などはなくなっていました。「昭南を名前にすることで、日本占領時を肯定する印象を与えるのではないか」との国民から指摘がありましたが、展示内容は日本軍のシンガポール華僑虐殺事件や残虐行為・圧政に関わるものが多くを占めていました。
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※写真は筆者撮影

下記写真は、現地ではSook Ching(粛清)と呼ばれるシンガポール華僑虐殺事件で、日本軍が殺害した数です。日本が確認したのは5千人、一方シンガポールでの推定が5万人と、両論併記されています。この虐殺事件のために、1967年に日本はシンガポールに血債協定で当時の金額で約30億円相当の無償供与の戦後賠償を行いました。その後、シンガポールが日本に謝罪や賠償を蒸し返したことはありません。
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※写真は筆者撮影
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※写真は筆者撮影
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クランジ戦没者記念墓地の追悼式

2月15日に、クランジ戦没者記念墓地で追悼式が行われました。日本大使も参列しており、シンガポール日本人学校の代表が千羽鶴を捧げました。

国民の声に敏感なシンガポール政府

1959年から現在に至るまで、PAP(人民行動党)の一党政権が続いており、強いリーダーシップスタイルをとるため、シンガポールは強権政治と思われています。しかし、シンガポールに住んでいると、「政府は国民の声に(少なくとも日本より)敏感だ」と思う面もあります。今回のスピード決定もそうですが、議員や政治と国民との距離は近いです。地域イベントだけでなく個人の陳情にすらも議員が入り、議員が担当官庁に状況説明のレターを書くという話はよく聞きます。
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政治への一定の影響があるシンガポールのマスコミ

「報道の自由度ランキング」(国境なき記者団)でシンガポールは、180カ国中154位という低い評価を受けています。本件で世論を主導したストレイトタイムズ紙は、新聞を規制する法律があり、政府の強い影響下にあります。政府や与党を代弁していると批判されることもありますが、今回のように、社会の木鐸として、政府方針に反する国民の声を拾い上げていくことも目にします。

日本での報道

また、本件は日本占領に関する話ですが、日本と日本語での報道は消極的です。日系のマスコミでは報道を確認できず、AFPの外電で細々とある程度です。

なお、AFPの他に日本語で報道が確認できるのは中国国際放送です。そこでは『一部国民やメディアが「歴史的経過から見てもその名称は相応しくない」とする意見を相次ぎ発表』と書かれていますが、「歴史的経過」という似て非なるものを、主要な反対意見として私は確認していません。シンガポール国民の指摘は、「痛ましい記憶を呼び起こすこと」と、「日本統治を肯定的に評価する印象を与えるのではという危惧」です。

時系列

本件での時系列です。

2月9日 旧フォード工場記念館が昭南ギャラリーに名前を変えて、2月15日再オープンすることが報道される。
2月10日 政府系現地最有力紙ストレイトタイムズが、昭南ギャラリーの名前が抗議を受けていることを報道。日本占領時代に敬意を払っているように見えるのでは、という疑問が持つ人がでてくる。
2月11日 担当省庁の国立図書館委員会は、歴史家と顧問委員会とに相談しており、その時代をとらえ時代が表す最も適した名前を決めたと説明する。問題ないとの少数の声もあったが、抗議は大きくなり、ストレイトタイムズ紙の投稿欄にも賛成反対の意見が寄せられる。
2月15日 再会館日。開館に際して、名前が強い反応を起こしていることを理解していると、担当大臣は発言。日本占領時代を生きた高齢者の中には、歴史の辛い事実であり当時のあるがままに呼ぶべきだと言う人もいるが、その一方で、名前が占領を正当化しているのでは、と感じている人もいるとのこと。リーシェンロン首相は、「歴史を消すことはできない。展示はシンガポールの歴史におけるトラウマになっている期間を思い出させるものだ」とフェースブックにコメント
2月17日 担当大臣は名前の変更を発表。その日の晩のうちに、施設の看板から「昭南ギャラリー」の文字が削除され、一部は覆われた。
2月18日 来館者は名前の変更を歓迎
後記

「史実である昭南を使うと、それが肯定的評価になる」というのは事実と評価の混同であり、ロジックとして違うだろうと、この話を聞いた当初は思いました。しかしながら、日本国内での歴史解釈を巡る現状で、一部だけを切り出して主張する論旨が見られます。たとえ展示そのものは、日本統治下での圧政を伝えるものであったとしても、趣旨ではない誤解を避けるためには、記念館の名前を変更してよかったのかもしれません。
現在のシンガポールの対日感情は、アジア屈指に良好です。1年間にシンガポール人の十人に一人が日本に旅行している統計もあるくらい、観光・日本文化や和食をシンガポール人は楽しんでいます。しかしながら、太平洋戦争は、国家間として戦後処理は決着していても、国民感情としてはまだ史実になっていないことが改めて分かる出来事でした。
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小学館発行のシンガポール建国の父「リー・クアンユー伝記漫画」

小学館の伝記漫画

小学館アジアがシンガポール建国の父であるリー・クアンユー氏の伝記漫画を出版しました。今回はその書評。
小学生時代を思い出せば、図書館や教室の小さな蔵書コーナーで、偉い人の伝記や「はだしのゲン」などの教育漫画があったことを思い出します。その小学校需要を作っている一社が小学館。現在、伝記漫画だと50巻を刊行しており、豊臣秀吉からスティーブ・ジョブズ氏までカバーされています。

小学館が乗り出したアジアビジネスとしての第一弾伝記漫画になったのがリー・クアンユー氏。原作・鍋田吉郎氏、作画・藤原芳秀氏ですが、言語は英語です。シンガポールだけでなく、東南アジアの全11ヶ国で販売します。初版は1万8千部で、人口561万人のシンガポールだけでは、かなり強気の部数です。シンガポールで小学生はわずか24万人、シンガポール以外でそこまで売れるとは思わないので、シンガポール小学生の13人に1人が買ってようやく初版完売です。恐ろしい…
■朝日新聞: 建国の父LKY、漫画に 小学館、東南アジア展開第1弾

試し読みあります!

定価は$16.90。試し読みも下記リンクから、"Preview"のアイコンをクリックして下さい。
■SHOGAKUKAN ASIA: The LKY Story

日本語版

日本語版も実はあります。キンドルでは1080円です。日本語版は電子書籍のみで、紙では販売ありません。アマゾンでは、日本語版の試し読みも可能です。
■Amazon: リー・クアンユー物語:国家を創った男
■小学館: リー・クアンユー物語:国家を創った男
リー・クアンユー物語:国家を創った男

シンガポール建国の父「リー・クアンユー氏」

私のブログを読んでいる人にはおなじみのリー・クアンユー氏。名前の頭文字をとって"LKY"とも呼ばれます。シンガポールの初代首相で、独立前から数えて31年間という長期に渡り首相を務めました。リー・クアンユー氏の歴史は、現代シンガポールの歴史そのものです。
伝記漫画では、リー・クアンユー氏の生涯のうち、シンガポールがマレーシアから追放されるように独立するまでが描かれています。国を独立に導く人は、独立後に国を発展させるのに通常うまくいかないですが、その例外がリー・クアンユー氏です。シンガポールの凄みは、独立後の高度経済成長にあるのですが、物語としては地味なためか、含まれていません。

英語漫画のローカライゼーション

漫画は滅多に私は読まないのですが、現地化という意味で気づいたことを幾つか。

擬音語は日本語

擬音語が日本語で書かれています。例えば「シーン」という日本語が絵の中に書かれ、SELENCEという英語が小さくつきます。アメコミ(アメリカ漫画)だと擬音語は英語です。この本の想定読者は英語が一番大きいはずなのですが、作画が日本人な影響かと推測しました。

右から左に読む

本書では右から左に読むのが、読み順です。
日本の漫画は右から左に読みます。これは漫画の普及当時に、縦書きが主流で、縦書きだと右から左に読むからと想定されます(舞台演劇の影響などの説もあります)。
シンガポールは英語圏です。アメコミでは左から右に読みます。
本書を左からページを開くと「このページは最後。右から左に読んでね」とわざわざ書かれています。
作画が日本人であるため、日本様式以外で書くのが困難だったのではと推測されます。

全部大文字で記述

セリフや言葉や解説まで、全部英語大文字で書かれており、圧迫感があって、読み疲れます。アメコミだと、小文字も使われているものだけでなく、全て大文字になっているものもあります。大文字だけの表記は、私には慣れませんでした。

漫画のあらすじ (リー・クアンユー氏の半生とシンガポール現代史)

  • 1965年8月9日のシンガポール独立から話が始まる。(P.5)「シンガポールはマレーシアから出たのか?」「むしろ追い出されたんだろ」(P.8)
  • LKY氏の少年時代に話がさかのぼる。イギリス人が航海中にどんな状況でもちゃんと着こなして優雅に食事をとっていた祖父の話から、イギリスへの憧れをうかがい知れる。また英語で日常会話する裕福な家庭だった。(P.12-13)
  • 1929年。世界大恐慌で多くの資産を失う。(P.14)
  • 当初は中国語の学校に通っていたが、馴染めずに英語の学校に転校する。今でもシンガポール随一の名門ラッフルズ・インスティチュートです。優秀な成績をおさめ、ラッフルズ・カレッジに進学する。(P.27,28)
  • ラッフルズ・カレッジ卒業で、LKY氏の成績は二番目。主席は将来LKY氏と結婚するクヮ・ギョクチュー氏だった。(P.32)
  • 太平洋戦争勃発。「英国軍がなんとかしてくれる」との期待はかなわず、1942年2月15日にシンガポールは日本軍に降伏。(P.39)
  • シンガポール華僑虐殺事件。LKY氏も虐殺対象に選ばれるが、機転を利かして間一髪で難を逃れる。(P.50)

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  • 1945年9月12日。日本軍が降伏文書に調印し、戻ってきた英国軍を住民は歓喜で迎える。(P.90)
  • 1946~50年。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。その後、ケンブリッジ大学に移り、法律を学び弁護士となる。イギリスで、アジア人への人種差別を経験する。(P.93)
  • 1947年。クヮ・ギョクチュー氏が、植民地政府のQueen's Scholarshipを得て渡英。二人は結婚する。(P.100)
  • 人種差別を経験したことでシンガポールの地位の低さと、シンガポールの共産主義者がストライキで社会を破壊しているとして、英国に留学中のラッフルズ同窓を仲間に、シンガポールの独立を志す。(P.106)
  • 1950年。帰国。二人は同じ法律事務所で働き出す。3年間給料が上がっていない郵便局員の労働組合に、デモの法律アドバイスを無償でする。賃上げ交渉を政府とし成功する。(P.113,118)
  • 1954年。英国からの独立を目指す仲間も含め、中国語が話せず「英国で教育を受けたエリート」と見られ支持基盤がないことを自覚していた。同じく独立を目的とするLim Chin Sionなどが所属するチャイニーズトレードユニオンと手を結び、政党People's Action Party(PAP)を結成。(P.132)

■シンガポール国立図書館: Lim Chin Sion

  • 1954年11月の総選挙でLKY氏は議席を獲得。Lim Chin Sionも議席を得る。革命成就のため非合法活動をすることで、政党結成を認められていない共産主義者の隠れ蓑に、彼らがPAPを使ったのではないかとの疑念を持ち始める。(P.139)
  • 1959年。中華系国民の協力を得たことで、PAPは51議席中43議席を取得し、選挙に圧勝。党内共産主義者を前政権が破壊活動で逮捕していたが、破壊活動をしないとの誓約をとりつけて和解し釈放。(P.164)
  • 1961年。LKY氏はシンガポールと資源があるマラヤ(旧マレーシア)の統合を切望していた。しかしマラヤ側は否定的。マレー系が70%を占めるマラヤと違い、中華系が70%をシンガポールが占めていたこと。また、中華系への共産主義影響が強かったため。(P.171)
  • LKY氏は英国に働きかけ、シンガポールがマラヤに統合されることを説得する。マラヤは「シンガポールをリトルチャイナにしないように。マラヤこそが母国だ」と声明を出す。(P.175)
  • 1961年。マレー系・中華系・インド系が平等で対等な扱いを統合後に受けることを、マラヤ首相との話し合いでLKY氏が迫る。しかし「中華系やインド系と違って、マレー系には他に帰るところがない」と、マレー系の優遇をマラヤ首相は主張。
  • マラヤ首相から、共産主義者の追放を統合の条件にされていたLKY氏は、Lim Chin Sionを含めたかつての仲間を検挙する"オペレーション・コールドストア"を実施。(P.198)

■シンガポール国立図書館: Opeartion Coldstore

  • 1963年9月16日。シンガポールはマレーシアの州として統合される。連邦政府は外交・防衛・治安を携わり、シンガポール州政府は州内のそれ以外の自治を携わる。(P.203)
  • 「旧英国統治地域の統合は、インドネシアを包囲しようという英国の企てだ」とインドネシアが刺激される。「マレーシアを潰すためには軍事行動も辞さない」とスカルノ大統領は発言。(P.205)
  • PAP幹部は、シンガポールの中華系がマレーシアを掌握するのをマレーシア首相が恐れていると推測。マレーシア政府は、シンガポールの外資誘致に干渉し、税を課す検討がされていた。シンガポールとの分離を主張する政府関係者は、シンガポール内の中華系とマレー系の民族対立を煽ろうとしているとの観測があった。(P.210)
  • 1964年7月21日。マレー系と中華系の民族衝突で23人が死亡。
  • 「マレーシア人のためのマレーシア」「特定の民族を優遇しない。マレーシアはマレー系や中華系やインド系のものでない」とLKY氏はマレーシア首相に訴えるが、「君たちは君たちの道を行きなさい。私たちは私たちの道を行く」「一緒にいる限りは友人であり続けられない」と返答され、統合継続を断念する。(P.220)
  • 1965年8月9日。LKY氏はシンガポールのマレーシアからの独立を宣言。シンガポールは独立国家になる。


以上があらすじですが、あくまで伝記漫画です。特に共産主義者との抗争は、独立運動が大きく入り組んだ権力闘争でもあります。史実の理解には本漫画以外の資料にも、多面的に当たられることをおすすめします。

今のシンガポールに引き継がれているもの

この漫画を読んでおけば、リー・クアンユー氏とシンガポールの建国の知識について、シンガポール在住日本人であっても上位数%に入るでしょう。

  • 「マレー人の島を中華系がぶんどった」と一部で誤解されているのと違い、シンガポールがマレーシア統合を望んだが、事実上追い出されたこと
  • なぜ、中華系が多数を占める国家でありながら中国とは距離を起き、国交樹立が1990年まで遅れたのか
  • なぜ、シンガポールが民族融和のためには、言論の自由にも制限を加えるのか、
  • 近隣諸国のマレーシアやインドネシアと緊張を呼ぶメンタリティ
  • LKY氏は労働争議で政治に頭角を現したが、シンガポールでストライキ規制は厳しくなった

などの今にもつながる背景がわかります。日本語版もありますし、是非どうぞ。

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シンガポールで"生きづらい"人がどうやって生きるかを「シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす」を読んで垣間見る (フー・スウィ・チン著)

漫画の書評です。日本への強い関心と、漫画への愛を感じる、シンガポール人漫画家の作品です。
私は漫画には全くうとく、これまで買った漫画は「ねじ式」(つげ義春著)ぐらいです。今回買ったのも「シンガポール人漫画家がシンガポールについても書いてる著作だから」というシンガポールウォッチャー視点が理由ですが、「う~ん」という読後感がありました。「生きづらい人はどうやって社会で生きていくのか」ということです。

シンガポール在住者にもKindle版があるので、手軽に購入できます。Kindleは1,000円、単行本は1,080円です。

シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす<シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす> (コミックエッセイ)

シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす<シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす> (コミックエッセイ)

※紹介のためにリンクを貼っていますが、本ブログではアフィリエイトはしておらず、無収入です。


フー・スウィ・チン氏のこれまでの作品

今回の記事を書くにあたって、下記を読みました。「購入する前にどんなのか知りたい」という人は、ダ・ヴィンチニュースに話が幾つか転載されていますので、こちらをどうぞ。

他にも英語の漫画やイラストも下記からリンクを辿っていけます。

フー・スウィ・チン氏の略歴

作者のフー・スウィ・チン氏は、シンガポール人。
Twitter: FooSweeChinフー・スウィ・チン
フー・スウィ・チン氏の写真はこちらで拝見できます。

1977年 シンガポール生まれ、シンガポールで育つ
1982年 5歳。親戚の家でいとこがもっていた日本の漫画に出会う
1994年 17歳。デザイン学校の上映会でAKIRAに感動する
2000年 23歳。初めての日本。北海道に日本学校の文化交流でホームスティ
2002年 25歳。米国でコミック連載
2004年 27歳。初めての東京訪問。初めてのコミケ
2016年 39歳。日本で初めての単行本「シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす」が刊行

日本訪問歴は10回以上。
参照: シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす: Page 64, 68, 79, 141
※以下 (P.X) の表記は『シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす』のページより)

「シンガポールのオタク漫画家、日本をめざす」

作品概要

作品は全4章。146ページ。漫画なので1時間で読みきれます。
第1章は、外国人からみた日本の不思議文化で、第3章はシンガポール人のシンガポール紹介。内容は「あぁ、あるある」という切り口。
効いてくるのが、残りの章。第2章で漫画への愛が描かれ、第4章で漫画の仕事を日本で得るために持ち込みをするが挫折。2年間病んだ後に、漫画を再び書けるようになるまでが、描かれています。
『描いた漫画はシュールな暗い話ばかりでした 軽い話のほうがいいとよく言われた』(P.115)と書いていますが、本作では徹底して可愛い絵柄で描かれていて、とっつきやすいです。

現代社会で生きづらい人

現代社会では、人は経済的に「食べていく」ために、極々限られた能力に特化しています。

  • コミュニケーション (組織行動が前提のため)
  • 論理的思考 (必要な行動を自分が理解し、他人に理解させるため)
  • 時間や約束を守る (時に意図的に破る)

などなど。農業、漁業、狩猟で必要だった、筋肉の価値は圧倒的に落ちました。毎年同じタイミングで種まきや漁にでるような粘り強い反復作業は、イノベーションの逆として、成長がない行為とまでみなされています。

フー・スウィ・チン氏は、色々と生きづらいのだろうことは、以下から推測できます。

  • 猫を5匹飼っている (P.116)
  • シンガポールでは引きこもっている。自称、座敷わらし (P.3)
  • 人と目を合わせるのが苦手 (P.9)
  • 異性と会話すると固まる (P.33)
  • 知らない人に挨拶したことを失敗として、クヨクヨする (P.35)
  • 自分の行動が人に見られると気にする (P.46, 47)
  • 学校でいじめられることはなかったけど 一人の友達もいなかった (P.53)
  • 周囲に恐怖をおぼえ、評価を気にしすぎる (P.62)
  • 握手をする時に、力の入れ方、手の振り方、手を離すタイミングを思い悩む (P.92)
  • お金を払う時に困るほど数学が苦手 (P.64)

また、霊感が強いだけでなく、フー・スウィ・チン氏が好んで描く暗いキャラクターデザイン (P.115) を見ると「フーさん!明るい所に帰ってきて!」と私は余計な声をかけたくなります。ですが、その暗いキャラクターもフー・スウィ・チン氏の一部であって、うまく感情の折り合いをつけて今後も暮らしていって頂ければ、と勝手に願っています。
その一方で、講演緊張しすぎて意識がなくなると、講演では人と目をあわせなくてもよいのでうまく話せるとのことなので、経験での場数を踏めば、全然大丈夫になれそうにも思えます。

インプットとアウトプット

フー・スウィ・チン氏は、大好きな漫画に、幼少期から時間と努力を費やしてきました。
漫画を読む人(インプット)は多いですが、書く人は少ないです(アウトプット)。そこから更に、趣味ではなくプロとして収益を得られる人はもっと更に少なくなり、専業で食っていける人は本当に一握りです。

生きづらい人がどうやって生きていくか

多くの人はどんなに好きで努力をしても、スポーツ・音楽・アニメ・ゲーム・小説などなどの趣味でプロになることは困難です。その中で、フー・スウィ・チン氏はニートを自称(P.69)していますが、漫画が好きだなけでなく努力で、プロの世界にたどり着きました。

OECDのニート調査

ニートの調査をOECDがしています。OECDでは15~29歳で、就学も就職もしていない人をニートと定義しています。つまり、フー氏はパートタイムや漫画で収入がありますし、また年齢からも、OECD定義でのニートの対象外です。ニートは、OCED平均が14.6%、日本は9.5%です。
OECDの中では、日本はニートが少ない国です。該当年代の10人に1人がニートは実感より多い気がしますが、女性の家事手伝いや専業主婦も含まれるからです。日本ではニートというと内向的な趣味の男性のイメージが強いのですが、日本の女性のニート率は、男性より70%多いとOECDは指摘しています。
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日本でも、昔から職人の世界は、口数が少ない仕事として知られています。「リア充」や「社交的」でなければ、食っていくことがどんどん難しくなる一方で、フー氏のようにインターネットのテキストでの意思疎通を通して友達をつくり、徐々に仕事をすることも可能になっています。(P.68)

想像したものだけでも現実化させたい
この世界に居場所を作ってあげたい (P.60)

フー氏にとって漫画を描くことは、漫画キャラクターの居場所だけでなく、自身の居場所も作る行為だったのだろうなと思いました。


というわけで、こんなに裏読みばかりしなくても、シンガポール人やシンガポールの漫画としても面白いので、是非ご購入を。

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